アランと一緒に四国遍路。

帰路
10月25日


     宇和島から帰路



6時頃に目が覚めた。
窓のカーテンを開けると曇り空。
緩々と身支度を始める。

7時に2階のカフェで朝食。
朝食を済ませ部屋に戻り忘れ物がないかもう一度部屋の中を確認。

フロントへ行きお世話になりましたと声を掛け鍵を渡す。
お気をつけて。フロントの女の人に見送られ階下へ降りた。

橋を渡りバスセンターへ向かう。
朝の通学通勤の人たちがバスセンターの待合室イスに腰掛け壁の大型テレビを見ていた。
AM7:50
AM7:50 宇和島バスセンター

8時15分出発の大阪行きの高速バスが入いってきた。
待合室で待っていた人たちの後に続きバスに乗り込む。
乗客は数えるほど。
定刻通り8時15分に出発。
バスセンターの中で大きく回りバスは国道へ出る。
AM8:17
AM8:17 

1回目の休憩。
AM10:30
石鎚SAで10分休憩。
AM10:30 石鎚SA

石鎚SA。
石鎚SA

高速バス・サラダエクスプレス。
石鎚SA

石鎚SA

PM12:35
PM12:35

淡路島南SAで2回目の休憩。
PM12:43 淡路島南PA

淡路島地図

高知竜馬空港へ降り立ったのが12日前。
多ノ郷から始まった2007年秋遍路。
足摺岬を目指し叶崎、月山神社、桃色珊瑚の地を廻り伊予に入った。
長かった土佐の道のり。
よく歩いてきたと自分の脚を褒めてやる。

来春は宇和島から何処まで行けるだろう。
遠ざかる四国の山並みをバスの窓から何度も振り返り見ていた。



和霊神社
10月24日


        和霊神社

漁業を中心に広く産業の神として、中四国で「金比羅宮」と共に人々の崇敬を得、崇められている和霊信仰の総本山。
藩祖・伊達秀宗の家老で宇和島藩財政の再建、民力休養に努めながら反対派により暗殺され非業の死を遂げた山家清兵衛(やんべせえべえ)が祭神。
伊達秀宗の元で産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した清兵衛ですが、元和6年(1620)凶刃に倒れた。
その後この事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、人々は清兵衛の怨霊だと恐れその霊を城北の地に祀ったのが和霊神社の始まりと言われている。



日本一の大きさ(高さ13m)の石造りの大鳥居。
神社の正面には、太鼓橋のかかった川を挟んで和霊公園があり、石造りでは日本一の大きさといわれる大鳥居が空に向かってそびえ立っている。
和霊神社

神社前の和霊公園では植木市や菊まつりなど、いろいろな催し物も開催され、懐かしい蒸気機関車や牛鬼をかたどった噴水などがある。
和霊神社

和霊神社入口。
和霊神社

和霊神社

和霊神社

水屋。
和霊神社

和霊神社

和霊神社

和霊神社本殿。
和霊神社

干支の大絵馬。
和霊神社

本殿。
和霊神社

和霊神社

石段を降りたところにある大銀杏。
和霊神社

和霊神社の参拝を済ませ時計を見ると4時。
商店街に戻りアーケードの中にある喫茶店で休憩。

アーケードの中を歩いて行くとジャコ天を作ってる小さなお店があった。
出来立てのジャコ天を買ってホテルに戻った。
夕食はジャコ天とビールかな(笑)

フロントに寄って鍵を受け取り部屋に戻る。
お風呂に湯を張り、荷物の整理。

お風呂に入りシャンプー。
浴衣に着替え土佐清水のYさんに明日帰りますと電話。
いつかきっと会いに行きます。

早々とベッドに入りテレビを着けたまま朝までぐっすり眠った。


宇和島市営闘牛場
10月24日


     市営闘牛場



坂道を登り切ると闘牛場があった。
登ってくる途中、10月28日(日)に闘牛大会開催のポスターがあちこちに貼られていた。

入り口脇の事務所におじさんがいたので、入ってもいいですか?と尋ねると
「日曜日に大会があるけど今日は何もないよ。」と言った。
自販機で茶を買って空っぽの闘牛場を見せてもらう。

闘牛場入り口。
市営闘牛場

闘牛場入り口

お弁当売り場。
闘牛場お弁当売り場

真ん中に直径20mの土俵。
この土俵で2頭の牛がにらみ合い闘う。
闘牛場

闘牛場

闘牛場

闘牛場

化粧まわし

イスに腰降ろし休んでいるとおじさんおばさんのツアー団体さんがドヤドヤト入ってきた。
事務所のおじさんがこれから闘牛ビデオやるから一緒に見ていったらいいよ、と言ってくれ団体さんと一緒に闘牛のビデオを見せてくれた。
(ビデオ鑑賞は15人以上で有料だったと思います)

おじさんおばさんの団体さんのおしゃべり話を聞いてると自分たちも闘牛を飼っている様子でした。
闘う様子を見ながら歓声を上げあの牛は根性があるとか追い込まれ戦意を失くした牛を笑ったり。
ビデオ鑑賞は30分位で終わった。
おじさんおばさんの団体さん、入ってきた時と同じように大きな声で話しながら引き上げていった。
闘牛場

ビデオの中で激しくぶつかり合っていた闘牛の姿が目に焼きついていた。
ビデオを片付けている事務所のおじさんに聞いてみる。

あんなに激しい闘いで牛は怪我をしないんですか?
怪我をした牛はどうなるんですか?
「そりゃ、あれだけの闘いだ怪我もするさ。怪我をした牛は体が治るまで大切に養生させるよ。闘牛は大切だからね。育てている人は自分の家族と同じくらい大事にしてるよ。」
それを聞いてホッとした。

