アランと一緒に四国遍路。

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金剛峯寺 高野山2
真言宗総本山  金剛峯寺。

金剛峯寺の名称は弘法大師が、金剛峯楼閣一切瑜玲伽瑜砥経の深意を象徴するものとして命名され、高野山一山の総称。
文禄2年(2593)豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立、更に文久3年(1863)再建されたのが現在の建物。
明治2年、金剛峯寺と改称されるまで青巌寺と呼ばれていた。
大主殿(東西54米南北63米=和歌山県重要文化財)のほか、別殿・新別殿・奥琴新書院・茶室 阿字観道場・経蔵・鐘楼・後庭に伝燈国師廟・護摩堂等が並び輪奥の美をなしている。
現在の金剛峯寺は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、高野山全体を総轄する伝統はそのままここに残され、又、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司どる宗務所があって全国及び海外の末寺四千ヶ寺の行政を統べ、1000万大師信徒の信仰の中心となっている。
(高野山・金剛峯寺公式サイトより)

金剛峯寺

金剛峯寺

山門。
山門

金剛峯寺主殿。
金剛峯寺

金剛峯寺

金堂。
金堂

金剛峯寺

大塔の鐘。
天正16年(1547)に改鋳されて以来400年間、伽藍の法会時刻を報ずるほか、明け暮れの六つどき、昼の1時、夜9時、11時と:日夜山内に音を伝えている。
この鐘は直径2m以上あり、日本で4番目の大きさを誇ることから「高野四郎」とも呼ばれている。
大塔の鐘 高野四郎

根本大塔(こんぽんだいとう)。
形容及び内部の装厳など真言密教の根本理念を表徴することから根本大塔と呼ばれる。
高さ約50m、虚空にそびえる丹色の姿は壮麗の一言。
根本大塔

御影堂(みえいどう)。
弘化4年(1847)、紀伊徳川公が壇主となり再建。
本尊には真如親王が写し給える弘法大師の御影を祀る。
御影堂

御影堂

不動堂

根本大塔。
根本大塔


高野山の伝説。
一つ。高野にハブなし。
昔は高野山にも大蛇のような毒蛇がたくさんいたそうで、参詣人を見つけると襲いかかってきた。
これを聞いた大師はたいへん嘆き、竹のホウキでこの大蛇を封じ込め、再び竹のホウキを使う時代になれば封じを解くと約束された。

二つ。高野に臼なし。
豊臣秀吉が、割りがゆを所望した時、住職とのやりとりで、
「山に臼はないのか」と言う秀吉に住職は、
「はい。女人禁制の山に杵はたくさんありますが、臼はひとつもありません」と答え、機転に満ちた対応に秀吉は上機嫌だったとか。

三つ。姿見の井戸。
奥の院の参道、中の橋の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂がある。
その右側にある小さな井戸は姿見の井戸と呼ばれ、この井戸をのぞき込んで自分の顔が映らないと3年以内に死んでしまうといわれている。

四つ。高野の大雨。
開創以来、魚肉を禁じていたので、肉食愛好の異人さんが登山すると大師はお山を洗い清めた。
また、毎年御影供の翌日には不浄を流し清めるために大雨が降るとか。

五つ。玉川の魚。
玉川のほとりで小魚を捕り、串刺にして焼いて食べようとしていた山男を見つけた大師は、小魚を買い取り、清流に離してやった。
すると、死んでいたはずの小魚がすいすいと泳ぎはじめたので、男は殺生の罪を悔い、魚を捕るのをやめた。
小魚の斑点は串の跡といわれ、今でもお山の人はこの魚を食べない。

六つ。杖が藪。
大師が京からの帰り道、それまで杖に使っていた竹の棒をもういらないと思い、道端にさしこんだ。
その逆さまの竹の棒がやがて根をつけ枝をはり、葉をつけて大きな竹藪になった。

七つ。覚鑁坂(かくばんざか)。
奥の院参道の、中の橋を渡ってすぐさしかかる石段は、覚鑁坂と呼ばれている。
途中で転ぶと3年ともたないとか。
そのために、ここの石畳は42(死に)を越えるという意味で43段になっている。

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金剛峯寺について-トラベルランナーズ
金剛峯寺金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町 (和歌山県)|高野町高野山にある、高野山真言宗総本山の寺院である。高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000メートル級の山々に囲まれた標高約800メートルの平坦地に位置する。百か寺以上の寺院が密集する、日本で  [続きを読む]
トラベルランナーズ 2007/03/12/Mon 16:11
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