アランと一緒に四国遍路。

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82番 根来寺
10月20日  



                  第八十二番札所 青峯山(あおみねざん) 根香寺

弘法大師はこの地に華厳院を建立し、末世衆生のために五大明王を刻み安置された。
五大明王とは、東方・降三世夜叉明王、西方・軍荼利夜叉明王、南方・大威徳夜叉明王、北方・金剛夜叉明王、中央・大日大聖不動明王の五仏。
その後智証大師円珍が、霊木で千手観音を刻み本尊として千手院を創建。

根香寺の本堂は回廊で囲われており、回廊には全国から奉納された3万体を超える観音像が、府県別に並べられている。



仁王門。
根来寺 仁王門
仁王門を潜ると下りの石段があり、前方に二重になった登りの階段が望まれる。
本堂への参道
木々は青々と生い茂り参道を覆っている。
本堂への参道
一度石段を下り緑のなかを潜り抜け次の石段へ。
本堂への参道
さらに本堂への石段を上る。
本堂への石段
石段を上りきると右手に大師堂、左手に納経所、五大堂、中央の階段の上に本堂がある。
本堂の回廊入口
本堂の入口を入ると回廊になっていて中庭の向うに本堂。
本堂の手前に都道府県別にわけられぎっしりと並んだ万躰観音堂があり、コの字型になった建物の中を通って本堂に参拝するようになっている。
回路
本堂。
本堂
本堂。
本堂
本堂。
本堂
大師堂。
大師堂
大師堂。
大師堂
鐘楼。
鐘楼
根来寺に向かう途中、いつの間にか青空が消え、どんよりとした雲が広がり遠くで雷が鳴っていたが参拝を終えて納経所へ入ると雨が降り出した。
ザックに納経帖、線香ロウソクを仕舞い雨具を出そうかと思案してると二人連れの女の人に声を掛けられた。
「ご苦労様です。あの、どちらまで行かれるんですか?私たち車で来ています、良かったら乗っていかれませんか?」
Kさんと顔を見合わせる。

「私は鬼無の駅近くの百々家という宿まで行くんです。」
「まぁ、鬼無ですか。歩いたら2時間くらい掛かりますよ。どうぞ、お接待させてください。歩いておられるお遍路さんを見かけると私は知らん顔できなくいつもお声を掛けているんです。あなたもご一緒に是非!」
私は此処から車で5分くらいのところの宿ですので歩いて行きます。
「そんなぁ。。。車で5分と言ったらけっこうありますよ。こちらの方をお送りして行く途中なのですから乗っていかれてください。」
Kさんはありがたく乗せて頂きましょう、と言っている。
私だけ歩いて行きます、と固辞するのもなんだか大人気ない。
ありがとうございます、それではお願いします、とザックを担ぎ女の人の後をKさんと小走りになって駐車場へ向かった。

「あなたの泊まられるお宿は?」
巡彩庵、と言ったが二人は知らないようでとにかく行ってみましょうと言う。
急いで携帯を出し、巡彩庵に電話を入れる。
予約している○○です、今、根来寺なんです。これから向かいますので場所を教えてください。
運転席の女性に携帯を渡し聞いてもらう。

巡彩庵の人と話しをした女性、わかりましたと携帯を私に戻し連れの女性に、
「ほら、前に通ったことがあるじゃない、坂を下りていった途中にお蕎麦屋さんがあったでしょう。あそこだって。」
「あ~、あったね、入ってみたいねって言ってたお蕎麦屋さんね。あそこまでけっこうあるよ。車で5分って言ったの?」

4時25分、根来寺から急角度の坂道を何度も曲がりながら五色台の北麓を下って行く。
カーブを曲がる度、体が傾く。
優しい雰囲気に似合わない運転に少し驚いた(笑)

二人は高松市内の人で義理の姉妹。
兄嫁と小姑なのだそうだがとても仲が良く二人でよく市内のお寺巡りをしているのだと言っていた。
Kさんと私、それぞれ自己紹介をしお札を渡し、お名前を教えてくださいと言ったのだが、笑いながら
「名乗るほどのものではないのです。」教えて頂けなかった。
「私たちは四国に住んでいても廻れない八十八ヶ所をあなた方が代わって参拝してくださりありがたいことだと感謝しているんです。せめて気持ちばかりのお接待をさせて頂かねば私たちに罰が当たります。四国に住んでいる人はみな、そう思っているんです。遠くからお一人で廻られ本当に偉いことだと思っています。」

前に香川のOさんが言っていた。
『地元の人々にとってみると、遍路は弘法大師の身代わりでもあり、また自分たちに代わって遠方の札所でお参りをしてくれる、宗教的な価値をもった存在でなのだ。』と。
地元の人たちが差し出すものは、難渋している者に対する援助であるだけではなく仏に対する喜捨でもあると。
前にも述べたことだが、
一般社会で企業が顧客に対して行う、いわゆる「接待」には何らかの見返りの期待がこめられているが四国遍路における「お接待」は無償の行為。
現代的な感覚でとらえれば何のつきあいもない何の利害関係もない他人から何かをもらったり泊めてもらったりというのは日常考えられないこと。
それも、ちょっとしたお菓子とか余った果物などというならまだ理解の範囲内だが時には「現金」を差し出される。
行き暮れた旅人や、きつい修行に取り組む人に対して「援助」をする、「支援」をするというのは人間同士が助け合うという基本的な姿。
一つは、「弱者」に対する支援であって言ってみれば助け合いの延長にある「施し」。
もう一つは、「自分自身の代わりにお大師様にお参りしてほしい」という意味での賽銭の寄託。
苦難の道を歩んで来訪する遍路は弘法大師の化身とも解釈し、その二つの気持ちの混じり合った形として弘法大師へのお布施として差し出すというのだと。




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