おじさんが隣のイスに腰を降ろし話をしてくれた。

闘牛も人間の相撲と同様に前頭から横綱まで番付がある。
相撲の場合、横綱と前頭が対戦して前頭が勝つ、ということもあるが闘牛ではありえない。
横綱は横綱、大関は大関、同じ格付けで闘う。
もし仮に横綱と前頭を対戦させたとしても勝負にならない。
闘牛は八百長なしの真剣勝負の世界。
勝ち方、負け方にもよるが一度出場すると次回出場までは一定の休養期間が置かれ、手ひどい負け方をすると長期間にわたり出場が見合わされる。
闘牛は残酷と言う声もあるが闘うのは本能の命ずるところであり年に何回か出場するだけで普段はのんびりと暮らしている。

相撲には賞金が出るが闘牛では「給金」と呼ばれるファイトマネーが支給される。
全国的に金額はまちまちであるが宇和島は比較的安く、しかも敗れた方の牛に多く支払われる。
勝牛4割、負牛6割と決まっているがこれは敗れた方の牛主に対する慰めの意味があり宇和島ならではの伝統。

格闘時間は無制限とし、全力で闘わせ逃げた方の牛が敗けとなる。
逃げると敗け、という単純なルールではるが余力を残しながらも戦意を失ってあっけなく逃げる場合もあれば相手の鋭い攻めをかわしきれず竹矢来(柵)に激しく追い込まれ、電撃的に勝負が決着することもある。
一方、気力、体力の限りを尽くす持久戦もあり2時間40分という最長記録も伝えられている。

「闘牛を見たかったらねぇさんも日曜日に来たらいい。」
あ〜。。。日曜日はもう宇和島にはいません…
勝っても負けても牛さんが怪我をしないといいですね。

お友達に空っぽの闘牛場の写メールを送った。




大観音
10月24日



      伊達藩鬼門鎮座 大観音



天赦園さがので1時間休憩。
宇和島城上り立ち門前を通り国道56号へ出る。
宇和島市内

歩道のうしおに。
毎年7月22日から24日に開催。
牛鬼は5〜6メートル長い首に鬼面を着け、尻尾は剣、鬼頭・牛体のグロテスクな怪物で全身をシュロや赤い布で覆い悪霊を払う祭り。

牛鬼の起源は、喜多郡の大洲太郎が赤布を用い牛鬼の形をつくって猛獣の来襲を防いだのがはじまりとする説と、加藤清正が朝鮮出兵の時に敵を威圧するために作ったという説がある。
数十名の子供たちのブーブーという竹ぼらを吹き鳴らす音を従えて、長い首を打ち振りながら堂々と練り歩き、家ごとに首を突っ込んでは悪魔払いをする。
「うわじま牛鬼まつり」の牛鬼パレードは祭りの花形になっている。
うしおに

国道56号沿いの宇和島バスセンター。
バスセンター先から右へ2km、闘牛場へ向かう。
宇和島バスセンター

歩道のやつしか。
哀愁を帯びた旋律で優雅に舞う八っ鹿踊りは仙台をルーツとして南予一帯に広まった。

宇和島地方に古くから伝えられている八ツ鹿踊りは、既に350年余の伝統で仙台藩領にあり、太鼓を前に抱えて打ちながら踊るしし踊りは、宮城県各地に普及しており、その中で雄鹿たちが雌鹿をたずね探して遂に発見して喜ぶ「めじしかくし」という踊りが、宇和島に定着し現在に至った。
祭礼時には、12〜13歳の少年8人が鹿の頭をつけ、その面から垂れた紅染の布で上半身を覆い手甲、脚半(きゃはん)草履ばきで胸の太鼓をトントコトントコと打ちながら舞う。
美しく哀愁を帯びた旋律でゆったりととても優雅に踊る。
やつしか

商店街のアーケードを抜け市営公園方向へ。
住宅地を通り坂道を登って行く。
暑さにヘロヘロになりながら登って行くと天満山遊歩道の標識。
近道かもしれないと降りて行く。
天満山遊歩道

降りた先の平場に大観音が建っていた。
伊達藩鬼門鎮座
除災・招福 大観音。
大観音

大観音に手を合わせぐるりと一回り。
山の中へ獣道のような細い道が続いている。
おじさんがいたので、闘牛場は此処から行けますか?と尋ねると
「この先は行けないよ。闘牛場へ行くなら上の道を上って。」と言われた。。。(-_-;)
降りて来た道をまた上り坂道を登る。
坂道



天赦園
10月24日


       国指定文化財・天赦園(てんしゃえん)春雨亭(書室)

宇和島伊達家八代当主、愛書家としても有名な春山が余生を楽しみながら、この書屋で書道を研鑽し、数多くの貴重な書を残し穏やかな時を過ごし書道を愛し、明治22年、百歳の天寿をまっとうした。
  
       鉄釘を一切使用していない構造の貴重な建物。




池越しの春雨亭 。
春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

永久保存用ポスト。
日本国民から長い間心のかけ橋として親しまれたなつかしい赤い郵便ポスト永久保存のため宇和島郵便局より贈られた。
永久保存用ポスト

天赦園に隣接した食事処さがので昼食。
部屋はすべて個室となっていて窓越しから美しい庭園を眺めながら食事ができる。
レジへ行くと11時から14時に食事をすると天赦園の無料入場券がサービスされるとのことでしたが既に私は見学済み。。。
食事処さがの





