アランと一緒に四国遍路。

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天赦園
10月24日


       国指定文化財・天赦園(てんしゃえん)春雨亭(書室)

宇和島伊達家八代当主、愛書家としても有名な春山が余生を楽しみながら、この書屋で書道を研鑽し、数多くの貴重な書を残し穏やかな時を過ごし書道を愛し、明治22年、百歳の天寿をまっとうした。
  
       鉄釘を一切使用していない構造の貴重な建物。




池越しの春雨亭 。
春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

永久保存用ポスト。
日本国民から長い間心のかけ橋として親しまれたなつかしい赤い郵便ポスト永久保存のため宇和島郵便局より贈られた。
永久保存用ポスト

天赦園に隣接した食事処さがので昼食。
部屋はすべて個室となっていて窓越しから美しい庭園を眺めながら食事ができる。
レジへ行くと11時から14時に食事をすると天赦園の無料入場券がサービスされるとのことでしたが既に私は見学済み。。。
食事処さがの





天赦園
10月24日


       天赦園(てんしゃえん)



枯川(説明版)
前方に見える枯川は遥に徒耳えております。
鬼ヶ城山(当園の借景)より流れる川が宇和島湾にそそぐ壮大な姿を枯流の中に二個の水分石、石橋を配する等の技法に工夫を凝らしています。
枯川

枯川・鬼ヶ城山を借景。
枯川

菩提樹。
菩提樹

昭和天皇御手植 高野槙。
昭和天皇御手植 高野槙

仰竜梅 (説明板)
政宗公が岩出山城に居城した時代(1591年~1601年)秀吉の命により文禄の役に出陣した際、朝鮮の風土でたくましく延びた枝が地面に接して根を張り、その姿が竜に似ているので、その稚苗を持ち帰り植栽され「臥竜梅」と名付けられました。
その後、仙台城に移され今日まで幾星霜の樹齢を重ね大樹となり、昭和12年国の天然記念物の指定を受けました。
この臥竜梅は仙台市養種園技術者の一員として、保護対策に活躍された岩出山町出身の宇和野三男氏(仙台市泉区)の実家宇和野興一氏(岩出山町字大学町27で二十数年育てたもの)で、現在瑞鳳殿に植栽されている臥竜梅と兄弟木です。
    宇和島市  岩出山町
両市の歴史姉妹都市締結に伴い平成11年11月吉日交流事業として記念のため植樹。
仰竜梅

天赦園の中でも印象的な池。
園内のいろいろな所に春山の意趣が凝らされている。
池には鯉や鴨の姿も見られ、春夏秋冬に違った景色が楽しめる。
池

孝行竹とも呼ばれるボニスホウ竹。
ボニスホウ竹

天赦園

天赦園の中心に位置している書院式の茶室・潜渕館(せんえんかん)。
事前に申し出れば中で茶会を催すことも出来るそうです。
潜渕館(茶室)

大正11年昭和天皇が皇太子の時、天赦園御成の際御座所に当てられた由緒ある建物。
潜渕館(茶室)




天赦園(てんしゃえん)
10月24日


       天赦園(てんしゃえん)

七代藩主、伊達宗紀(むねただ)(春山)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園。
名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ漢詩から採ったもの。

     馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
     残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん

天赦炎の面積は11240平方メートルを有する池泉廻遊式庭園。
昭和43年に「名勝」の国指定。

池庭護岸や東南部の石組みには陰陽石の扱いが見受けられ、三尊石組、立石と天平石の組合せ等心を楽しませるものがある。
芝生の南部には枯滝石組と枯流石組があり、枯流の中に二個の水分石が用いられ両岸に臥牛石、虎吠石等が対立し壮言な竹林を背景として静かな佇まいを見せている。

園西側を西国浄土に見立て、そこから園を見守る三尊石。
白藤太鼓橋はその浄土の世界へ渡る「虹の掛橋」。
枯川上流に故郷仙台を想い、鬼ヶ城に降る雨は枯川を流れ時の流れと共に池へと注がれる・・・
子孫繁栄を願って配されている陰陽石。
天赦園を構成する石や木々たちは様々な形で訪れる人たちに色々なメッセージを伝えようとしている。



