アランと一緒に四国遍路。

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知ったかぶり その7
金刀比羅宮。
金比羅神宮、正式には金刀比羅宮(ことひらぐう)という。
像頭山(琴平山)にある。
四国の五街道は、かつてすべて金刀比羅宮に通じていた。
瀬戸内海をゆく船からも山の勇姿が望まれ、船行の目印になっていた。
祭神は大物主命で、海の守り神。
後に相殿に崇徳天皇を合祀する。

街の中心部の入り口から本宮まで785段、さらに奥社まで583段ある。
境内までの参道の両側に旅館や土産物屋が軒を並べている。
大門から本宮までの間に円山応挙の障壁画で名高い表書院や重要文化財の旭社(あさひのやしろ)、本宮が建つ。
応挙の作品、50点が重要文化財。
学芸参考館には洋画家の先駆者、高橋由一の名作が28点展示されている。
社務所の近くにある宝仏殿には、金刀比羅宮に奉納された絵馬、書画、骨董、刀剣など多数収蔵されている。
清水次郎長の子分、森の石松が献納したという刀も残っている。
本宮から眼下に讃岐平野が広がっている。

最近注目の旧金刀比羅大芝居の金丸座の看板、幟が目に付く。
金丸座は江戸時代末の劇場建築で現存する最古の劇場。
昭和45年、重要文化財に指定され、10年ほど前に琴平山麓に移築復元された。
舞台、桟敷、照明などすべて江戸時代の形を残している。
移築以来、中村吉右衛門、勘三郎、勘九郎、松本幸四郎らがこの舞台を踏んでいる。
公演は春の年一回、数日だけ。

歴史。
初め、大物主神を祀り、往古は琴平神社と称し、中古、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の影響を受け、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と改称し、永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇を合祀する。
その後、明治元年(1868)に神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止されて元の神社に復り、同年7月に宮号を仰せられ、金刀比羅宮と改称。

大物主神。
大物主神は、国造りの神様として、象頭山の金刀比羅宮に祀られている。
大己貴神(おおなむちのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、大国魂神(おおくにたまのかみ)、顕国魂神(うつしくにたまのかみ)など、多数の名前を持つ神様。
大物主神は、万物を司る神名の通り、五穀豊穣や産業、文化などの繁栄と、国や人々の平安を約束してくれる神様。

崇徳天皇。
崇徳天皇は名前を顕仁(あきひと)、鳥羽天皇の第一皇子として誕生。
後に第75代天皇として即位。
後に讃岐院とも称されたが、天皇になられてから18年後に起きた保元(ほうげん)の乱(1156年)に敗れ、既に即位されていた崇徳天皇は、無念の想いを胸に讃岐の地へ配流。
後の9年の歳月を上皇は讃岐で過ごしたが、長寛2年(1164)、病に倒れ、帰京の夢を果たすことなく配流先の讃岐の地で崩御。御年46歳。
上皇が崩御された翌年の永万元年(1165)、上皇の神霊を祀る。
崇徳天皇が金刀比羅宮でいっさいの欲を断ち切り参籠(おこもり)されたことから、断ち物の祈願所としても信仰されてきた。
病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切り、事が良縁に結ばれるといわれている。

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