天赦園
10月24日


       天赦園(てんしゃえん)



枯川(説明版)
前方に見える枯川は遥に徒耳えております。
鬼ヶ城山(当園の借景)より流れる川が宇和島湾にそそぐ壮大な姿を枯流の中に二個の水分石、石橋を配する等の技法に工夫を凝らしています。
枯川

枯川・鬼ヶ城山を借景。
枯川

菩提樹。
菩提樹

昭和天皇御手植 高野槙。
昭和天皇御手植 高野槙

仰竜梅 (説明板)
政宗公が岩出山城に居城した時代(1591年〜1601年)秀吉の命により文禄の役に出陣した際、朝鮮の風土でたくましく延びた枝が地面に接して根を張り、その姿が竜に似ているので、その稚苗を持ち帰り植栽され「臥竜梅」と名付けられました。
その後、仙台城に移され今日まで幾星霜の樹齢を重ね大樹となり、昭和12年国の天然記念物の指定を受けました。
この臥竜梅は仙台市養種園技術者の一員として、保護対策に活躍された岩出山町出身の宇和野三男氏(仙台市泉区)の実家宇和野興一氏(岩出山町字大学町27で二十数年育てたもの)で、現在瑞鳳殿に植栽されている臥竜梅と兄弟木です。
    宇和島市  岩出山町
両市の歴史姉妹都市締結に伴い平成11年11月吉日交流事業として記念のため植樹。
仰竜梅

天赦園の中でも印象的な池。
園内のいろいろな所に春山の意趣が凝らされている。
池には鯉や鴨の姿も見られ、春夏秋冬に違った景色が楽しめる。
池

孝行竹とも呼ばれるボニスホウ竹。
ボニスホウ竹

天赦園

天赦園の中心に位置している書院式の茶室・潜渕館(せんえんかん)。
事前に申し出れば中で茶会を催すことも出来るそうです。
潜渕館(茶室)

大正11年昭和天皇が皇太子の時、天赦園御成の際御座所に当てられた由緒ある建物。
潜渕館(茶室)




天赦園(てんしゃえん)
10月24日


       天赦園(てんしゃえん)

七代藩主、伊達宗紀(むねただ)(春山)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園。
名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ漢詩から採ったもの。

     馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
     残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん

天赦炎の面積は11240平方メートルを有する池泉廻遊式庭園。
昭和43年に「名勝」の国指定。

池庭護岸や東南部の石組みには陰陽石の扱いが見受けられ、三尊石組、立石と天平石の組合せ等心を楽しませるものがある。
芝生の南部には枯滝石組と枯流石組があり、枯流の中に二個の水分石が用いられ両岸に臥牛石、虎吠石等が対立し壮言な竹林を背景として静かな佇まいを見せている。

園西側を西国浄土に見立て、そこから園を見守る三尊石。
白藤太鼓橋はその浄土の世界へ渡る「虹の掛橋」。
枯川上流に故郷仙台を想い、鬼ヶ城に降る雨は枯川を流れ時の流れと共に池へと注がれる・・・
子孫繁栄を願って配されている陰陽石。
天赦園を構成する石や木々たちは様々な形で訪れる人たちに色々なメッセージを伝えようとしている。



天赦園入り口。
天赦園

天赦園

天赦園 園内案内図。
天赦園

天赦園

紫陽花
  「あちさいの花のふ可きに寿む月乃
    可けも程うきみちか夜のそら    秀宗」

この句は宇和島伊達家初代藩主秀宗が紫陽花に実が出来ないことを我が子の短命なことと重ね合わせ詠んだ歌として伝わっている。
天赦園

七代春山が伊達家の紋章「竹に雀」にちなみ竹を愛し園内には22種の竹や笹が植栽された。
金明竹、孟宗竹、黒竹、四方竹、亀甲竹、泰山竹、蓬莱竹、熊笹、オカメ笹等竹類が園内各所に配されている。

「養老の滝」「四方竹」
天赦園

「養老の滝」
天赦園

守護石(三尊石)
天赦園

天赦園

天赦園

太鼓橋式の藤棚に架かる白玉藤。
天赦園

天赦園

天赦園

東屋。
天赦園




宇和島市内
10月24日


        伊達博物館

         伊達家ゆかりの資料を展示する博物館。



宇和島城上り立ち門から左へ行く。
信号を渡り左、真っ直ぐ進むと学校。
学校の脇を通って行くと角に伊達博物館があった。
博物館の向かいに天赦園がある。
先に伊達博物館へ行く。

AM10:15
伊達博物館。

北に国指定重要文化財「宇和島城天守閣」を望む旧藩邸偕楽園跡にある。
伊達博物館

幕末四賢候と称された八代藩主伊達宗城像。
宇和島藩は伊達政宗の長子、初代秀宗(ひでむね)から9代宗徳(むねえ)まで続き、早くから文化・産業が発展した。

賢侯のきこえ高く内政の充実はもちろん、幕末政局多端に際しては松平慶永・山内豊信・島津斉彬らとともにおおいに活躍、中央との交流も盛んに行われた。
また勝海舟や高野長英などと交わされた他には例のない貴重な書簡がたくさん残されている。

