アランと一緒に四国遍路。

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いま想うこと
いよいよ八十八ヶ所巡りも終わりに近づいた。
今まで回ってきた寺を思い出す。
「1番札所・霊山寺」から、もう一度回りたい。
いつの頃からか、1日が終わるとその思いが頭の中を占めていた。
まだ帰りたくない。もっとこの旅が続けていたい。
別れたくない。。心優しい人たちと、いつまでも旅を続けていたい…

発心堂さんで、遍路衣装に着替えたあの時から。
いや、もっと前、できることなら四国でAさん、Oさん、Wちゃんに会ったあの瞬間からもう一度。。。
残すのは、あと2ヵ寺…
Wちゃんもだん々口数が少なくなっていた。
朝、Aさん、Oさんを待っていたホテルのロビーで、Wちゃんがポツリとつぶやいた。
「良い旅だったね。。。
haruちゃんが一緒で楽しかったよ。haruちゃんに出会えて本当によかった。
いつか又、一緒に回りたいね。。。」
うん…私もWちゃんと同じことを考えていたよ。
また、一緒に来れたらいいね。。。

始まったばかりの旅は期待と不安に満ちているけれど、その比重は不安よりも期待感の方が2対8の割合になっている。
初体験の遍路旅は、どれを見ても何を聞いても珍しく、感動の連続だった。
慣れない作法、咬んでばかりのお経や般若心経。
呪文のようだと思っていたお経も、いつしかスラスラ唱えられるようになっていた。

ふーっと、何かの気配に肌がざわつき、目には見えない「何か」を感じた瞬間。
確かに感じた「何か」、それは決して恐いものではないと、体がわかっていた。
「今、何かが通ったよね?」AさんもWちゃんも感じていたんだね。

Aさんは、お母さんに会ったと言った。
「お母ちゃんが、私の側に来てくれたんよ。お母ちゃんの匂いがしたよ。。」涙ぐんでいたことがあった。
Wちゃんはイタイイタイと言っていた足がいつの間にか痛みが消え、軽くなったと不思議な顔をしていた。

いつも、私たちは誰かに守られているんよ。
ここではね、会いたい人を想っていると、それがちゃんと通じるき。
心が会いたい人の元へ行くきに。

始めがあれば、必ず終わりがある。
どれほど楽しい旅であっても、最後の日はやってくる。
永遠に終わりのない旅などないように、出口のない悲しみ辛さもいつか必ず終わりがある。
明けない夜がないように、明日は必ずやってくる。

Oさんが、志度寺で話してくれた言葉が、いま思い出される。
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10日目 3月15日 86番 志度寺
AM8:00、Oさんが運転した車が迎えに来てくれた。
おはよう~今日はいいお天気になったき、ぬくくなるよ~。

AM8:20 86番 志度寺(しどじ)。
推古天皇の創建と伝える古寺。
寺の縁起を絵解きする「志度寺縁起絵図六巻」(重要文化財)という壮大な掛物が伝わっている。
縁起にも語られる「海女の玉取り伝説」は、謡曲「海士(あま)」の元となっている。
歴史のある寺にふさわしく、菅原道真筆「仁王経二巻」など寺宝も多い。

志度寺(しどじ)仁王門。
左右に立つ木造金剛力士像は、阿吽とともに鎌倉時代の運慶の作と伝えられ、東大寺の仁王像の習作といわれている。
仁王門

寛永十年(1670)藩主松平頼重によって建立された本堂と、大わらじが奉納された仁王門は国の重要文化財。
仁王門

伝説や物語の多い志度寺境内。
境内

境内

鮮やかな朱塗りの五重塔。
五重の塔

奪衣婆堂(だつえばどう)。
奪衣婆堂

仁王門とともに讃岐藩主・松平頼重のよって建立された本堂。
本尊および両脇侍の不動明王・毘沙門天は、平安初期から中期にかけての作で檜の一本造り。
重要文化財。
本堂

本堂。
本堂

本堂から納経所、隣に大師堂と並んでいる。
閻魔堂、奪衣婆堂とともに、讃岐国王・生駒正俊が建立。
生駒公は房前を祖とする藤原北家の末裔。
大師堂の背後にそびえる大楠は、弘法大師お手植えといわれている。
納経所

大師伝説の一場面を描いた額の揚げられた大師堂。
大師堂

閻魔堂(えんまどう)。
閻魔堂

海女の伝説を伝える石塔。
房前が母の供養に建立した千基の石塔の一部といわれ、約20基並んでいる。
側には高浜虚子の長男高浜年尾の「盆にきて海女をとむらふ心あり」の句碑が立つ。
海女の命日、旧暦の6月16日にちなみ、毎年16日には境内で「志度の16度市」が開かれ、農機具や食べ物などの出店で賑わう。
海女の墓