天赦園入り口。
天赦園

天赦園

天赦園 園内案内図。
天赦園

天赦園

紫陽花
  「あちさいの花のふ可きに寿む月乃
    可けも程うきみちか夜のそら    秀宗」

この句は宇和島伊達家初代藩主秀宗が紫陽花に実が出来ないことを我が子の短命なことと重ね合わせ詠んだ歌として伝わっている。
天赦園

七代春山が伊達家の紋章「竹に雀」にちなみ竹を愛し園内には22種の竹や笹が植栽された。
金明竹、孟宗竹、黒竹、四方竹、亀甲竹、泰山竹、蓬莱竹、熊笹、オカメ笹等竹類が園内各所に配されている。

「養老の滝」「四方竹」
天赦園

「養老の滝」
天赦園

守護石(三尊石)
天赦園

天赦園

天赦園

太鼓橋式の藤棚に架かる白玉藤。
天赦園

天赦園

天赦園

東屋。
天赦園




宇和島市内
10月24日


        伊達博物館

         伊達家ゆかりの資料を展示する博物館。



宇和島城上り立ち門から左へ行く。
信号を渡り左、真っ直ぐ進むと学校。
学校の脇を通って行くと角に伊達博物館があった。
博物館の向かいに天赦園がある。
先に伊達博物館へ行く。

AM10:15
伊達博物館。

北に国指定重要文化財「宇和島城天守閣」を望む旧藩邸偕楽園跡にある。
伊達博物館

幕末四賢候と称された八代藩主伊達宗城像。
宇和島藩は伊達政宗の長子、初代秀宗(ひでむね)から9代宗徳(むねえ)まで続き、早くから文化・産業が発展した。

賢侯のきこえ高く内政の充実はもちろん、幕末政局多端に際しては松平慶永・山内豊信・島津斉彬らとともにおおいに活躍、中央との交流も盛んに行われた。
また勝海舟や高野長英などと交わされた他には例のない貴重な書簡がたくさん残されている。

八代藩主・伊達宗城の像


偕楽園跡。
昔の大規模な回遊式庭園。


かつては豊富な清流を取り込んだ大規模な庭園。
年代を経た樹木と石組のバランスが素晴らしく縁起のよい祝儀の庭「鶴亀」の庭園形式が組み入れられている。
偕楽園跡

近代的な建物、入り口は自動ドア。
伊達博物館

展示室入り口の扉にある「竹にすずめ」の伊達家の紋章。
展示室内は撮影禁止、写真を撮れるのは此処まででした。
伊達博物館

掛け軸や古文書、金蒔絵が施された化粧道具、第9代の正室が輿入れの際に乗った女乗物など大名ならではの収蔵品や豊臣秀吉の肖像画も展示されている。
館内は第一展示室から第三展示室に分かれていて、それぞれのテーマに沿って展示がされている。

第一展示室は武具を中心とした展示となっていて既に実戦用としての意味を持たなくなっていたこの頃の武具は細工も精緻で、豪華絢爛という言葉がふさわしいものばかり。
意匠を凝らした歴代藩主の具足、蒔絵の鞍・鐙(あぶみ)なども見ることができる。
9代藩主宗徳の正室として佳姫(秋田・佐竹家)が輿入れの際に使用した女乗り物は、外は黒漆に月丸扇紋散らしの金蒔絵、中は松竹梅や鶴亀の模様が描かれた当時の最高技術をもって作られたもの。

第二展示室は「幽玄の美」をテーマに、能・狂言の面や絵を中心に展示されている。
様々な表情の能面が展示され、どれも活き活きとして命が宿っているかのように見える。
狂言の最高秘曲の「釣狐」に用いられる専用の「狐」面など滅多に観る機会のないみごとな品々が揃っている。

「伊達の雅」をテーマに、日常使われる生活道具や書・香・茶の道具などを展示しているのが第三展示室になっている。

歴代の藩主の順に甲冑は並べられ大きいものや小振りなものもあり、その人物の体型などを想像しながら見て回った。
伊達政宗の甲冑の兜には三日月を伸ばしたような飾りがついていて横に、馬上少年過、から始まる有名な漢詩「酔余口号(すいよこうごう)」があった。

展示されている宇和島伊達藩の家系図を見ると、伊達政宗の長男・秀宗(1591-1658)が宇和島藩祖。
長男だけど、嫡子ではないとのこと。
6歳で豊臣秀吉の養子となり、「秀」の一字をもらって元服と書いてある。

実は私、宇和島伊達藩の藩祖が、かの有名な伊達政宗の長男(秀宗)であると言うことを宇和島城の説明書を読むまで知りませんでした。
仙台からこんなに離れた宇和島に何で伊達博物館があるのだろう?って不思議に思っていたんです…
帰ったら宇和島伊達藩の家系図を見ながら日本史をもう一度勉強し直す予定。。。(^_^;)