八代藩主・伊達宗城の像


偕楽園跡。
昔の大規模な回遊式庭園。


かつては豊富な清流を取り込んだ大規模な庭園。
年代を経た樹木と石組のバランスが素晴らしく縁起のよい祝儀の庭「鶴亀」の庭園形式が組み入れられている。
偕楽園跡

近代的な建物、入り口は自動ドア。
伊達博物館

展示室入り口の扉にある「竹にすずめ」の伊達家の紋章。
展示室内は撮影禁止、写真を撮れるのは此処まででした。
伊達博物館

掛け軸や古文書、金蒔絵が施された化粧道具、第9代の正室が輿入れの際に乗った女乗物など大名ならではの収蔵品や豊臣秀吉の肖像画も展示されている。
館内は第一展示室から第三展示室に分かれていて、それぞれのテーマに沿って展示がされている。

第一展示室は武具を中心とした展示となっていて既に実戦用としての意味を持たなくなっていたこの頃の武具は細工も精緻で、豪華絢爛という言葉がふさわしいものばかり。
意匠を凝らした歴代藩主の具足、蒔絵の鞍・鐙(あぶみ)なども見ることができる。
9代藩主宗徳の正室として佳姫(秋田・佐竹家)が輿入れの際に使用した女乗り物は、外は黒漆に月丸扇紋散らしの金蒔絵、中は松竹梅や鶴亀の模様が描かれた当時の最高技術をもって作られたもの。

第二展示室は「幽玄の美」をテーマに、能・狂言の面や絵を中心に展示されている。
様々な表情の能面が展示され、どれも活き活きとして命が宿っているかのように見える。
狂言の最高秘曲の「釣狐」に用いられる専用の「狐」面など滅多に観る機会のないみごとな品々が揃っている。

「伊達の雅」をテーマに、日常使われる生活道具や書・香・茶の道具などを展示しているのが第三展示室になっている。

歴代の藩主の順に甲冑は並べられ大きいものや小振りなものもあり、その人物の体型などを想像しながら見て回った。
伊達政宗の甲冑の兜には三日月を伸ばしたような飾りがついていて横に、馬上少年過、から始まる有名な漢詩「酔余口号(すいよこうごう)」があった。

展示されている宇和島伊達藩の家系図を見ると、伊達政宗の長男・秀宗(1591-1658)が宇和島藩祖。
長男だけど、嫡子ではないとのこと。
6歳で豊臣秀吉の養子となり、「秀」の一字をもらって元服と書いてある。

実は私、宇和島伊達藩の藩祖が、かの有名な伊達政宗の長男(秀宗)であると言うことを宇和島城の説明書を読むまで知りませんでした。
仙台からこんなに離れた宇和島に何で伊達博物館があるのだろう?って不思議に思っていたんです…
帰ったら宇和島伊達藩の家系図を見ながら日本史をもう一度勉強し直す予定。。。(^_^;)


宇和島市内
10月24日


       宇和島城上り立ち門



7時起床。久し振りのゆっくりの朝。
洗面トイレを済ませ着替え、8時に2階のカフェで朝食。
今日もいい天気。ガラス窓から綺麗な青空が見える。
朝食後別料金でコーヒーを飲む。
自販機のコーヒーより淹れたてのコーヒーはやっぱり美味しい。

土産は昨日送ったが伊予と言えばやはりミカン。
商店街の果物屋さんからミカンを送ろうかー?
カフェの人に、ミカンを送りたいのでと果物屋さんの場所を聞く。
「それなら此処から近くの”みなみくん”で買ったらいいですよ。送ることも出来るしミカンから魚、野菜何でもあるし安くて新鮮!地元の人はみんなここで買いますよ。」
みなみくん。。。なんだろうー?

窓ガラスの所から指差し、
「川沿いにこの道を真っ直ぐ行き、大きな道路を渡ると直ぐですよ。ほら、あそこに黄色い旗が見えるでしょう。」
”みなみくん”へ行ってみることにした。
フロントへ行き、みなみくんへ行って1日観光してきますと鍵を預けた。

ホテルを出て川に沿って黄色い旗を目印に真っ直ぐ。
”みなみくん”はJA直営の特産品センターの販売所のようだ。
広い駐車場から建物の中に入ると、切花や魚介類、宇和島銘菓やジャコ天、カマボコ、餅に赤飯、お弁当、果物、いろんな品物が並んでいた。
安くて新鮮、地元の買い物客で大賑わい。
果物コーナーの脇にミカンの箱が山積みされている。
1箱2,000−。

JAマークの入ったジャンパーを着たお兄さんにミカン甘いですか?一応尋ねてみる。
甘いですよ〜!当然の答えが返ってきた。
ミカン5箱を送ってもらう。

土産は済んだ。さぁこれから市内観光だ。
その前に明日のバスチケットを買っておこう。
来た道を引き返しホテルの前を通り広い道路に出て橋を渡りバスセンターに行く。
明日の大阪行きの高速バスチケット買った。

地図を見ながら広い道路へ出る。
駅と反対方向、南の方向へ行く。
和霊神社から右に曲がりリージェントホテルの建物を見ながら国号56号を進むと宇和島城の門のところに出た。

昨日登った城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門の丁度反対側になる南側に上り立ち門があった。
昨日とは違う南登山口から城山へ登ってみることにした。

AM9:30
城山の南側、国道56号線に面した登り口、上り立ち門と宇和島市出身の児島惟謙(こじまこれかた)の像。

児島惟謙(こじまこれかた)
1891年(明治24年)に大津市で来日中のロシア皇太子が警備の警察官に切りつけられた「大津事件」の際、死刑にすべきだという声に対して司法の独立を守った大審院長。
上り立ち門と児島惟謙像