3月14日 85番 八栗寺
PM4:00 85番 八栗寺(やくりじ)
5つの峰が特徴的な五剣山の中腹にあり、創建は天長6年(829)。
五剣山は標高357mの山で壇ノ浦を挟んで屋島と向かい合っている。
寺伝によると入唐前の弘法大師がこの山に登り8つの焼き栗を埋めて旅の無事を祈願した。
帰国後、再びこの地を訪れ求聞持法(ぐもんじほう)を修したとき、天から5本の剣が降っってきたことの由来といわれている。
大師は5本の剣を巌穴に埋め、大日如来像を刻み山の鎮守とした。
五剣山の山頂からは、広く八ヵ国が望め寺号は八国寺とされていたが大師が埋めた8つの焼き栗から芽が出ていたため八栗寺と改められた。
中世は山岳修験の場として栄えたが、天正の兵火により焼失。
文禄年間(1592~1599)に無辺上人が再興に尽力し、江戸時代には藩主松平頼重・頼豊が諸堂を再建、松平家祈願寺とした。
この寺は「八栗の聖天(しょうてん)さん」とも呼ばれ、札所でも珍しい歓喜天霊場としても知られている。
八栗ケーブルか、車で裏参道から上がるのが一般的らしく仁王門は通らない。

駐車場から裏参道口にある本坊前。
ここから境内まで200m歩く。
裏参道本坊

境内と仁王門。
境内と仁王門

水屋。
境内と水屋

本堂の左手前の聖天堂。
ここに歓喜天が祀られている。
歓喜天は「聖天さん」と呼ばれ、福徳自在、商売繁盛、夫婦和合のご利益がある。
本尊は、木食以空(もくじきいくう)上人が後水尾(ごみずのお)天皇皇后の東福門院より賜ったという、弘法大師作の歓喜天。
象頭人身の男女の神が抱き合った姿をしている。
高さ約15cmの小さな黄金の像で、50年に一度開帳の秘仏。
歓喜天信仰は大師が唐より持ち帰ったといわれている。
商売の神様聖天堂

本堂脇の石段を数十段登ったところにある中将坊堂。
山の守り神である天狗の八栗山中将坊を祀ったお堂。
天狗は修験者の象徴。
祭神の天狗は、金比羅山の金剛坊、白峰山の相模坊とともに讃岐三大天狗の一つであり、鞍馬山の僧正坊、大峰山の善鬼とともに日本五大天狗の一つ。
堂の後ろの山には磨崖仏(まがいぶつ)も残っているが危険なので見学はできない。
中将坊堂への石段

石段を上がったところに中将坊堂

朱色が鮮やかな多宝堂。
昭和59年10月建立された総桧造り、高さ17mの鎌倉様式。
本尊は金剛界大日如来坐像を安置。
内部は四方の壁面に八祖大師と十二天像、来迎壁の裏面に尊勝曼荼羅、四方の扉には八大菩薩が極彩色に描かれている。
多宝堂

多宝堂

文禄年間に無辺上人が再建したものを、寛永19年(1642)に松平頼豊が現在地に移築、修復した。
松平家の祈願寺であったため屋根には葵の紋が入っている。
本尊の聖観世音菩薩は等身大で弘法大師作。
本堂から右手に大師堂があり、その横に多宝堂が建っている。
八栗寺本堂

八栗寺本堂

八栗寺境内。
境内石仏

参拝を済ませ高松国際ホテルに着いたのがPM5:00
Aさん、Oさんは自宅へ戻るのでホテルで別れる。

洗濯洗剤も持ってきていたが洗濯物を干す場所がないので一まとめにしてある。
要らなくなった荷物や土産物、洗濯物をホテルのフロントでダンボールを手配し宅配便で送った。宅配便を送ったのはこれで3回目。
車で移動でも荷物は少ないのが一番。
洗濯物を取り出すと膨らんでいた鞄も軽くなってきた。

Wちゃんは土産は高野山で買うと最初から決めていたそうだ。
ホテルに着くとWちゃんは先ず裸になり、お風呂場に入り湯船の中で洗濯を始める(笑)
クローゼットの中から、あちこちにおぱんつや靴下が干されている(笑)
女同士で気心も知った間柄。裸の付き合いになった。

奥州のおじさんからTEL。
結願を済ませ、徳島のホテルに無事到着。
明日の朝一番のフェリーで和歌山に渡り高野山へ入る予定だそうだ。
私たちより1日早い。
今日は雪が降り寒かったね。とおじさんたちも言っていた。

