アランと一緒に四国遍路。

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9日目 3月14日 76番 金倉寺(こんぞうじ)
3月14日 
朝食を終え、着替えをしWちゃんとフロントで清算を済ませロビーでAさん、Oさんを待つ。
奥州のおじさんたちを探したが、朝早くに、こんぴら宮へ参拝と言っておられた。
参拝後、出発なさったのだろう会えなかった。
AM8:00少し過ぎ、Oさん運転の車到着。
風が冷たく気温が低い。荷物を積みに外へ出ると寒さでガタガタ震えた。
係りのお姉さん、ホテルの人たちが黄色いハンカチを振りながら見送ってくれた。

AM8:30
76番 金倉寺(こんぞうじ)。
弘法大師の姪を母に持つ、天台宗寺門派の開祖、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)の生誕の地として知られる。
智証大師の祖父・和気道善(わきどうぜん)が奈良時代初めに自分の名をとった善道寺を建立。
その後、唐から帰朝した智証大師が唐の青龍寺を真似て伽藍を整備し、寺名を金倉寺(こんぞうじ)と改めた。
金倉寺

金倉寺(こんぞうじ)。
金倉寺

訶梨帝堂(かりていどう)。
本堂左手の智証大師ゆかりの鬼子母神堂(訶梨帝堂)。
智証大師5歳のとき、訶梨帝母尊(かりていぼそん)が現れ、大師への衛護を伝えたという。
訶梨帝母尊(かりていぼそん)とは鬼子母神のこと。
500人の子供の母親でありながら、いつも人の子供をさらって食べていたので、釈迦如来は鬼子母神が最も可愛がっていた末っ子を隠し、子供を失った母親の辛さを教え、後に仏の一つに加えたという。
訶梨帝堂

金倉寺(こんぞうじ)本堂と境内。
広い境内に楠の大樹が茂る。
正面の小高いところに本堂、右手に常行堂、客殿、庫裏、左手に訶梨帝母堂(鬼子母神)、弘法大師と智証大師の二人を祀る大師堂、鐘楼がある。
金倉寺本堂と境内

金倉寺(こんぞうじ)本堂。
本尊の薬師如来は穏やかな表情で見る者の心を和らげてくれる。
金倉寺本堂

願供養念珠(がんくようねんじゅ)。
願いを掛けながら引いて回すと叶うといわれる大きな念珠。
願供養念珠

金倉寺(こんぞうじ)大師堂。
中央に智証大師像と共に弘法大師像も安置している。
お二人は「讃岐の五大師」に数えられており「大師」の称号を得るということは、僧にとって最高の名誉。
「讃岐の五大師」には、お二人の他、弘法大師と同じ佐伯氏出身の道興(どうこう)、弘法大師の弟子、法光(ほうこう)、修験道の理源(りげん)の五人をいう。
金倉寺大師堂

乃木将軍妻返し松。
乃木希典(のぎまれすけ)の妻、静子夫人が会いに来たが、決して会おうとはしなかった。
途方にくれた夫人が、松の木の下で佇んでいたという「乃木将軍妻返し松」
明治31から34年(1898~1901)善通寺第11師団長として乃木希典が着任、金倉寺(こんぞうじ)の客殿で暮らしていた。
当時生活をしていた客殿の4室に、愛用の軍帽、肖像画、静子夫人からの手紙、収集していた石など、さまざまな遺品が保存されている。
通常は非公開。
乃木将軍妻返し松


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