南麓搦め手口の薬医門。
宇和島市有形文化財指定。
この先本丸まで石段が続き、往時には天守まで7つの門構えがあった。
上り立ち門

市指定有形文化財 宇和島城上り立ち門説明版。
宇和島城上り立ち門説明版

宇和島城沿革説明板。
宇和島城沿革説明板

門を入って石段を少し登ると城跡整備調査の説明版。
城跡整備調査図

雷門跡。
搦め手のルートは本丸の西側を北へ向かい長門丸から本丸の東側へ回り、大手門からのルートと合流するがその先は昨日登ったので公園への道へ行く。
雷門跡

長門丸 北角矢倉跡。
長門丸 北角矢倉跡

トイレ、自販機、遊具、休憩所が設置されている。
首にタオルを巻いて走ってる人や朝散歩の地元の人たちを眺めながら自販機で買った冷たいお茶を飲んでベンチで一休み。
公園休憩所




宇和島にて
10月23日

宇和島城天守閣を見学し4時少し過ぎにホテルに戻った。
2階のフロントへ行くと受付の女の人が代わっていた。

名前を言って宿泊カードに記帳。
料金を前払いし部屋の鍵を受け取る。

ビジネスホテルなので食事は付いていないが朝食はフロント前のカフェで和食と洋食のどちらか予約出来るそうだ。
バスセンターにも近いし別のホテルに移動するのも面倒。
部屋があるなら連泊したいと尋ねるとOKだった。
2日分の料金と朝食を予約した。

パークホテル ¥10,100−
2泊 ¥9,000− @4,500−×2
朝食 ¥1,100− @550−×2

フロントに置いてある市内観光の名所が載った地図を貰う。
夕食、近くで美味しいお店を尋ねると料金が手ごろな「郷土料理ほづみ亭」を教えてくれた。
女の人が地図にマーカーで道順を入れてくれた。
ホテルから広い道路に出て真っ直ぐ行くとアーケードの商店街。
その商店街を突っ切ってもう一つ小路を抜けた角。

部屋は4階、シングル。荷物は部屋に置かれていた。
ザックの中身を整理しバスタブに湯を張る。
本家とあーちゃんpapaに宇和島に着いたと連絡の後、土佐清水のYさんに電話した。

Yさんは何度も帰る前にもう一度会いたい、迎えに行くから土佐清水に来てくれと言ってくれた。
本当に嬉しかった。
必ず会いに来ますとYさんと約束をした。

お風呂に入り髪を洗ってドライヤーで髪を乾かし下着や小物を洗う。
ハンガーに掛け洗面所のドアに掛けておけば空調が効いているので一晩で乾くだろう。
夕食に出かけるまでベッドで横になった。

7時過ぎ着替えて教えてもらったほづみ亭に夕食を食べに出かけた。
商店街のアーケードを通ったとき浴衣を着たお相撲さんに会った。
本物の力士さんを見たのは始めて。
大きな体をゆっさゆっさと揺らしながら歩いていた。

ほづみ亭は混んでいた。
カウンターの一番端が空いてたので隣のおじさんにちょこんと頭を下げ座った。
まずは生ビール(笑)それとジャコ天だね。
メニューを見ててもわからないのでカウンターの中の一番若い板さんにお勧めを選んでもらった。

隣のおじさんが話し掛けてきた。
松山から出張で駅前のホテルに泊まっているそうだ。
「ここの料理はどれも美味しいよ。私は出張で年に何回かしか来ないけど来れば必ず此処に寄るんだ。此処の鯛めしは絶品だよ。」
アツアツのジャコ天を食べながらそうですかと相槌を打つ。
「一人旅なの?どちらから来られたの?」
はぁ。。一人旅です。新潟です。
「へぇ〜新潟からとは遠くからのお客さんだね。○○くん(板さんの名前)こちら新潟から来たんだってよ。ほづみもいよいよ全国版だね (笑)」

2時間くらいおじさんや若い板さんとおしゃべりして楽しい時間を過ごした。
お腹一杯美味しい料理を食べて飲んで3,000−ちょっとだった。
ジャコ天と鯛めし、とても美味しかった。

お店の外で若いカップルが写真を撮っていた。
ほづみ亭、地元でも有名なお店のようだ。

帰り道、空を見上げると満月が出ていた。
あ〜。。今夜は十三夜なんだね。
まん丸お月さんを眺めながらホテルに戻った。



宇和島城
10月23日


        宇和島城

       鶴島城と呼ばれる秀麗な天守閣は、当時のまま現存する貴重なもの。



街の中央、海抜約80メートルの城山に三重三層の天守閣を頂く宇和島城は、その均整のとれた美しさから別名鶴島城と呼ばれている。
築城以来約400年の歳月を経て、現存する12ヶ所の天守閣のうちでも江戸時代様式を留める貴重なものとして国の重要文化財に指定。
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされている。
城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられる。

高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。
2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。
その姿を現在に残している。

天守閣は、独立式で三層三階本瓦葺き、荘重な白壁の総塗りごめ造り。
正面最上層の屋根に唐破風、二層に大型の千鳥破風、その下に二つの千鳥破風を並べ最下層にこれらの総てを受けた玄関に大型の唐破風がある。
これらは各層の屋根とよく調和して、美しい姿と安定感をもち、江戸時代初期の貴重な天守となっている。

昭和24年1月、城山の大部分と天守は伊達家より宇和島市寄付され、市の管理に属した。同35年10月天守は国の文化財保護委員会(現文化庁)の許可を得、同委員会の指導監督の下に解体修理を行い、同37年10月をもって新装の姿を復元した。