宇和島市内
10月24日


       宇和島城上り立ち門



7時起床。久し振りのゆっくりの朝。
洗面トイレを済ませ着替え、8時に2階のカフェで朝食。
今日もいい天気。ガラス窓から綺麗な青空が見える。
朝食後別料金でコーヒーを飲む。
自販機のコーヒーより淹れたてのコーヒーはやっぱり美味しい。

土産は昨日送ったが伊予と言えばやはりミカン。
商店街の果物屋さんからミカンを送ろうかー?
カフェの人に、ミカンを送りたいのでと果物屋さんの場所を聞く。
「それなら此処から近くの”みなみくん”で買ったらいいですよ。送ることも出来るしミカンから魚、野菜何でもあるし安くて新鮮!地元の人はみんなここで買いますよ。」
みなみくん。。。なんだろうー?

窓ガラスの所から指差し、
「川沿いにこの道を真っ直ぐ行き、大きな道路を渡ると直ぐですよ。ほら、あそこに黄色い旗が見えるでしょう。」
”みなみくん”へ行ってみることにした。
フロントへ行き、みなみくんへ行って1日観光してきますと鍵を預けた。

ホテルを出て川に沿って黄色い旗を目印に真っ直ぐ。
”みなみくん”はJA直営の特産品センターの販売所のようだ。
広い駐車場から建物の中に入ると、切花や魚介類、宇和島銘菓やジャコ天、カマボコ、餅に赤飯、お弁当、果物、いろんな品物が並んでいた。
安くて新鮮、地元の買い物客で大賑わい。
果物コーナーの脇にミカンの箱が山積みされている。
1箱2,000-。

JAマークの入ったジャンパーを着たお兄さんにミカン甘いですか?一応尋ねてみる。
甘いですよ~!当然の答えが返ってきた。
ミカン5箱を送ってもらう。

土産は済んだ。さぁこれから市内観光だ。
その前に明日のバスチケットを買っておこう。
来た道を引き返しホテルの前を通り広い道路に出て橋を渡りバスセンターに行く。
明日の大阪行きの高速バスチケット買った。

地図を見ながら広い道路へ出る。
駅と反対方向、南の方向へ行く。
和霊神社から右に曲がりリージェントホテルの建物を見ながら国号56号を進むと宇和島城の門のところに出た。

昨日登った城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門の丁度反対側になる南側に上り立ち門があった。
昨日とは違う南登山口から城山へ登ってみることにした。

AM9:30
城山の南側、国道56号線に面した登り口、上り立ち門と宇和島市出身の児島惟謙(こじまこれかた)の像。

児島惟謙(こじまこれかた)
1891年(明治24年)に大津市で来日中のロシア皇太子が警備の警察官に切りつけられた「大津事件」の際、死刑にすべきだという声に対して司法の独立を守った大審院長。
上り立ち門と児島惟謙像

南麓搦め手口の薬医門。
宇和島市有形文化財指定。
この先本丸まで石段が続き、往時には天守まで7つの門構えがあった。
上り立ち門

市指定有形文化財 宇和島城上り立ち門説明版。
宇和島城上り立ち門説明版

宇和島城沿革説明板。
宇和島城沿革説明板

門を入って石段を少し登ると城跡整備調査の説明版。
城跡整備調査図

雷門跡。
搦め手のルートは本丸の西側を北へ向かい長門丸から本丸の東側へ回り、大手門からのルートと合流するがその先は昨日登ったので公園への道へ行く。
雷門跡

長門丸 北角矢倉跡。
長門丸 北角矢倉跡

トイレ、自販機、遊具、休憩所が設置されている。
首にタオルを巻いて走ってる人や朝散歩の地元の人たちを眺めながら自販機で買った冷たいお茶を飲んでベンチで一休み。
公園休憩所




宇和島にて
10月23日

宇和島城天守閣を見学し4時少し過ぎにホテルに戻った。
2階のフロントへ行くと受付の女の人が代わっていた。

名前を言って宿泊カードに記帳。
料金を前払いし部屋の鍵を受け取る。

ビジネスホテルなので食事は付いていないが朝食はフロント前のカフェで和食と洋食のどちらか予約出来るそうだ。
バスセンターにも近いし別のホテルに移動するのも面倒。
部屋があるなら連泊したいと尋ねるとOKだった。
2日分の料金と朝食を予約した。

