10月24日
伊達博物館
伊達家ゆかりの資料を展示する博物館。
宇和島城上り立ち門から左へ行く。
信号を渡り左、真っ直ぐ進むと学校。
学校の脇を通って行くと角に伊達博物館があった。
博物館の向かいに天赦園がある。
先に伊達博物館へ行く。
AM10:15
伊達博物館。
北に国指定重要文化財「宇和島城天守閣」を望む旧藩邸偕楽園跡にある。

幕末四賢候と称された八代藩主伊達宗城像。
宇和島藩は伊達政宗の長子、初代秀宗(ひでむね)から9代宗徳(むねえ)まで続き、早くから文化・産業が発展した。
賢侯のきこえ高く内政の充実はもちろん、幕末政局多端に際しては松平慶永・山内豊信・島津斉彬らとともにおおいに活躍、中央との交流も盛んに行われた。
また勝海舟や高野長英などと交わされた他には例のない貴重な書簡がたくさん残されている。

偕楽園跡。
昔の大規模な回遊式庭園。

かつては豊富な清流を取り込んだ大規模な庭園。
年代を経た樹木と石組のバランスが素晴らしく縁起のよい祝儀の庭「鶴亀」の庭園形式が組み入れられている。

近代的な建物、入り口は自動ドア。

展示室入り口の扉にある「竹にすずめ」の伊達家の紋章。
展示室内は撮影禁止、写真を撮れるのは此処まででした。

掛け軸や古文書、金蒔絵が施された化粧道具、第9代の正室が輿入れの際に乗った女乗物など大名ならではの収蔵品や豊臣秀吉の肖像画も展示されている。
館内は第一展示室から第三展示室に分かれていて、それぞれのテーマに沿って展示がされている。
第一展示室は武具を中心とした展示となっていて既に実戦用としての意味を持たなくなっていたこの頃の武具は細工も精緻で、豪華絢爛という言葉がふさわしいものばかり。
意匠を凝らした歴代藩主の具足、蒔絵の鞍・鐙(あぶみ)なども見ることができる。
9代藩主宗徳の正室として佳姫(秋田・佐竹家)が輿入れの際に使用した女乗り物は、外は黒漆に月丸扇紋散らしの金蒔絵、中は松竹梅や鶴亀の模様が描かれた当時の最高技術をもって作られたもの。
第二展示室は「幽玄の美」をテーマに、能・狂言の面や絵を中心に展示されている。
様々な表情の能面が展示され、どれも活き活きとして命が宿っているかのように見える。
狂言の最高秘曲の「釣狐」に用いられる専用の「狐」面など滅多に観る機会のないみごとな品々が揃っている。
「伊達の雅」をテーマに、日常使われる生活道具や書・香・茶の道具などを展示しているのが第三展示室になっている。
歴代の藩主の順に甲冑は並べられ大きいものや小振りなものもあり、その人物の体型などを想像しながら見て回った。
伊達政宗の甲冑の兜には三日月を伸ばしたような飾りがついていて横に、馬上少年過、から始まる有名な漢詩「酔余口号(すいよこうごう)」があった。
展示されている宇和島伊達藩の家系図を見ると、伊達政宗の長男・秀宗(1591-1658)が宇和島藩祖。
長男だけど、嫡子ではないとのこと。
6歳で豊臣秀吉の養子となり、「秀」の一字をもらって元服と書いてある。
実は私、宇和島伊達藩の藩祖が、かの有名な伊達政宗の長男(秀宗)であると言うことを宇和島城の説明書を読むまで知りませんでした。
仙台からこんなに離れた宇和島に何で伊達博物館があるのだろう?って不思議に思っていたんです…
帰ったら宇和島伊達藩の家系図を見ながら日本史をもう一度勉強し直す予定。。。(^_^;)
伊達博物館
伊達家ゆかりの資料を展示する博物館。
宇和島城上り立ち門から左へ行く。
信号を渡り左、真っ直ぐ進むと学校。
学校の脇を通って行くと角に伊達博物館があった。
博物館の向かいに天赦園がある。
先に伊達博物館へ行く。
AM10:15
伊達博物館。
北に国指定重要文化財「宇和島城天守閣」を望む旧藩邸偕楽園跡にある。

幕末四賢候と称された八代藩主伊達宗城像。
宇和島藩は伊達政宗の長子、初代秀宗(ひでむね)から9代宗徳(むねえ)まで続き、早くから文化・産業が発展した。
賢侯のきこえ高く内政の充実はもちろん、幕末政局多端に際しては松平慶永・山内豊信・島津斉彬らとともにおおいに活躍、中央との交流も盛んに行われた。
また勝海舟や高野長英などと交わされた他には例のない貴重な書簡がたくさん残されている。

