アランと一緒に四国遍路。

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87番 長尾寺(ながおじ)
AM9:00
87番 長尾寺(ながおじ)
天平11年(739)、道端の柳の木で聖観音像を彫り安置したのが始まりといわれている。
のちに、弘法大師が入唐にあたり唐での無事と成功を祈願し年頭七夜の護摩修行を行った。
帰朝後、入唐の大願成就を感謝し大日経一字一石の供養塔を建立した。
その後、度重なる戦乱に巻き込まれ焼失したが、不思議にも本尊だけは焼け残った。
江戸時代には高松藩主松平頼重により厚い庇護を受け、松平家の祈願所となった。
葵の紋が入った香炉や松平家、別邸の栗林公園から移築された東門が残っている。
頼重の命によって天台宗に改宗し隆盛を極めた。
本尊の聖観世音菩薩は当国七観音随一と称されている。

結願の寺、大窪寺への道標。
結願の寺への道標

境内中からの撮影した山門。
仁王門表の左右の柱に大わらじが奉納されている。
長尾寺山門

本堂前。
山門から広い境内、正面に本堂、右手に大師堂、その奥に薬師如来、左手に護摩堂がある。
長尾寺本堂

長尾寺本堂

松平頼重により立てたれた本堂。
葵の紋入りの丸瓦が残っている。
本尊の聖観音像はたびたびの火災にも無事で、秘仏として祀られている。
松平頼重は讃岐国の観音菩薩7体の中で随一とし、「当国七観音随一」と指定した。
長尾寺本堂

本堂に向かって右側に並んでいる。
大正初期に再建された。
大師堂

静御前の剃髪塚。
義経の愛妾、静御前は義経が亡くなった後、尼になるため剃髪した。
塚にはその髪が埋められている。
24歳で亡くなった静御前の墓はここから2km離れた願勝寺にある。
静御前の剃髪塚


1年に何人か不思議なことに、どこの門からも寺に入れない人がいるという。
激しい吐き気がしたり、めまいが起き、どうしても足を踏み入れることができないと。
逆に長尾寺を出るときも、なかなか出られないことがあるとか。
そのときは、それまで回ってきた札所の真言を唱えると出ることが出来るといわれている。

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