アランと一緒に四国遍路。

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三日目 3月8日 阿波の国 最後の22番 23番
晴れた良いお天気。
朝食を6時にお願いして7時に出発。
ビジネスホテルらしく、スーツ姿の男の人が3,4人一緒の食事だった。

22番 平等寺(びょうどうじ)
一切衆生を平等に救済する。と言う意味から名付けられた。
22番 平等寺(びょうどうじ)

どっしりとした平等寺の仁王門。
平等寺の仁王門

石段の左にあるこの井戸の白水は万病に利く「弘法の水」として知られまた、開運の霊泉として信仰がある。
「鏡の井戸」とも呼ばれ、どんな日照りでも水が涸れることはないという。
平等寺と万病に利く白水泉

上ってきた階段です。目が回りそう。。。
上ってきた階段

本堂。
医者にも手離され、ひたすら大師にすがり、奇跡を信じて巡拝する人達。
これを四国病院へ入院すると言う。
ここには、不要になったギブスや松葉杖が沢山、奉納されていました。
平等寺本堂

大師堂。
大師堂

23番 薬王寺(やくおうじ)
厄除けの根本祈願寺として開山されたお寺。
本堂には前向きと後ろ向きの二体の薬師如来が安置されている。
文治4年(1188)の火災のとき、本尊は自ら西の玉厨子山へ飛んでいってしまい、本堂を作り新しい薬師如来を安置すると再び戻ってこられ、後ろ向きにはいられたという。
23番 薬王寺(やくおうじ)

写真上の方に見える赤っぽい建物が瑜祇塔(ゆぎとう)
瑜祇塔は両部不二を表す密教寺院独特な建物。
薬王寺の瑜祇塔(ゆぎとう)

薬王寺山門

本堂までの参道。
厄除けの階段までの道

吉川英治の「鳴門秘帖」と司馬遼太郎の「空海の風景」の石碑がある。
「鳴門秘帖」と「空海の風景」の石碑

「空海の風景」よりの一節が刻まれている石碑。
司馬遼太郎「空海の風景」の石碑

本堂に詣でるにはまず三十三段の女厄坂と、四十二段の男厄坂を登っていく。
厄年の男女は各階段ごとにお賽銭を置いて厄払いする。
私も33才の厄払いしなくっちゃ。。(笑)
33段の女厄坂

本堂から瑜祇塔までの石段は六十一段で還暦の厄坂になっている。
石段には一円玉が沢山置いてありました。
瑜祇塔までの石段

薬王寺から見た日和佐の町の風景。
薬王寺から日和佐の町の風景


\(~o~)/阿波の国、制覇しました!

平等寺の境内に果物屋さんが2,3軒並んでいて「お接待です。」と甘いみかんを頂きました。
どこからお参りにきんさった?と聞かれWちゃんが代わりに応えてくれた。
「福島からだよ。このコは新潟から。」
「遠いところから、よーきんさんったね。新潟は雪が沢山有ってさむいだろうね。」と言ってくれた。
雪はもうないのに、新潟って聞くと、どれほど雪深いところと思うらしい。

お店の人や、すれ違ったお遍路さんたちが
「よいお参りを。」と声を掛けてくれる。
お接待と言ってジュースやお茶やお菓子、お饅頭を渡してくれる。
ありがたい。
四国の人は誰もが、とても優しい。

四国の人、全てがお遍路に回るのかと思っていたけど、みんなが巡る訳ではない。
自分たちの代わりにお参りしてくれてありがとう。
おかげさまでという気持ちでお接待をしてくれるのだそうだ。

お接待は
「弱者」に対する支援であって、言ってみれば助け合いの延長にある「施し」の気持ちと、「自分自身の代わりにお大師様にお参りしてほしい」という意味での賽銭の寄託としての気持ちなのよ。
そんなふうにAさんから教えてもらいました。

四国へ来てから、いつかしら忘れていた他人への思いやりや感謝の気持ち、ささくれだっていた自分の心が暖かくなっていくのが感じられた。

癒しの旅、四国。
本当に来て良かった。

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