偕楽園跡。
昔の大規模な回遊式庭園。

かつては豊富な清流を取り込んだ大規模な庭園。
年代を経た樹木と石組のバランスが素晴らしく縁起のよい祝儀の庭「鶴亀」の庭園形式が組み入れられている。

近代的な建物、入り口は自動ドア。

展示室入り口の扉にある「竹にすずめ」の伊達家の紋章。
展示室内は撮影禁止、写真を撮れるのは此処まででした。

掛け軸や古文書、金蒔絵が施された化粧道具、第9代の正室が輿入れの際に乗った女乗物など大名ならではの収蔵品や豊臣秀吉の肖像画も展示されている。
館内は第一展示室から第三展示室に分かれていて、それぞれのテーマに沿って展示がされている。
第一展示室は武具を中心とした展示となっていて既に実戦用としての意味を持たなくなっていたこの頃の武具は細工も精緻で、豪華絢爛という言葉がふさわしいものばかり。
意匠を凝らした歴代藩主の具足、蒔絵の鞍・鐙(あぶみ)なども見ることができる。
9代藩主宗徳の正室として佳姫(秋田・佐竹家)が輿入れの際に使用した女乗り物は、外は黒漆に月丸扇紋散らしの金蒔絵、中は松竹梅や鶴亀の模様が描かれた当時の最高技術をもって作られたもの。
第二展示室は「幽玄の美」をテーマに、能・狂言の面や絵を中心に展示されている。
様々な表情の能面が展示され、どれも活き活きとして命が宿っているかのように見える。
狂言の最高秘曲の「釣狐」に用いられる専用の「狐」面など滅多に観る機会のないみごとな品々が揃っている。
「伊達の雅」をテーマに、日常使われる生活道具や書・香・茶の道具などを展示しているのが第三展示室になっている。
歴代の藩主の順に甲冑は並べられ大きいものや小振りなものもあり、その人物の体型などを想像しながら見て回った。
伊達政宗の甲冑の兜には三日月を伸ばしたような飾りがついていて横に、馬上少年過、から始まる有名な漢詩「酔余口号(すいよこうごう)」があった。
展示されている宇和島伊達藩の家系図を見ると、伊達政宗の長男・秀宗(1591-1658)が宇和島藩祖。
長男だけど、嫡子ではないとのこと。
6歳で豊臣秀吉の養子となり、「秀」の一字をもらって元服と書いてある。
実は私、宇和島伊達藩の藩祖が、かの有名な伊達政宗の長男(秀宗)であると言うことを宇和島城の説明書を読むまで知りませんでした。
仙台からこんなに離れた宇和島に何で伊達博物館があるのだろう?って不思議に思っていたんです…
帰ったら宇和島伊達藩の家系図を見ながら日本史をもう一度勉強し直す予定。。。(^_^;)
10月24日
宇和島城上り立ち門
7時起床。久し振りのゆっくりの朝。
洗面トイレを済ませ着替え、8時に2階のカフェで朝食。
今日もいい天気。ガラス窓から綺麗な青空が見える。
朝食後別料金でコーヒーを飲む。
自販機のコーヒーより淹れたてのコーヒーはやっぱり美味しい。
土産は昨日送ったが伊予と言えばやはりミカン。
商店街の果物屋さんからミカンを送ろうかー?
カフェの人に、ミカンを送りたいのでと果物屋さんの場所を聞く。
「それなら此処から近くの”みなみくん”で買ったらいいですよ。送ることも出来るしミカンから魚、野菜何でもあるし安くて新鮮!地元の人はみんなここで買いますよ。」
みなみくん。。。なんだろうー?
窓ガラスの所から指差し、
「川沿いにこの道を真っ直ぐ行き、大きな道路を渡ると直ぐですよ。ほら、あそこに黄色い旗が見えるでしょう。」
”みなみくん”へ行ってみることにした。
フロントへ行き、みなみくんへ行って1日観光してきますと鍵を預けた。
ホテルを出て川に沿って黄色い旗を目印に真っ直ぐ。
”みなみくん”はJA直営の特産品センターの販売所のようだ。
広い駐車場から建物の中に入ると、切花や魚介類、宇和島銘菓やジャコ天、カマボコ、餅に赤飯、お弁当、果物、いろんな品物が並んでいた。
安くて新鮮、地元の買い物客で大賑わい。
果物コーナーの脇にミカンの箱が山積みされている。
1箱2,000−。
JAマークの入ったジャンパーを着たお兄さんにミカン甘いですか?一応尋ねてみる。
甘いですよ〜!当然の答えが返ってきた。
ミカン5箱を送ってもらう。
土産は済んだ。さぁこれから市内観光だ。
その前に明日のバスチケットを買っておこう。
来た道を引き返しホテルの前を通り広い道路に出て橋を渡りバスセンターに行く。
明日の大阪行きの高速バスチケット買った。
地図を見ながら広い道路へ出る。
駅と反対方向、南の方向へ行く。
和霊神社から右に曲がりリージェントホテルの建物を見ながら国号56号を進むと宇和島城の門のところに出た。
昨日登った城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門の丁度反対側になる南側に上り立ち門があった。
昨日とは違う南登山口から城山へ登ってみることにした。
AM9:30
城山の南側、国道56号線に面した登り口、上り立ち門と宇和島市出身の児島惟謙(こじまこれかた)の像。
児島惟謙(こじまこれかた)
1891年(明治24年)に大津市で来日中のロシア皇太子が警備の警察官に切りつけられた「大津事件」の際、死刑にすべきだという声に対して司法の独立を守った大審院長。