宇和島伊達家は、江戸時代はこの地を動くことなく明治を迎えた。 
8代宗城は、幕末から明治維新にかけて活躍した名君として知られている。

平定の世造営のため、櫓や小天守などを持たない単独で、狭間・石落しなども無く、鯱・破風屋根・連子窓が均衡を保ち、玄関を右寄りにして装飾性を強調した外観となっている。

宇和島城天守閣

玄関。
城内入り口

受付。
受付

1階広間。
城内

天守閣1階広間におかれている 天守閣の模型。
木組み・屋根などの構造を見ることが出来る。
城の模型

城の模型

天守閣2階への梯子階段。
2階へ

1階から2階へ中間に踊り場がある。
周りは障子窓となっている天守閣二階の広間。
2階

最上階の内部。
1960年10月から丸3年がかりで行われた解体修理の際の記録写真や、寛文年間の棟札、シロアリに浸食された柱などが展示されていた。
最上階

最上階

北東側の市内中心部の眺め。
北東側の市内中心部

上から見るとよくわかる急な梯子階段。
2階への急な階段

急な階段

天守閣内の1階武者走り廊下。
1階城内




宇和島城
10月23日


       宇和島城



三之門跡への石段。
三之門跡への石段

三之門跡。
三之門跡

二之門跡。
二之門跡

二之丸跡。
二之丸跡

二之丸入り口辺りから見た天守閣と石垣。
二之丸入り口辺りから見た天守閣と石垣

二之丸から天守閣への石段。
本丸への上り口はここしかない。
二之丸から天守閣への石段

一之門跡(櫛型門)。
二之門跡から本丸跡への石段を上りきったところにある。
この門から入らなければ本丸には入れない仕組みになっていて、門の構造も櫛型になっていて敵が侵入し難い造りになっている。
一之門跡(櫛型門)

山頂に造ったにしては、かなりの広さで平地化するのには相当の労力が要したのだろうと想像できる。
樹木が適当な配置で植えられている。
国指定史跡宇和島城石碑

宇和島湾。
宇和島港の眺め

御大所跡(御台所)。
御大所跡(御台所)

鉄砲矢倉跡。
鉄砲矢倉跡

宇和島城天守閣。
宇和島城




宇和島城
10月23日


       宇和島城



城山郷土館(山里倉庫)。
幕末四賢侯の一人、八代伊達宗城の時代に建造された山里倉庫は現在内部は郷土館として公開されている。。
城山の中腹北側あたりにあり、1845年の建造。
旧幕府時代宇和島城内の調練場の一廓にあり、武器庫に使用されていた。  
城山郷土館

城山郷土館

当時使用されていた道具類等多くの備品が陳列されている。
貴重な資料、民具類を展示して宇和島に現存する唯一の歴史的建物だそうです。
今は郷土館に変わり、入場無料。
館長さんが展示されている道具類一つ一つを説明してくれました。 
山里倉庫(城山郷土館)

穂積陳重、八束兄弟の生家長屋門。
城山の中腹、北側にある城山郷土館(山里倉庫)の隣にある。
明治時代の法学者で宇和島藩士の出身。
東京帝国大学教授で、この建物は兄弟が幼年期の頃過ごした建物。
穂積陳重 八束兄弟の生家長屋門

城山郷土館(山里倉庫)展示品。
山里倉庫(城山郷土館)

城山郷土館内

伊達博物館に綺麗に保存された当時の駕籠が展示されているので是非見てくるよう薦めてくれました。
城山郷土館

城山郷土館 駕籠

城山郷土館

城山郷土館 牛鬼 

城山郷土館

親切な館長さんにお写真をとカメラを向けたら照れておられました。
城山郷土館




宇和島城
10月23日


        宇和島城



城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門。
市の文化財指定。
現在は間口15メートルですが、本来は35メートルの堂々たるものだったそうです。
かつては南登山口から天守に至るまでに7つの門があったが、現在残っているのは上り(のぼり)立ち門(市指定文化財)のみ。
長屋門をくぐると、雑草に被われ苔むした石段が本丸へと続いていく。
桑折氏武家長屋門

宇和島城の沿革

長屋門を入ってから最初の上り石段。
攻め難くするために、一つ一つの高さ(蹴上げ)や石型が不揃いで、傾斜もきつくした石段が続く。
城山北登山道

城山北登山道 

城山北登山道 

急な上り階段を突き進み、井戸丸跡径由天守閣へと進む。
城山北登山道 

井戸丸跡。
この井戸は現在の城山に残る三つの井戸のうち、最も重要視されたものといわれている。
井戸丸門、井戸丸矢倉等があって、有事の時の為、厳重に管理されていたとの事。
井戸の直径2.4m、周囲8.5m、深さ11m。
この位置は城山の北側の谷の中腹、三の丸からの上り道にあたり数少ない城山の遺構の一つ。 
井戸丸跡

井戸

城山北登山道 




宇和島市街
10月23日


      宇和島市街



時間は未だ早いけどホテルに行くことにした。
汗ビッショリになっていたし、参拝を済ませたので着替えたかった。
市内散策をするにしても荷物は邪魔になる。
チェックインできなくても荷物だけ置かせてもらおうとホテルに向かった。

PM1:20
橋を渡って左へ行く。
PM1:20

川沿いに行くと右手にパークホテル。
パークホテル

1階は駐車場になっていて2階がフロント。
リージェントホテルから予約してもらった○○です。
「○○さんですね。お疲れさまでした。チェックインが4時からなんですよ。。。」
あのぉ。。荷物だけ置かせてもらえませんか?それから着替えをさせてもらえないでしょうか?
「お部屋がまだ片付いてないので後でお荷物をお部屋の方へ届けておきます。着替えならそのお部屋でどうぞ。」
フロントの脇の広間を指差した。