より道 11 屋島源平古戦場跡。
3月14日 PM3:45
屋島源平古戦場跡。

屋島は那須与一の扇の的、義経の弓流し等で知られる源平の古戦場。
香川の代表的な観光地の屋島は瀬戸内海に屋根の形に突き出た標高約300mの台形の火山台地。
名の通りもともと浅瀬で分離された島であったが、江戸時代初期に埋め立てられた。
遠くからでもすぐわかり、大きな屋根のように見える屋島は南と北の嶺が連なってできている。
800年余前、源氏と平氏の激しい戦いの場となった。
屋島を中心に源平合戦の遺跡も多く、佐藤継信の墓、総門跡、菊王丸の墓、祈り岩、駒立岩等、落ちゆく平家をしのぶにふさわしい遺跡が残っている。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

平家物語の中でも胸を打つのは寿永4年(1185)の早春、屋島で繰り広げられた壮絶な戦いの絵巻。
源氏により西に追われた平家は7歳の安徳天皇を守りながら屋島に本拠地を築く。
海からの攻めに備え警護を固めていたところ源義経は山から攻め入る奇襲作戦に出た。
不意をつかれた平家は散り散りに逃げた。
結局、山口県の壇ノ浦で滅び、幼い安徳天皇も海の底へ沈んでいった。

屋島

屋島

屋島

屋島

屋島

屋島

屋島


3月14日 84番 屋島寺(やしまじ)
屋島ドライブウェイで屋島山頂へ登る。
PM3:20山上駐車場に車を止め東門から参拝。

84番 屋島寺(やしまじ)東門。
屋島寺 東門

屋島寺 東門より境内中

四天門。
「阿形・吽形」の仁王門とは違い、四隅に四天王を配した門。
仏法を守護する持国天・増長天・広目天・他聞天(毘沙門天)が四方を守っている。
屋島寺 四天門

境内。
境内には重要文化財の本堂をはじめ、大師堂、三体堂、熊野権現社、箕山大明神社などが並んでいる。
鐘楼の釣鐘は鎌倉時代に作られたもので「平家供養の鐘」ともいわれれる。
屋島寺

屋島寺 境内

屋島寺(やしまじ)本堂。
唐より来日した律宗の僧、鑑真(がんじん)和上が天平勝宝5年(753)に屋島頂上を訪れ、北領に堂字を建立した。
その後、弘仁6年(815)に大師が北領にあった寺を南領に移し、一夜で堂字を建立したという。
山岳仏教の修験の霊場として栄えた。
屋島寺 本堂

朱塗りの本堂は鎌倉時代後期に建てられ、昭和34年(1959)に復元された。
本尊の千手観音坐像とともに国指定の重要文化財。
屋島寺 本堂

宝物館。
源平合戦屏風、源平盛衰絵巻物、屋島合戦図など、源平合戦にまつわる数々の宝物が収蔵されている。
雪舟が描いた滝見観音、徳川家康所有の太刀、平重盛が寄進した鉄灯篭などのほか、本尊の十一面千手観音菩薩も拝観することが出来る。
宝物館

宝物館

境内と宝物館

箕山大明神。
四国の狸の総大将。夫婦円満・家庭円満・縁結び・水商売の神さま。
アニメ「平成たぬき合戦ぽんぽこ」にも登場した日本三大狸「太三郎狸」を祀る神社。
日本三大狸とは、佐渡、二ツ岩の団三郎狸、淡路、芝右衛門狸、屋島、禿狸(太三郎狸)。
大師が開山のとき、霧深い屋島で道に迷っていたところ、蓑笠をかぶった老人に化けて山頂まで案内したといわれている。
太三郎狸は屋島寺本尊の御中狸で、数多くの善行を積んだため屋島の地主神として本堂横に大切に祀られました。
箕山大明神

箕山大明神

箕山大明神


3月14日 83番 一宮寺(いちのみやじ)
PM1:50 83番 一宮寺(いちのみやじ)。
大宝年間(701~703)に義淵僧正(ぎえんそうじょう)が創建したという由緒ある寺。
讃岐一の宮の田村神社が建てられ、神社の別当寺となる。
行基が堂字を修築して寺号を一宮寺に改めた。
後に大師が聖観世音を刻んで本尊として安置、このとき宗派も真言宗に改宗。
延宝7年(1679)に、高松藩主・松平頼重によって田村神社別当職を解かれ、神社は分離した。
境内は田村神社と隣接しており、仁王門は路地を挟んで田村神社の鳥居と向かい合っている。