南麓搦め手口の薬医門。
宇和島市有形文化財指定。
この先本丸まで石段が続き、往時には天守まで7つの門構えがあった。

市指定有形文化財 宇和島城上り立ち門説明版。

宇和島城沿革説明板。

門を入って石段を少し登ると城跡整備調査の説明版。

雷門跡。
搦め手のルートは本丸の西側を北へ向かい長門丸から本丸の東側へ回り、大手門からのルートと合流するがその先は昨日登ったので公園への道へ行く。

長門丸 北角矢倉跡。

トイレ、自販機、遊具、休憩所が設置されている。
首にタオルを巻いて走ってる人や朝散歩の地元の人たちを眺めながら自販機で買った冷たいお茶を飲んでベンチで一休み。

宇和島城上り立ち門
7時起床。久し振りのゆっくりの朝。
洗面トイレを済ませ着替え、8時に2階のカフェで朝食。
今日もいい天気。ガラス窓から綺麗な青空が見える。
朝食後別料金でコーヒーを飲む。
自販機のコーヒーより淹れたてのコーヒーはやっぱり美味しい。
土産は昨日送ったが伊予と言えばやはりミカン。
商店街の果物屋さんからミカンを送ろうかー?
カフェの人に、ミカンを送りたいのでと果物屋さんの場所を聞く。
「それなら此処から近くの”みなみくん”で買ったらいいですよ。送ることも出来るしミカンから魚、野菜何でもあるし安くて新鮮!地元の人はみんなここで買いますよ。」
みなみくん。。。なんだろうー?
窓ガラスの所から指差し、
「川沿いにこの道を真っ直ぐ行き、大きな道路を渡ると直ぐですよ。ほら、あそこに黄色い旗が見えるでしょう。」
”みなみくん”へ行ってみることにした。
フロントへ行き、みなみくんへ行って1日観光してきますと鍵を預けた。
ホテルを出て川に沿って黄色い旗を目印に真っ直ぐ。
”みなみくん”はJA直営の特産品センターの販売所のようだ。
広い駐車場から建物の中に入ると、切花や魚介類、宇和島銘菓やジャコ天、カマボコ、餅に赤飯、お弁当、果物、いろんな品物が並んでいた。
安くて新鮮、地元の買い物客で大賑わい。
果物コーナーの脇にミカンの箱が山積みされている。
1箱2,000−。
JAマークの入ったジャンパーを着たお兄さんにミカン甘いですか?一応尋ねてみる。
甘いですよ〜!当然の答えが返ってきた。
ミカン5箱を送ってもらう。
土産は済んだ。さぁこれから市内観光だ。
その前に明日のバスチケットを買っておこう。
来た道を引き返しホテルの前を通り広い道路に出て橋を渡りバスセンターに行く。
明日の大阪行きの高速バスチケット買った。
地図を見ながら広い道路へ出る。
駅と反対方向、南の方向へ行く。
和霊神社から右に曲がりリージェントホテルの建物を見ながら国号56号を進むと宇和島城の門のところに出た。
昨日登った城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門の丁度反対側になる南側に上り立ち門があった。
昨日とは違う南登山口から城山へ登ってみることにした。
AM9:30
城山の南側、国道56号線に面した登り口、上り立ち門と宇和島市出身の児島惟謙(こじまこれかた)の像。
児島惟謙(こじまこれかた)
1891年(明治24年)に大津市で来日中のロシア皇太子が警備の警察官に切りつけられた「大津事件」の際、死刑にすべきだという声に対して司法の独立を守った大審院長。

