アランと一緒に四国遍路。

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宇和島城
10月23日


        宇和島城

       鶴島城と呼ばれる秀麗な天守閣は、当時のまま現存する貴重なもの。



街の中央、海抜約80メートルの城山に三重三層の天守閣を頂く宇和島城は、その均整のとれた美しさから別名鶴島城と呼ばれている。
築城以来約400年の歳月を経て、現存する12ヶ所の天守閣のうちでも江戸時代様式を留める貴重なものとして国の重要文化財に指定。
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされている。
城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられる。

高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。
2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。
その姿を現在に残している。

天守閣は、独立式で三層三階本瓦葺き、荘重な白壁の総塗りごめ造り。
正面最上層の屋根に唐破風、二層に大型の千鳥破風、その下に二つの千鳥破風を並べ最下層にこれらの総てを受けた玄関に大型の唐破風がある。
これらは各層の屋根とよく調和して、美しい姿と安定感をもち、江戸時代初期の貴重な天守となっている。

昭和24年1月、城山の大部分と天守は伊達家より宇和島市寄付され、市の管理に属した。同35年10月天守は国の文化財保護委員会(現文化庁)の許可を得、同委員会の指導監督の下に解体修理を行い、同37年10月をもって新装の姿を復元した。

宇和島伊達家は、江戸時代はこの地を動くことなく明治を迎えた。 
8代宗城は、幕末から明治維新にかけて活躍した名君として知られている。

平定の世造営のため、櫓や小天守などを持たない単独で、狭間・石落しなども無く、鯱・破風屋根・連子窓が均衡を保ち、玄関を右寄りにして装飾性を強調した外観となっている。

宇和島城天守閣

玄関。
城内入り口

受付。
受付

1階広間。
城内

天守閣1階広間におかれている 天守閣の模型。
木組み・屋根などの構造を見ることが出来る。
城の模型

城の模型

天守閣2階への梯子階段。
2階へ

1階から2階へ中間に踊り場がある。
周りは障子窓となっている天守閣二階の広間。
2階

最上階の内部。
1960年10月から丸3年がかりで行われた解体修理の際の記録写真や、寛文年間の棟札、シロアリに浸食された柱などが展示されていた。
最上階

最上階

北東側の市内中心部の眺め。
北東側の市内中心部

上から見るとよくわかる急な梯子階段。
2階への急な階段

急な階段

天守閣内の1階武者走り廊下。
1階城内




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