一宮寺(いちのみやじ)西門。
一宮寺 西門

一宮寺(いちのみやじ)本堂。
元禄14年(1701)に松平家により再建された。
本尊の聖観音像は弘法大師作といわれている。
一宮寺 本堂

地獄の釜とも呼ばれる薬師如来祠。
楠の根元にある薬師如来の小さな祠。
薬師如来を祀ってある石堂のその台座の下には地獄へ通じる穴があり、ここに頭を突っ込むと地獄の釜の音が聞こえると言われている。
心がけの悪い人が頭を入れると、石の扉が閉まり、頭が抜けなくなると言い伝えられている。
薬師如来祠


3月14日 81番 白峯時(しらみねじ) 82番 根香寺(ねごろじ)
午前中、雪が降ったり吹雪いたりしていたのが嘘のように晴れて日が差してきた。

PM12:00 81番 白峯時(しらみねじ)
五色台の中の白峯山(337m)の中腹にあって、崇徳上皇の陵墓、白峯御陵がそばにある。
高麗門形式の七棟門を入ると、茶堂、御成門、勅使門があって門の中には客殿、庫裡、納経所がある。
さらに左へ進むと宝物館や不動堂、宝庫などの建物が並び、正面が勅額門、ここを入れば崇徳天皇の廟所・頓証寺殿。
本堂は勅額門の手前からの右投を登りつめたところにある。

頓証寺殿。
中央に上皇宸筆の六字名号、向かって左に鎮守の相模坊大権現、右に上皇の念持仏十一面観音をまつる。
門にかかる「頓証寺」の勅額は後小松天皇が応永21年(1414)に奉納したもので、重要文化財。
保元の乱により讃岐に配流された崇徳上皇は、現在の坂出市にあった雲井御所(くもいのごしょ)に3年、木丸殿(このまるでん)に6年間幽閉され、長寛2年(1164)崩御。
遺体は白峰で荼毘にふされ、山腹の白峰御陵に葬られたが、以後たびたび都に変事が続くので、朝廷は白峯時に上皇の霊を祀る御廟所として頓証寺殿(とんしょうでん)を建立した。
また、多数の宝物や荘園を献じ、塔頭21坊を数えるほど隆盛したが、天災や兵火のため焼失。
崇徳上皇崩御の3年後、西行法師が御廟前に詣で、上皇の御霊と歌を詠み交わしたという伝説があり、上田秋成「雨月物語」にも語られている。

参道左手には西行法師廟参の石像と歌碑が立っている。
十三重塔表参道の途中にある2基の石塔で、高さ約5m。重要文化財。
崇徳上皇の菩提を弔うために源頼朝が建てた万茎の供養塔の一部とも言われているが、左の塔には弘安元年(1278)、右の塔には元亨4年(1324)の銘があり、時代が少し下る。
付近には古い石塔や石仏も多く残っている。

国の重要文化財の七棟門(しちとうもん)。
高麗門の左右に2棟の塀を連ね、棟が合わせて7棟ある。
白峯時 七棟門

本堂までの92段の石段。
本堂までの石段

白峯時(しらみねじ)本堂。
参道の右手、頓証寺殿前から石段を登ったところにある。
現在の建物は慶長4年(1599)、生駒一正の再建によるもの。
本尊は智証大師作の千手観音で、人々を種々の災難から救う「身代わり観音」として信仰されている。
本堂

PM12:30 82番 根香寺(ねごろじ)
五色台一つ、青峰山中にあり、深い緑に包まれている。
大師は蓮華谷の香木で千手観音菩薩を刻み、本尊として安置し千手院を建立。
木の根が長い間、芳香を放っていたことから2院を総称して根香寺と号した。
後には後白河上皇の祈願所となり99の末寺を持つ巨刹として栄えたが兵火により焼失。
江戸時代に高松藩主松平頼重公によって再興された。

根香寺(ねごろじ)仁王門。
根香寺 仁王門

根香寺 仁王門

仁王門をくぐると参道は石段で下り、再び上って右に大師堂、左に本坊、納経所がある。
根香寺 境内

根香寺 境内

大師堂は本堂へ向かう参道の右側にあり、明治から大正にかけて建てられたもの。
お掌と参道の間には、1本の木に5色に染め分けられた葉がつくという珍しい「五色のもみじ」の木がある。
境内

境内

本堂への石段。
本堂への石段

根香寺(ねごろじ)本堂。
石段を上ると回廊型式の本堂。
本堂前の回廊はコの字型 に"万体観音堂"があり、全国各地 の人から奉納された観音様の小像 が3万体以上並んでいる。
根香寺 本堂

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