南麓搦め手口の薬医門。
宇和島市有形文化財指定。
この先本丸まで石段が続き、往時には天守まで7つの門構えがあった。

市指定有形文化財 宇和島城上り立ち門説明版。

宇和島城沿革説明板。

門を入って石段を少し登ると城跡整備調査の説明版。

雷門跡。
搦め手のルートは本丸の西側を北へ向かい長門丸から本丸の東側へ回り、大手門からのルートと合流するがその先は昨日登ったので公園への道へ行く。

長門丸 北角矢倉跡。

トイレ、自販機、遊具、休憩所が設置されている。
首にタオルを巻いて走ってる人や朝散歩の地元の人たちを眺めながら自販機で買った冷たいお茶を飲んでベンチで一休み。

10月23日
宇和島城天守閣を見学し4時少し過ぎにホテルに戻った。
2階のフロントへ行くと受付の女の人が代わっていた。
名前を言って宿泊カードに記帳。
料金を前払いし部屋の鍵を受け取る。
ビジネスホテルなので食事は付いていないが朝食はフロント前のカフェで和食と洋食のどちらか予約出来るそうだ。
バスセンターにも近いし別のホテルに移動するのも面倒。
部屋があるなら連泊したいと尋ねるとOKだった。
2日分の料金と朝食を予約した。
パークホテル ¥10,100−
2泊 ¥9,000− @4,500−×2
朝食 ¥1,100− @550−×2
フロントに置いてある市内観光の名所が載った地図を貰う。
夕食、近くで美味しいお店を尋ねると料金が手ごろな「郷土料理ほづみ亭」を教えてくれた。
女の人が地図にマーカーで道順を入れてくれた。
ホテルから広い道路に出て真っ直ぐ行くとアーケードの商店街。
その商店街を突っ切ってもう一つ小路を抜けた角。
部屋は4階、シングル。荷物は部屋に置かれていた。
ザックの中身を整理しバスタブに湯を張る。
本家とあーちゃんpapaに宇和島に着いたと連絡の後、土佐清水のYさんに電話した。
Yさんは何度も帰る前にもう一度会いたい、迎えに行くから土佐清水に来てくれと言ってくれた。
本当に嬉しかった。
必ず会いに来ますとYさんと約束をした。
お風呂に入り髪を洗ってドライヤーで髪を乾かし下着や小物を洗う。
ハンガーに掛け洗面所のドアに掛けておけば空調が効いているので一晩で乾くだろう。
夕食に出かけるまでベッドで横になった。
7時過ぎ着替えて教えてもらったほづみ亭に夕食を食べに出かけた。
商店街のアーケードを通ったとき浴衣を着たお相撲さんに会った。
本物の力士さんを見たのは始めて。
大きな体をゆっさゆっさと揺らしながら歩いていた。
ほづみ亭は混んでいた。
カウンターの一番端が空いてたので隣のおじさんにちょこんと頭を下げ座った。
まずは生ビール(笑)それとジャコ天だね。
メニューを見ててもわからないのでカウンターの中の一番若い板さんにお勧めを選んでもらった。
隣のおじさんが話し掛けてきた。
松山から出張で駅前のホテルに泊まっているそうだ。
「ここの料理はどれも美味しいよ。私は出張で年に何回かしか来ないけど来れば必ず此処に寄るんだ。此処の鯛めしは絶品だよ。」
アツアツのジャコ天を食べながらそうですかと相槌を打つ。
「一人旅なの?どちらから来られたの?」
はぁ。。一人旅です。新潟です。
「へぇ〜新潟からとは遠くからのお客さんだね。○○くん(板さんの名前)こちら新潟から来たんだってよ。ほづみもいよいよ全国版だね (笑)」
2時間くらいおじさんや若い板さんとおしゃべりして楽しい時間を過ごした。
お腹一杯美味しい料理を食べて飲んで3,000−ちょっとだった。
ジャコ天と鯛めし、とても美味しかった。
お店の外で若いカップルが写真を撮っていた。
ほづみ亭、地元でも有名なお店のようだ。
帰り道、空を見上げると満月が出ていた。
あ〜。。今夜は十三夜なんだね。
まん丸お月さんを眺めながらホテルに戻った。
宇和島城天守閣を見学し4時少し過ぎにホテルに戻った。
2階のフロントへ行くと受付の女の人が代わっていた。
名前を言って宿泊カードに記帳。
料金を前払いし部屋の鍵を受け取る。
ビジネスホテルなので食事は付いていないが朝食はフロント前のカフェで和食と洋食のどちらか予約出来るそうだ。
バスセンターにも近いし別のホテルに移動するのも面倒。
部屋があるなら連泊したいと尋ねるとOKだった。
2日分の料金と朝食を予約した。
パークホテル ¥10,100−
2泊 ¥9,000− @4,500−×2
朝食 ¥1,100− @550−×2
フロントに置いてある市内観光の名所が載った地図を貰う。
夕食、近くで美味しいお店を尋ねると料金が手ごろな「郷土料理ほづみ亭」を教えてくれた。
女の人が地図にマーカーで道順を入れてくれた。
ホテルから広い道路に出て真っ直ぐ行くとアーケードの商店街。
その商店街を突っ切ってもう一つ小路を抜けた角。
部屋は4階、シングル。荷物は部屋に置かれていた。
ザックの中身を整理しバスタブに湯を張る。
本家とあーちゃんpapaに宇和島に着いたと連絡の後、土佐清水のYさんに電話した。
Yさんは何度も帰る前にもう一度会いたい、迎えに行くから土佐清水に来てくれと言ってくれた。
本当に嬉しかった。
必ず会いに来ますとYさんと約束をした。
お風呂に入り髪を洗ってドライヤーで髪を乾かし下着や小物を洗う。
ハンガーに掛け洗面所のドアに掛けておけば空調が効いているので一晩で乾くだろう。
夕食に出かけるまでベッドで横になった。
7時過ぎ着替えて教えてもらったほづみ亭に夕食を食べに出かけた。
商店街のアーケードを通ったとき浴衣を着たお相撲さんに会った。
本物の力士さんを見たのは始めて。
大きな体をゆっさゆっさと揺らしながら歩いていた。
ほづみ亭は混んでいた。
カウンターの一番端が空いてたので隣のおじさんにちょこんと頭を下げ座った。
まずは生ビール(笑)それとジャコ天だね。
メニューを見ててもわからないのでカウンターの中の一番若い板さんにお勧めを選んでもらった。
隣のおじさんが話し掛けてきた。
松山から出張で駅前のホテルに泊まっているそうだ。
「ここの料理はどれも美味しいよ。私は出張で年に何回かしか来ないけど来れば必ず此処に寄るんだ。此処の鯛めしは絶品だよ。」
アツアツのジャコ天を食べながらそうですかと相槌を打つ。
「一人旅なの?どちらから来られたの?」
はぁ。。一人旅です。新潟です。
「へぇ〜新潟からとは遠くからのお客さんだね。○○くん(板さんの名前)こちら新潟から来たんだってよ。ほづみもいよいよ全国版だね (笑)」
2時間くらいおじさんや若い板さんとおしゃべりして楽しい時間を過ごした。
お腹一杯美味しい料理を食べて飲んで3,000−ちょっとだった。
ジャコ天と鯛めし、とても美味しかった。
お店の外で若いカップルが写真を撮っていた。
ほづみ亭、地元でも有名なお店のようだ。
帰り道、空を見上げると満月が出ていた。
あ〜。。今夜は十三夜なんだね。
まん丸お月さんを眺めながらホテルに戻った。
10月23日
宇和島城
鶴島城と呼ばれる秀麗な天守閣は、当時のまま現存する貴重なもの。
街の中央、海抜約80メートルの城山に三重三層の天守閣を頂く宇和島城は、その均整のとれた美しさから別名鶴島城と呼ばれている。
築城以来約400年の歳月を経て、現存する12ヶ所の天守閣のうちでも江戸時代様式を留める貴重なものとして国の重要文化財に指定。
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされている。
城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられる。
高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。
2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。
その姿を現在に残している。
天守閣は、独立式で三層三階本瓦葺き、荘重な白壁の総塗りごめ造り。
正面最上層の屋根に唐破風、二層に大型の千鳥破風、その下に二つの千鳥破風を並べ最下層にこれらの総てを受けた玄関に大型の唐破風がある。
これらは各層の屋根とよく調和して、美しい姿と安定感をもち、江戸時代初期の貴重な天守となっている。
昭和24年1月、城山の大部分と天守は伊達家より宇和島市寄付され、市の管理に属した。同35年10月天守は国の文化財保護委員会(現文化庁)の許可を得、同委員会の指導監督の下に解体修理を行い、同37年10月をもって新装の姿を復元した。
宇和島伊達家は、江戸時代はこの地を動くことなく明治を迎えた。
8代宗城は、幕末から明治維新にかけて活躍した名君として知られている。
平定の世造営のため、櫓や小天守などを持たない単独で、狭間・石落しなども無く、鯱・破風屋根・連子窓が均衡を保ち、玄関を右寄りにして装飾性を強調した外観となっている。