宴会の間のようだ。
ステージのある畳敷きの大広間に入り、ザックの中から半袖のTシャッツと上着を出しジーンズに着替えた。
遍路袋の中身をザックに入れ財布、携帯、カメラをバックに詰め替える。
ザックと袋に入れた金剛杖をフロントの脇、邪魔にならないところに置いてもらう。
パークホテル

とりあえず駅の方へ行ってみよう。
表通りに出ると携帯電話ショップのウインドーに観光案内のマップが張られていた。
観光案内マップ

歩道にはめ込まれている闘牛、牛鬼、八ツ鹿の絵。
とうぎゅう

駅前の大通りに出ると沢山の幟旗が立っていた。
リージェントホテルのフロントマンさんが相撲巡業があると言っていたのを思い出す。
宇和島駅馬通り

宇和島駅前にお土産などが置いてある観光センターがあった。
中に入ると名産のカマボコ、ジャコ天、お菓子、地酒、乾物類、四万十海苔などが所狭しと並べられている。
カマボコとジャコ天は専門店で買うことにしてあちこち探すのも面倒なのでお土産のお菓子をここで買うことにした。
売り場の人に、宇和島名物のお菓子を聞くと「唐饅頭(とうまんじゅう)」や獅子文六(ししぶんろく)の小説にちなんだ饅頭「大番」、ミツの香りの「蜜饅頭」が宇和島ならではの銘菓だと教えてくれた。
本家、あーちゃんpapaの会社、知人に唐饅頭と蜜饅頭、大番を買いバックに入れてたお友達、家族と妹のお守りの袋を土産と一緒に入れて送ってもらった。
カマボコ、ジャコ天の美味しいお店を教えてもらうと、センターから近くの中村かまぼこ屋さんを薦められた。
宇和島駅

観光センターから少し行くと中村かまぼこさんがあった。
カマボコもジャコ天もいろいろ種類があってどれも美味しそうに見える。
お土産はカマボコとジャコ天を数種類選んで箱詰め、自宅用には箱に入れず2個づついろいろな種類を袋に入れてもらい纏めて一旦自宅に送ってもらった。
カマボコ屋さん




龍光院
10月23日

     番外六番 龍光院

龍光院は元和元年(1615年)宇和島藩の初代藩主として伊達秀宗が入城されたとき、宇和島城の鬼門に当たるこの場所へ伊達家・藩・領民の安泰を計るため鬼門の鎮として建立された。



111段の石段。
111段の石段

本堂、大師堂等は111段の石段を上がったところにあり、眼下には宇和島の市街地、寺町界隈、宇和島城が見渡せる。
境内への石段

碑の奥、桜の木の脇に並んだ地蔵があった。
この地蔵が信者達の信仰によって出来たミニ八十八ヶ所。
境内左手の第1番札所霊山寺に始まり、龍光院裏手の墓地をぐるりと巡り再び境内の第88番札所大窪寺へと帰って来る。
ミニ八十八ヶ所

水屋。
水屋

長い石段を上がると明るい境内の真正面に本堂。
石段を上りきると手入れの行き届いてた緑の芝生が広がっている境内。
境内と本堂

本堂。
本堂

本堂

本堂隣に大師堂。
境内と大師堂

大師堂。
大師堂

朱塗りの稲荷大明神。
稲荷大明神

鐘楼。
鐘楼

大師像。
【この蓮台石のしたには四国108ヶ所霊場のお砂が敷かれています。この台に上がってお祈念下さい。必ず念願が叶います。】
大師像

境内。
境内




別格第六番 龍光院
10月23日


      別格第六番 龍光院



AM11:50
休憩所から川に沿って行き小さな橋を渡り宇和島市街。
AM11:50

休憩所で教えてもらった病院を目印に進むが道が幾つも分かれグルグル歩いてるうちに自分が何処にいるのかわからなくなってしまった。
昼休みをしている工事のおじさんが、そっちは工事中で危ないからこっちの道を行って、と誘導してくれた。
道路を渡り、また別の道へ行く。
伊達博物館は後にして今日の宿も探さなくてはいけない。
駅まで行けばホテルがあるだろうと考え広い道路の方へ曲がると、小さなワンコを抱いた女の人がどちらへ行かれるんですか?と声を掛けてくれた。
駅の方へ行きたいんですが。。。
「それならこの道じゃなく、次の道を右に曲がり少し行くと広い道路に出ます。その道を真っ直ぐ行くと駅の方向ですよ。」
地図を見てもさっぱりわからない。。。
親切な女の人に、伊達博物館、天赦園はこちらの方向ですか?と聞くと、駅とは反対の方向だった。

宿探しがあるので女の人に聞いてみた。
駅の方にいいホテルはありますか?
「広い道路を左に行くと駅まで行かなくても結婚式場もあって綺麗なホテルがありますよ。食事なんか女性一人でも利用できるし私もよく友達と行くんですよ。」
地図を見ながらこのホテルと宇和島リージョンホテルを指差した。
バスセンターが近くに載っている。
それなら都合がいい。

お礼を言って顔を上げると正面の小高い山の上にお城が見えていた。
あ〜お城!宇和島城ですね。町の真ん中にあるんですね。
「お城は何処からでも見えるんですよ。此処から見えるのは裏門の方ですね。」
お城は誰でも見学できるんですか?
「勿論。いい眺めですよ。」
後で見てきます。ありがとうございました。
AM11:58

