アランと一緒に四国遍路。

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9月28日 より道2 バルトの楽園・BANDOロケ村
PM4:10
大麻比古神社から直ぐ近くに、バルトの楽園のロケ跡があるから見に行こう、と連れて行ってもらった。
駐車場の観光バスの隣に車を止め歩いて行くと、幟や映画ポスターがずらりと並んでいた。

Oさんが入場料を二人分払ってくれロケ村の見学。
暮れになると必ず聞かれる「第九」の交響楽が流れていた。

第一次世界大戦
収容所の中で芽生えた奇跡。
ドイツ兵と坂東の人びととのあたたかな交流がここに。。。

総工費3億円。6ヶ月もの期間をかけて建設されたセットは、大麻山の自然に溶け込んでいた。
ロケ村に一歩足を踏み入れると、大正時代にタイムスリップ。

2005年11月10日~12月23日、この場所で「バルトの楽園」のロケが行われた。
映画作りに取り組む松平健さんをはじめとする豪華俳優人やスタッフ、ドイツ兵エキストラを、多くの県民や市民ボランティアが「もてなしの心」でサポート。
大正時代に、ここ坂東の地で繰り広げられた国境を越えた心温まる交流は、現在でも「地域の誇り」として息づいている。
バルトの楽園

バルトの楽園

平和へのシンフォニーとして年末の風物詩となっている「第九」交響楽は、1918年6月1日、坂東俘虜収容所内でドイツ兵俘虜によりアジアで始めて演奏された。
この史実に基づいて、BANDOロケ村は「歓喜の郷」と名付けられた。
バルトの楽園

バルトの楽園 Story
1914年。第一次世界大戦で日本軍は、3万の大軍を送り込み、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。
ドイツ兵4700人が捕虜として送還され、日本各地にある俘虜収容所に収められる事となる。
厳しい待遇が当然な俘虜収容所の中で奇跡のような収容所が徳島県鳴門市の板東に存在した。
板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、ハーグ条約に則りドイツ人捕虜達の人権を遵守し、ドイツ人俘虜収容所としては例のない寛容な待遇をさせた。
ドイツ人の捕虜達は、言語・習慣・文化の異なる地域住民と民族を越えた素朴な人間愛を育みながら収容所での生活を送る。
そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。
自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めて『交響曲第九番歓喜の歌』を演奏することに挑戦したのであった。

「バルトの楽園・BANDOロケ村」Aran's Homepege iroiro ウェブアルバムにアップしています。
尚、ウェブアルバムは画面最大をお薦めします。
画面が最小のままですと、ENTER、写真説明(コメント等)が見えません。

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