玄関。

受付。

1階広間。

天守閣1階広間におかれている 天守閣の模型。
木組み・屋根などの構造を見ることが出来る。


天守閣2階への梯子階段。

1階から2階へ中間に踊り場がある。
周りは障子窓となっている天守閣二階の広間。

最上階の内部。
1960年10月から丸3年がかりで行われた解体修理の際の記録写真や、寛文年間の棟札、シロアリに浸食された柱などが展示されていた。


北東側の市内中心部の眺め。

上から見るとよくわかる急な梯子階段。


天守閣内の1階武者走り廊下。

宇和島城
鶴島城と呼ばれる秀麗な天守閣は、当時のまま現存する貴重なもの。
街の中央、海抜約80メートルの城山に三重三層の天守閣を頂く宇和島城は、その均整のとれた美しさから別名鶴島城と呼ばれている。
築城以来約400年の歳月を経て、現存する12ヶ所の天守閣のうちでも江戸時代様式を留める貴重なものとして国の重要文化財に指定。
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされている。
城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられる。
高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。
2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。
その姿を現在に残している。
天守閣は、独立式で三層三階本瓦葺き、荘重な白壁の総塗りごめ造り。
正面最上層の屋根に唐破風、二層に大型の千鳥破風、その下に二つの千鳥破風を並べ最下層にこれらの総てを受けた玄関に大型の唐破風がある。
これらは各層の屋根とよく調和して、美しい姿と安定感をもち、江戸時代初期の貴重な天守となっている。
昭和24年1月、城山の大部分と天守は伊達家より宇和島市寄付され、市の管理に属した。同35年10月天守は国の文化財保護委員会(現文化庁)の許可を得、同委員会の指導監督の下に解体修理を行い、同37年10月をもって新装の姿を復元した。
宇和島伊達家は、江戸時代はこの地を動くことなく明治を迎えた。
8代宗城は、幕末から明治維新にかけて活躍した名君として知られている。
平定の世造営のため、櫓や小天守などを持たない単独で、狭間・石落しなども無く、鯱・破風屋根・連子窓が均衡を保ち、玄関を右寄りにして装飾性を強調した外観となっている。

玄関。

受付。

1階広間。

天守閣1階広間におかれている 天守閣の模型。
木組み・屋根などの構造を見ることが出来る。


天守閣2階への梯子階段。

1階から2階へ中間に踊り場がある。
周りは障子窓となっている天守閣二階の広間。

最上階の内部。
1960年10月から丸3年がかりで行われた解体修理の際の記録写真や、寛文年間の棟札、シロアリに浸食された柱などが展示されていた。


北東側の市内中心部の眺め。

上から見るとよくわかる急な梯子階段。


天守閣内の1階武者走り廊下。

10月23日
宇和島城
三之門跡への石段。

三之門跡。

二之門跡。

二之丸跡。

二之丸入り口辺りから見た天守閣と石垣。

二之丸から天守閣への石段。
本丸への上り口はここしかない。

一之門跡(櫛型門)。
二之門跡から本丸跡への石段を上りきったところにある。
この門から入らなければ本丸には入れない仕組みになっていて、門の構造も櫛型になっていて敵が侵入し難い造りになっている。

山頂に造ったにしては、かなりの広さで平地化するのには相当の労力が要したのだろうと想像できる。
樹木が適当な配置で植えられている。

宇和島湾。

御大所跡(御台所)。

鉄砲矢倉跡。

宇和島城天守閣。

宇和島城
三之門跡への石段。

三之門跡。

二之門跡。

二之丸跡。

二之丸入り口辺りから見た天守閣と石垣。

二之丸から天守閣への石段。
本丸への上り口はここしかない。

一之門跡(櫛型門)。
二之門跡から本丸跡への石段を上りきったところにある。
この門から入らなければ本丸には入れない仕組みになっていて、門の構造も櫛型になっていて敵が侵入し難い造りになっている。

山頂に造ったにしては、かなりの広さで平地化するのには相当の労力が要したのだろうと想像できる。
樹木が適当な配置で植えられている。

宇和島湾。

御大所跡(御台所)。

鉄砲矢倉跡。

宇和島城天守閣。

10月23日
宇和島城
城山郷土館(山里倉庫)。
幕末四賢侯の一人、八代伊達宗城の時代に建造された山里倉庫は現在内部は郷土館として公開されている。。
城山の中腹北側あたりにあり、1845年の建造。
旧幕府時代宇和島城内の調練場の一廓にあり、武器庫に使用されていた。


当時使用されていた道具類等多くの備品が陳列されている。
貴重な資料、民具類を展示して宇和島に現存する唯一の歴史的建物だそうです。
今は郷土館に変わり、入場無料。
館長さんが展示されている道具類一つ一つを説明してくれました。

穂積陳重、八束兄弟の生家長屋門。
城山の中腹、北側にある城山郷土館(山里倉庫)の隣にある。
明治時代の法学者で宇和島藩士の出身。
東京帝国大学教授で、この建物は兄弟が幼年期の頃過ごした建物。

城山郷土館(山里倉庫)展示品。


伊達博物館に綺麗に保存された当時の駕籠が展示されているので是非見てくるよう薦めてくれました。





親切な館長さんにお写真をとカメラを向けたら照れておられました。

宇和島城
城山郷土館(山里倉庫)。
幕末四賢侯の一人、八代伊達宗城の時代に建造された山里倉庫は現在内部は郷土館として公開されている。。
城山の中腹北側あたりにあり、1845年の建造。
旧幕府時代宇和島城内の調練場の一廓にあり、武器庫に使用されていた。


当時使用されていた道具類等多くの備品が陳列されている。
貴重な資料、民具類を展示して宇和島に現存する唯一の歴史的建物だそうです。
今は郷土館に変わり、入場無料。
館長さんが展示されている道具類一つ一つを説明してくれました。

穂積陳重、八束兄弟の生家長屋門。
城山の中腹、北側にある城山郷土館(山里倉庫)の隣にある。
明治時代の法学者で宇和島藩士の出身。
東京帝国大学教授で、この建物は兄弟が幼年期の頃過ごした建物。