広い道路に出て左に曲がると右手に神社の鳥居が見えた。

左手にリージョンホテルがあった。
フロントに行き、部屋はありますかと尋ねると
「申し訳ありません、相撲巡業があって満室です。」と言われた。。。
そんなぁ…駅の方へ行ってみようか。。。
「多分市内のホテルはどこも満室だと思います。あの、よかったら知ってるビジネスホテルに聞いてみましょうか?」
市内のホテル、何処も満員の様子。。駅まで行って満室と断られたらどうしょう・・・フロントマンにお願いしょう。
側の電話からパークホテルを予約してくれた。

PM12:05
和霊神社の鳥居。
PM12:05

和霊神社まで戻り左へ曲がる。
道路を歩いて行くと大きなビルや商店、会社、放送局などが並んでいる。
久し振りの街の賑やかさだった。

バスセンターがあった。
ここから大阪行きの高速バスが出る。
看板や標識を見ながら歩いていくと小さな川の橋を渡って左の方にパークホテルの建物があった。
バスセンターとホテルの場所を確認して龍光院へ行くことにした。
何度も歩いてる人に道を聞きながら龍光院にようやくたどり着いた。

PM12:35
PM12:35

駐車場から111段の石段がある。
石段の111は煩悩の数108と三世を足した数と言われている。
PM12:40

別格第六番 臨海山(りんかいざん) 龍光院(りゅうこういん) 福寿寺(ふくじゅじ) 高野山真言宗。
別格第六番 龍光院





泰平寺
10月23日


      番外霊場 泰平寺(四国曼荼羅霊場第五十四番札所)



馬目木大師を出て右に曲がると後ろからお遍路さん、と呼び止められた。
振り向くと「お接待させてください」と懐紙に包んだお菓子を両手に持ったおじさんが立っていた。
「休憩所で休んでいかれませんか?どーぞ、こちらへ。」
気が付かなかったけど曲がった角に休憩所があった。
お言葉に甘えて寄らせてもらう。

入ると真ん中にテーブルが置かれ回りの壁に沿った畳敷きのところが腰掛けられるようにになっている。
邪魔にならないところにザックを降ろす。
「隣の寺が四国曼荼羅霊場第五十四番札所になっている泰平寺です。この寺に平和な鐘があります、世界の平和のために撞いていただけませんか?」
テーブルにパンフレットを並べて見せてくれた。

世界は一つ
鐘からのメッセージ
平和の鐘
昭和26年3月、世界の平和を祈願して、中川千代治氏が世界二十三ヶ国の貨幣を集め鋳造寄進されました。
その後同氏はこの鐘をモデルとして世界六十五ヶ国の貨幣を集め鋳造され献納されたものが、ニューヨーク国連本部の「平和の鐘」です。

千代治からのメッセージ
なぜ戦争を繰り返さなければならないのか。
それはひいては人間の心の問題だ。
心が間違っているから戦争が起きる。
自分は世界人類を戦争の危機から救うため人間の心に響く実像的なものを作りたい。
それは「平和の鐘」である。

ザックは置いて遍路カバンを下げ隣の泰平寺の鐘を突いて参拝してきた。

AM11:25
泰平寺は慶長5年(1600)藤堂高虎の宇和島城築城の際に創建される。
当初は小さな草庵であったが、その後現在の地に移転された。
AM11:25 泰平寺

山門を入るとこぢんまりとした境内には、正面に本堂、右手には平和の鐘、水子地蔵が並び、その奥の一段高くなっているところに、金比羅宮があった。

平和の鐘。
平和の鐘

境内の石像

本堂。
本堂

境内の地蔵

境内

水子地蔵。
水子地蔵

休憩所におじさんおばさんがお茶を飲んでいた。
休憩所

曹洞宗の禅寺。
山門

四国曼荼羅霊場札所の案内標識。
四国曼荼羅霊場第五十四番札所

休憩所は地元の方のボランテアで交代でお接待役をやっているそうです。

休憩所に戻るとおじさんが冷たいジュースをテーブルに置きお菓子を勧め机から国の指定になっている天赦園、伊達博物館のパンフを出して説明してくれた。
パンフに書かれた地図を見ると休憩所の前の川に沿って少し行った橋を渡りそこから真っ直ぐのところに伊達博物館がある。
「天赦園は国指定の見事な庭園で1日見て回っても飽きませんよ。それと伊達博物館には本物の駕籠が展示されているんです。とても綺麗な状態で保存されています。是非見てきてください。」

AM11:45
宇和島の歴史や名産などお聞きして明日は宇和島市内を歩いてみるつもりでいたのでパンフを貰ってきた。
ご馳走さまでした、色々お話を聞かせてくださってありがとうございました。
AM11:45




馬目木大師(まめきだいし)
10月23日

    
   馬目木大師(まめきだいし)

      0.6km 5分



小さな商店の細い小路を進み広い道路に出る手前に赤い幟が立っていた。

AM11:15
馬目木大師。
AM11:15 馬目木大師

ブロック塀に馬目木大師の看板(?)が掛かっている。
馬目木大師

民家の脇の細い道へ入っていく。
馬目木大師

突き当たりが山の崖のようになっているところにお堂が立っていた。
大木の隣の灯篭が傾いている。。。
馬目木大師

馬目木大師の由来。
馬目木大師

今にも崩れ落ちそうな崖。
馬目木大師

馬目木大師堂。
馬目木大師

崖の脇の地蔵堂。
馬目木大師

崖のところに置かれている石像。
馬目木大師