パークホテル ¥10,100-
2泊 ¥9,000- @4,500-×2
朝食 ¥1,100- @550-×2

フロントに置いてある市内観光の名所が載った地図を貰う。
夕食、近くで美味しいお店を尋ねると料金が手ごろな「郷土料理ほづみ亭」を教えてくれた。
女の人が地図にマーカーで道順を入れてくれた。
ホテルから広い道路に出て真っ直ぐ行くとアーケードの商店街。
その商店街を突っ切ってもう一つ小路を抜けた角。

部屋は4階、シングル。荷物は部屋に置かれていた。
ザックの中身を整理しバスタブに湯を張る。
本家とあーちゃんpapaに宇和島に着いたと連絡の後、土佐清水のYさんに電話した。

Yさんは何度も帰る前にもう一度会いたい、迎えに行くから土佐清水に来てくれと言ってくれた。
本当に嬉しかった。
必ず会いに来ますとYさんと約束をした。

お風呂に入り髪を洗ってドライヤーで髪を乾かし下着や小物を洗う。
ハンガーに掛け洗面所のドアに掛けておけば空調が効いているので一晩で乾くだろう。
夕食に出かけるまでベッドで横になった。

7時過ぎ着替えて教えてもらったほづみ亭に夕食を食べに出かけた。
商店街のアーケードを通ったとき浴衣を着たお相撲さんに会った。
本物の力士さんを見たのは始めて。
大きな体をゆっさゆっさと揺らしながら歩いていた。

ほづみ亭は混んでいた。
カウンターの一番端が空いてたので隣のおじさんにちょこんと頭を下げ座った。
まずは生ビール(笑)それとジャコ天だね。
メニューを見ててもわからないのでカウンターの中の一番若い板さんにお勧めを選んでもらった。

隣のおじさんが話し掛けてきた。
松山から出張で駅前のホテルに泊まっているそうだ。
「ここの料理はどれも美味しいよ。私は出張で年に何回かしか来ないけど来れば必ず此処に寄るんだ。此処の鯛めしは絶品だよ。」
アツアツのジャコ天を食べながらそうですかと相槌を打つ。
「一人旅なの?どちらから来られたの?」
はぁ。。一人旅です。新潟です。
「へぇ~新潟からとは遠くからのお客さんだね。○○くん(板さんの名前)こちら新潟から来たんだってよ。ほづみもいよいよ全国版だね (笑)」

2時間くらいおじさんや若い板さんとおしゃべりして楽しい時間を過ごした。
お腹一杯美味しい料理を食べて飲んで3,000-ちょっとだった。
ジャコ天と鯛めし、とても美味しかった。

お店の外で若いカップルが写真を撮っていた。
ほづみ亭、地元でも有名なお店のようだ。

帰り道、空を見上げると満月が出ていた。
あ~。。今夜は十三夜なんだね。
まん丸お月さんを眺めながらホテルに戻った。



宇和島城
10月23日


        宇和島城

       鶴島城と呼ばれる秀麗な天守閣は、当時のまま現存する貴重なもの。



街の中央、海抜約80メートルの城山に三重三層の天守閣を頂く宇和島城は、その均整のとれた美しさから別名鶴島城と呼ばれている。
築城以来約400年の歳月を経て、現存する12ヶ所の天守閣のうちでも江戸時代様式を留める貴重なものとして国の重要文化財に指定。
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされている。
城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられる。

高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。
2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。
その姿を現在に残している。

天守閣は、独立式で三層三階本瓦葺き、荘重な白壁の総塗りごめ造り。
正面最上層の屋根に唐破風、二層に大型の千鳥破風、その下に二つの千鳥破風を並べ最下層にこれらの総てを受けた玄関に大型の唐破風がある。
これらは各層の屋根とよく調和して、美しい姿と安定感をもち、江戸時代初期の貴重な天守となっている。

昭和24年1月、城山の大部分と天守は伊達家より宇和島市寄付され、市の管理に属した。同35年10月天守は国の文化財保護委員会(現文化庁)の許可を得、同委員会の指導監督の下に解体修理を行い、同37年10月をもって新装の姿を復元した。

宇和島伊達家は、江戸時代はこの地を動くことなく明治を迎えた。 
8代宗城は、幕末から明治維新にかけて活躍した名君として知られている。

平定の世造営のため、櫓や小天守などを持たない単独で、狭間・石落しなども無く、鯱・破風屋根・連子窓が均衡を保ち、玄関を右寄りにして装飾性を強調した外観となっている。