城山郷土館(山里倉庫)展示品。


伊達博物館に綺麗に保存された当時の駕籠が展示されているので是非見てくるよう薦めてくれました。





親切な館長さんにお写真をとカメラを向けたら照れておられました。

10月23日
宇和島城
城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門。
市の文化財指定。
現在は間口15メートルですが、本来は35メートルの堂々たるものだったそうです。
かつては南登山口から天守に至るまでに7つの門があったが、現在残っているのは上り(のぼり)立ち門(市指定文化財)のみ。
長屋門をくぐると、雑草に被われ苔むした石段が本丸へと続いていく。


長屋門を入ってから最初の上り石段。
攻め難くするために、一つ一つの高さ(蹴上げ)や石型が不揃いで、傾斜もきつくした石段が続く。



急な上り階段を突き進み、井戸丸跡径由天守閣へと進む。

井戸丸跡。
この井戸は現在の城山に残る三つの井戸のうち、最も重要視されたものといわれている。
井戸丸門、井戸丸矢倉等があって、有事の時の為、厳重に管理されていたとの事。
井戸の直径2.4m、周囲8.5m、深さ11m。
この位置は城山の北側の谷の中腹、三の丸からの上り道にあたり数少ない城山の遺構の一つ。



宇和島城
城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門。
市の文化財指定。
現在は間口15メートルですが、本来は35メートルの堂々たるものだったそうです。
かつては南登山口から天守に至るまでに7つの門があったが、現在残っているのは上り(のぼり)立ち門(市指定文化財)のみ。
長屋門をくぐると、雑草に被われ苔むした石段が本丸へと続いていく。


長屋門を入ってから最初の上り石段。
攻め難くするために、一つ一つの高さ(蹴上げ)や石型が不揃いで、傾斜もきつくした石段が続く。



急な上り階段を突き進み、井戸丸跡径由天守閣へと進む。

井戸丸跡。
この井戸は現在の城山に残る三つの井戸のうち、最も重要視されたものといわれている。
井戸丸門、井戸丸矢倉等があって、有事の時の為、厳重に管理されていたとの事。
井戸の直径2.4m、周囲8.5m、深さ11m。
この位置は城山の北側の谷の中腹、三の丸からの上り道にあたり数少ない城山の遺構の一つ。



PM4:10
大麻比古神社から直ぐ近くに、バルトの楽園のロケ跡があるから見に行こう、と連れて行ってもらった。
駐車場の観光バスの隣に車を止め歩いて行くと、幟や映画ポスターがずらりと並んでいた。
Oさんが入場料を二人分払ってくれロケ村の見学。
暮れになると必ず聞かれる「第九」の交響楽が流れていた。
第一次世界大戦
収容所の中で芽生えた奇跡。
ドイツ兵と坂東の人びととのあたたかな交流がここに。。。
総工費3億円。6ヶ月もの期間をかけて建設されたセットは、大麻山の自然に溶け込んでいた。
ロケ村に一歩足を踏み入れると、大正時代にタイムスリップ。
2005年11月10日〜12月23日、この場所で「バルトの楽園」のロケが行われた。
映画作りに取り組む松平健さんをはじめとする豪華俳優人やスタッフ、ドイツ兵エキストラを、多くの県民や市民ボランティアが「もてなしの心」でサポート。
大正時代に、ここ坂東の地で繰り広げられた国境を越えた心温まる交流は、現在でも「地域の誇り」として息づいている。


平和へのシンフォニーとして年末の風物詩となっている「第九」交響楽は、1918年6月1日、坂東俘虜収容所内でドイツ兵俘虜によりアジアで始めて演奏された。
この史実に基づいて、BANDOロケ村は「歓喜の郷」と名付けられた。

バルトの楽園 Story
1914年。第一次世界大戦で日本軍は、3万の大軍を送り込み、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。
ドイツ兵4700人が捕虜として送還され、日本各地にある俘虜収容所に収められる事となる。
厳しい待遇が当然な俘虜収容所の中で奇跡のような収容所が徳島県鳴門市の板東に存在した。
板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、ハーグ条約に則りドイツ人捕虜達の人権を遵守し、ドイツ人俘虜収容所としては例のない寛容な待遇をさせた。
ドイツ人の捕虜達は、言語・習慣・文化の異なる地域住民と民族を越えた素朴な人間愛を育みながら収容所での生活を送る。
そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。
自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めて『交響曲第九番歓喜の歌』を演奏することに挑戦したのであった。
「バルトの楽園・BANDOロケ村」Aran's Homepege iroiro ウェブアルバムにアップしています。
尚、ウェブアルバムは画面最大をお薦めします。
画面が最小のままですと、ENTER、写真説明(コメント等)が見えません。
大麻比古神社から直ぐ近くに、バルトの楽園のロケ跡があるから見に行こう、と連れて行ってもらった。
駐車場の観光バスの隣に車を止め歩いて行くと、幟や映画ポスターがずらりと並んでいた。
Oさんが入場料を二人分払ってくれロケ村の見学。
暮れになると必ず聞かれる「第九」の交響楽が流れていた。
第一次世界大戦
収容所の中で芽生えた奇跡。
ドイツ兵と坂東の人びととのあたたかな交流がここに。。。
総工費3億円。6ヶ月もの期間をかけて建設されたセットは、大麻山の自然に溶け込んでいた。
ロケ村に一歩足を踏み入れると、大正時代にタイムスリップ。
2005年11月10日〜12月23日、この場所で「バルトの楽園」のロケが行われた。
映画作りに取り組む松平健さんをはじめとする豪華俳優人やスタッフ、ドイツ兵エキストラを、多くの県民や市民ボランティアが「もてなしの心」でサポート。
大正時代に、ここ坂東の地で繰り広げられた国境を越えた心温まる交流は、現在でも「地域の誇り」として息づいている。


平和へのシンフォニーとして年末の風物詩となっている「第九」交響楽は、1918年6月1日、坂東俘虜収容所内でドイツ兵俘虜によりアジアで始めて演奏された。
この史実に基づいて、BANDOロケ村は「歓喜の郷」と名付けられた。

バルトの楽園 Story
1914年。第一次世界大戦で日本軍は、3万の大軍を送り込み、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。
ドイツ兵4700人が捕虜として送還され、日本各地にある俘虜収容所に収められる事となる。
厳しい待遇が当然な俘虜収容所の中で奇跡のような収容所が徳島県鳴門市の板東に存在した。
板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、ハーグ条約に則りドイツ人捕虜達の人権を遵守し、ドイツ人俘虜収容所としては例のない寛容な待遇をさせた。
ドイツ人の捕虜達は、言語・習慣・文化の異なる地域住民と民族を越えた素朴な人間愛を育みながら収容所での生活を送る。
そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。
自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めて『交響曲第九番歓喜の歌』を演奏することに挑戦したのであった。
「バルトの楽園・BANDOロケ村」Aran's Homepege iroiro ウェブアルバムにアップしています。
尚、ウェブアルバムは画面最大をお薦めします。
画面が最小のままですと、ENTER、写真説明(コメント等)が見えません。
未だ夏の暑さと夏の空の徳島には驚いた。
駅前で待っていてくれたOさんと、まずは冷たいものをと駅前のお茶屋さんへ。
お腹も減った。。。
朝食から、大阪でペットボトルのお茶を飲んだっきりだった。
今の時間に食べたら中途半端。
とりあえず、冷たいコーヒーを頼んだ。
Oさんに、自分なりに作った予定表を見てもらった。
「いいんじゃんない。丁度良い距離かも。haruさんの足では物足りないんじゃない〜。
足が痛くなったり、体調が悪くなったら引き返すか宿で休むのよ。
この暑さだから、水分補給は忘れずにね。1時間歩いたら10分は休むこと。
何か困ったことになったら、いつでもいいから電話を入れるんだよ。」
何度も念を押された。
そして、直ぐに宿へ行くのか聞かれた。
Oさんが迎えに来てくれるとは思っていなかったので、自分なりに計画を立てていた。
初日は移動日。
徳島に着いて、宿へ入るのは未だ早い時間だから、1番札所、霊山寺から1時間くらいのところにある、大麻比古神社へ行くつもりだった。
1時間くらいなら、足慣らしに丁度いいし。
そう言うと、じゃ一緒に行こう。
Oさんが一緒に行ってくれることになった。
本当は夜、一緒に食事って思っていたけど、Oさんは香川県の人。
徳島まで車で直ぐ、って言ってくれたけど、そんなには引き止められない。
今日だって、私のために時間を作ってくれている。
これから、毎年会えるのだから、食事会はいつかだね。
大麻比古神社へ行く途中、郵便局へ寄って明日からの賽銭の両替。
¥10,000-を100玉に替えてもらった。
これで又、荷物が重くなった。。。(^_^;)
大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)
徳島県鳴門市大麻町にある神社。
農業、産業の守り神であり、交通安全、厄除けの神。
式内社(名神大)、阿波国一宮で、旧社格は国幣中社。
「大麻さん」と呼ばれ、阿波国・淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集める。
大麻比古神を主祭神とし、猿田彦大神を配祀する。
大麻比古神は天太玉命(あまのふとだま)のこととされる。
天太玉命の子孫の天富命(あめのとみのみこと)が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻楮の種を播殖するなどしてこの地を開拓、祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのに始まると伝える。
後に、古くから大麻山に祀られていた猿田彦大神を合祀したという。
延喜式神名帳では名神大社に列し、享保4年(1719年)には最高位の正一位の神階を受けた。
明治6年に国幣中社に列した。
祭神は、明治以前は猿田彦命と阿波忌部氏の祖の天日鷲命としていたが、明治以後は古伝に基づいて天太玉命とされた。
天太玉命(あまのふとだま)は、天照大神が天岩戸に籠られたときに白和幣(しろにぎて)を納めて祝詞を奏上した神である。
その白和幣を作ったのは天日鷲神(あめのひわしのかみ)で、麻殖神(をゑのかみ)とも呼ばれ、徳島市の忌部(いんべ)神社にまつられ、阿波の忌部氏の先祖とされる。
忌部氏は中臣氏とともに大和で宮廷祭祀を司り、紀伊、讃岐、出雲などに移住した忌部一族は、祭祀の神宝や神具を調製した。
PM3:40
大麻比古神社。


坂東川に架かる谷川橋。






御神木の大楠。




神社の作法は、二拝二拍手一拝だったっけー?
と、二人でごそごそ言ってたら、
宮司さんが「そうです。二拝二拍手一拝ですよ。」と教えてくれた(^_^;)
明日からの遍路が無事に回れますよう、お願いしてきた。