宇和島城天守閣

玄関。
城内入り口

受付。
受付

1階広間。
城内

天守閣1階広間におかれている 天守閣の模型。
木組み・屋根などの構造を見ることが出来る。
城の模型

城の模型

天守閣2階への梯子階段。
2階へ

1階から2階へ中間に踊り場がある。
周りは障子窓となっている天守閣二階の広間。
2階

最上階の内部。
1960年10月から丸3年がかりで行われた解体修理の際の記録写真や、寛文年間の棟札、シロアリに浸食された柱などが展示されていた。
最上階

最上階

北東側の市内中心部の眺め。
北東側の市内中心部

上から見るとよくわかる急な梯子階段。
2階への急な階段

急な階段

天守閣内の1階武者走り廊下。
1階城内




宇和島城
10月23日


       宇和島城



三之門跡への石段。
三之門跡への石段

三之門跡。
三之門跡

二之門跡。
二之門跡

二之丸跡。
二之丸跡

二之丸入り口辺りから見た天守閣と石垣。
二之丸入り口辺りから見た天守閣と石垣

二之丸から天守閣への石段。
本丸への上り口はここしかない。
二之丸から天守閣への石段

一之門跡(櫛型門)。
二之門跡から本丸跡への石段を上りきったところにある。
この門から入らなければ本丸には入れない仕組みになっていて、門の構造も櫛型になっていて敵が侵入し難い造りになっている。
一之門跡(櫛型門)

山頂に造ったにしては、かなりの広さで平地化するのには相当の労力が要したのだろうと想像できる。
樹木が適当な配置で植えられている。
国指定史跡宇和島城石碑

宇和島湾。
宇和島港の眺め

御大所跡(御台所)。
御大所跡(御台所)

鉄砲矢倉跡。
鉄砲矢倉跡

宇和島城天守閣。
宇和島城




宇和島城
10月23日


       宇和島城



城山郷土館(山里倉庫)。
幕末四賢侯の一人、八代伊達宗城の時代に建造された山里倉庫は現在内部は郷土館として公開されている。。
城山の中腹北側あたりにあり、1845年の建造。
旧幕府時代宇和島城内の調練場の一廓にあり、武器庫に使用されていた。  
城山郷土館

城山郷土館

当時使用されていた道具類等多くの備品が陳列されている。
貴重な資料、民具類を展示して宇和島に現存する唯一の歴史的建物だそうです。
今は郷土館に変わり、入場無料。
館長さんが展示されている道具類一つ一つを説明してくれました。 
山里倉庫(城山郷土館)

穂積陳重、八束兄弟の生家長屋門。
城山の中腹、北側にある城山郷土館(山里倉庫)の隣にある。
明治時代の法学者で宇和島藩士の出身。
東京帝国大学教授で、この建物は兄弟が幼年期の頃過ごした建物。
穂積陳重 八束兄弟の生家長屋門

城山郷土館(山里倉庫)展示品。
山里倉庫(城山郷土館)

城山郷土館内

伊達博物館に綺麗に保存された当時の駕籠が展示されているので是非見てくるよう薦めてくれました。
城山郷土館

城山郷土館 駕籠

城山郷土館

城山郷土館 牛鬼 

城山郷土館

親切な館長さんにお写真をとカメラを向けたら照れておられました。
城山郷土館




宇和島城
10月23日


        宇和島城



城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門。
市の文化財指定。
現在は間口15メートルですが、本来は35メートルの堂々たるものだったそうです。
かつては南登山口から天守に至るまでに7つの門があったが、現在残っているのは上り(のぼり)立ち門(市指定文化財)のみ。
長屋門をくぐると、雑草に被われ苔むした石段が本丸へと続いていく。
桑折氏武家長屋門

宇和島城の沿革

長屋門を入ってから最初の上り石段。
攻め難くするために、一つ一つの高さ(蹴上げ)や石型が不揃いで、傾斜もきつくした石段が続く。
城山北登山道

城山北登山道 

城山北登山道 

急な上り階段を突き進み、井戸丸跡径由天守閣へと進む。
城山北登山道 

井戸丸跡。
この井戸は現在の城山に残る三つの井戸のうち、最も重要視されたものといわれている。
井戸丸門、井戸丸矢倉等があって、有事の時の為、厳重に管理されていたとの事。
井戸の直径2.4m、周囲8.5m、深さ11m。
この位置は城山の北側の谷の中腹、三の丸からの上り道にあたり数少ない城山の遺構の一つ。 
井戸丸跡

井戸

城山北登山道 



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