駅前で待っていてくれたOさんと、まずは冷たいものをと駅前のお茶屋さんへ。
お腹も減った。。。
朝食から、大阪でペットボトルのお茶を飲んだっきりだった。
今の時間に食べたら中途半端。
とりあえず、冷たいコーヒーを頼んだ。
Oさんに、自分なりに作った予定表を見てもらった。
「いいんじゃんない。丁度良い距離かも。haruさんの足では物足りないんじゃない〜。
足が痛くなったり、体調が悪くなったら引き返すか宿で休むのよ。
この暑さだから、水分補給は忘れずにね。1時間歩いたら10分は休むこと。
何か困ったことになったら、いつでもいいから電話を入れるんだよ。」
何度も念を押された。
そして、直ぐに宿へ行くのか聞かれた。
Oさんが迎えに来てくれるとは思っていなかったので、自分なりに計画を立てていた。
初日は移動日。
徳島に着いて、宿へ入るのは未だ早い時間だから、1番札所、霊山寺から1時間くらいのところにある、大麻比古神社へ行くつもりだった。
1時間くらいなら、足慣らしに丁度いいし。
そう言うと、じゃ一緒に行こう。
Oさんが一緒に行ってくれることになった。
本当は夜、一緒に食事って思っていたけど、Oさんは香川県の人。
徳島まで車で直ぐ、って言ってくれたけど、そんなには引き止められない。
今日だって、私のために時間を作ってくれている。
これから、毎年会えるのだから、食事会はいつかだね。
大麻比古神社へ行く途中、郵便局へ寄って明日からの賽銭の両替。
¥10,000-を100玉に替えてもらった。
これで又、荷物が重くなった。。。(^_^;)
大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)
徳島県鳴門市大麻町にある神社。
農業、産業の守り神であり、交通安全、厄除けの神。
式内社(名神大)、阿波国一宮で、旧社格は国幣中社。
「大麻さん」と呼ばれ、阿波国・淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集める。
大麻比古神を主祭神とし、猿田彦大神を配祀する。
大麻比古神は天太玉命(あまのふとだま)のこととされる。
天太玉命の子孫の天富命(あめのとみのみこと)が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻楮の種を播殖するなどしてこの地を開拓、祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのに始まると伝える。
後に、古くから大麻山に祀られていた猿田彦大神を合祀したという。
延喜式神名帳では名神大社に列し、享保4年(1719年)には最高位の正一位の神階を受けた。
明治6年に国幣中社に列した。
祭神は、明治以前は猿田彦命と阿波忌部氏の祖の天日鷲命としていたが、明治以後は古伝に基づいて天太玉命とされた。
天太玉命(あまのふとだま)は、天照大神が天岩戸に籠られたときに白和幣(しろにぎて)を納めて祝詞を奏上した神である。
その白和幣を作ったのは天日鷲神(あめのひわしのかみ)で、麻殖神(をゑのかみ)とも呼ばれ、徳島市の忌部(いんべ)神社にまつられ、阿波の忌部氏の先祖とされる。
忌部氏は中臣氏とともに大和で宮廷祭祀を司り、紀伊、讃岐、出雲などに移住した忌部一族は、祭祀の神宝や神具を調製した。
PM3:40
大麻比古神社。


坂東川に架かる谷川橋。






御神木の大楠。




神社の作法は、二拝二拍手一拝だったっけー?
と、二人でごそごそ言ってたら、
宮司さんが「そうです。二拝二拍手一拝ですよ。」と教えてくれた(^_^;)
明日からの遍路が無事に回れますよう、お願いしてきた。

AM10:40 大窪寺を後に高野山へ向かう。
R377から白鳥大内ICへ。
香川から徳島市内を走り鳴門市。
徳島市内に入ると3番金泉寺、2番極楽寺、1番霊前寺がこっちだよと言われ車の窓から振り返って見ていた。
鳴門海峡を渡り淡路島を通過。
あ〜今、淡路島を通っている。ここにタックさん、くうらさんがおられるんだ。。
四国へ入ってから、淡路島のくうらさんと何度か携帯でお話していた。
徳島まで会いにきてくださると言ってくれたけど、結局時間がなく逢えなかった。
この次、いつかタックさん、くうらさんともお会いできる。
淡路島へ来るときがあるかもしれない。
そのときは、よろしくお願いします〜。
陽ちゃん、幸ちゃんと遊ばせてください。
淡路島は綺麗な青空だった。
遠ざかる四国の山並みを何度も何度も振り返る。
この次はいつだろう。
ここを通るのはいつになるだろう。
この風景、忘れないから。
PM12:30
明石大橋サービスエリアで昼食休憩。
お土産売り場と広い食堂。
四国で毎日食べていた讃岐うどん。
うどんを頼んだらワカメが入っていた。
四国ではワカメは入っていなかったのに、橋を渡ったら、うどんのトッピングが変わっていた。

食堂の大きな窓から、通ってきた明石海峡、明石大橋が見えた。


PM3:10 和歌山ICを降りR24を走り紀ノ川の麓で休憩。

PM3:40

PM3:50

ここから山越えし高野山へ。
R377から白鳥大内ICへ。
香川から徳島市内を走り鳴門市。
徳島市内に入ると3番金泉寺、2番極楽寺、1番霊前寺がこっちだよと言われ車の窓から振り返って見ていた。
鳴門海峡を渡り淡路島を通過。
あ〜今、淡路島を通っている。ここにタックさん、くうらさんがおられるんだ。。
四国へ入ってから、淡路島のくうらさんと何度か携帯でお話していた。
徳島まで会いにきてくださると言ってくれたけど、結局時間がなく逢えなかった。
この次、いつかタックさん、くうらさんともお会いできる。
淡路島へ来るときがあるかもしれない。
そのときは、よろしくお願いします〜。
陽ちゃん、幸ちゃんと遊ばせてください。
淡路島は綺麗な青空だった。
遠ざかる四国の山並みを何度も何度も振り返る。
この次はいつだろう。
ここを通るのはいつになるだろう。
この風景、忘れないから。
PM12:30
明石大橋サービスエリアで昼食休憩。
お土産売り場と広い食堂。
四国で毎日食べていた讃岐うどん。
うどんを頼んだらワカメが入っていた。
四国ではワカメは入っていなかったのに、橋を渡ったら、うどんのトッピングが変わっていた。

食堂の大きな窓から、通ってきた明石海峡、明石大橋が見えた。


PM3:10 和歌山ICを降りR24を走り紀ノ川の麓で休憩。

PM3:40

PM3:50

ここから山越えし高野山へ。







