アランと一緒に四国遍路。

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60番 横峰寺、64番 前神寺
PM1:55 横峰寺へ向かう山並み。
横峰寺への山並み

山頂の駐車場。
山頂の駐車場

駐車場から約500mの下り坂の山道。
45番、岩屋寺と並んで難所の1つ。
徒歩で10-20分歩く。
石鎚山の中腹、杉林の山道。
横峰寺へ向かう山道

山道

山道

PM2:15 横峰寺(よこみねじ)本堂。
境内は深山の霊場特有の神秘的な雰囲気に包まれている。
横峰寺(よこみねじ)は、八十八箇所3番目の関所寺。
悪いことをした人や悪心を持ったものは、ここから先へ進めない。
役行者(えんのぎょじゃ)が星ヶ森で石鎚山を拝んでいたとき、頂上に蔵王権現が出現。
その姿を刻んで小堂に安置したのが始まりといわれている。
後に、弘法大師42歳の厄除けのため訪れ、星ヶ森で星祭を修法。
結願の日、石鎚山の頂上に再び、蔵王権現が現れた。
大師は大日如来を刻み本尊とし、霊場と定めたという。
横峰寺 本堂

PM2:55 前神寺(まえがみじ)へ向かう山越え。
前神寺へ向かう山並み

山並み

山並み

PM3:15 64番 前神寺(まえがみじ)参道。
弘法大師は二度石鎚山を登り、ここで求聞持法を修めたと伝えられている。
文徳天皇、高倉帝、後鳥羽帝、順徳帝、後醍醐帝など歴代天皇が厚く帰依したことでも知られている。
中世には領主・河野氏、江戸時代には西城藩主・松平氏から信仰されていた。
松平氏は東照宮を祀り、三葉葵の寺紋を許した。
石鎚山の別当寺を務めたが、明治の神仏分離令により廃寺。
明治11年に再興されて以来、石鎚神社とともに石鎚信仰の二本柱となった。
毎年7月1日から10日間の「お山開き」には数十万に及ぶ白装束の信者が、この寺に集まる。
法螺貝の音に「なんまいだ」と唱和し、30kmの道のりを進む。
昔は、女人禁制で女性は登ることができなかった。
前神寺参道

前神寺(まえがみじ)本堂と境内。
参道には鬱蒼と杉木立が生い茂り、深山幽谷の趣を漂わせている。
桜の時期にはピンク色に染まるそうです。
前神寺本堂と境内

前神寺(まえがみじ)本堂。
日本霊山の一つ、石鎚山の前神として昔から崇められていた。
明治の初め、神仏分離により、神と仏は分けて祀られるようになってから、お宮は石鎚神社として祀られている。
前神寺 本堂

前神寺(まえがみじ)大師堂。
参道の突き当たりに、方形造りの建物。
前神寺 大師堂

前神寺 大師堂

前神寺 大師堂


PM3:50参拝を済ませ新居浜市内へ向かう。
PM5:40今夜の宿、リーガロイヤルホテル新居浜到着。

着替えて一休み後、今日の参拝の報告を本家へ連絡。
夕食は6:30から。

今日も無事参拝。

南無大師遍照金剛
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62番 宝寿寺、63番 吉祥寺
PM1:00 62番宝寿寺(ほうじゅじ)。
「一国一宮別当宝寿寺」と記された、四国八十八箇所で最古といわれる石の遍路標識が立っている。
61番、香園寺から東に2km、国道11号沿。
宝寿寺石碑

宝寿寺(ほうじゅじ)本堂と境内。
天平年間、大己貴尊の神託により諸国に一の宮が建立された。
宝寿寺(ほうじゅじ)は、伊予国一の宮のご法楽所として建立された。
当初は金剛宝寺と称していた。
大同年間には弘法大師が来錫、光明皇后を型どった十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、四国霊場62番札所に定めた。
弘法大師の刻んだ本尊、十一面観音は秘仏のため拝観できない。
宝寿寺本堂と境内

宝寿寺(ほうじゅじ)本堂。
宝寿寺 本堂

PM1:20 63番 吉祥寺(きっしょうじ)本堂。
門柱に「四国唯一体毘沙聞天王鎮座」とある。
霊場で唯一毘沙聞天を御本尊としている。
「米持ち大権現」とも呼ばれ、特に農家の厚い信仰を集めている。
弘法大師が開基された頃は21坊を有し、寺は大いに栄えていたが、その後兵火で焼失、1659年に末寺の檜木寺と合併して現在の場所に再興された。
マリア観音という珍しい観音様(非公開)も保管されている。
吉祥寺 本堂

63番 吉祥寺(きっしょうじ)本堂。
吉祥寺 本堂

成就石。
目 をつぶって金剛杖を突き出し、杖がうまく入れば願いが叶うといわ れています。
成就石

石鎚山麓の滝壺にあった、高さ1m位の成就石。
真中の丸い穴(直径30~40㌢ほどの)に、本堂前から目をつぶり、願い事を念じながら金剛杖が穴に通れば、願い事が叶うという。
成就石


PM1:30 60番横峰寺へ向かう。

59番 国分寺、61番 香園寺
AM10時20分、タオル美術館出発。

AM10:45 59番 国分寺(こくぶんじ)。
風光明媚な唐子浜にほど近い唐小山の麓にたたずんでいる。
幾度となく焼失、再興を繰り返し、現在の本堂は寛政元年(1789)、43代住職の恵光上人が金堂として建立。
国分寺 本堂への石段

石門を入って正面に本堂。
広々とした境内に大師堂、毘沙門天、書院が並んでいる。
書院には奈良時代から平安時代初期にかけての寺宝や文化財、旧国分寺からの出土品が数多く保存されている。
弘法大師が描いた五大尊の絵像一幅、国分寺文書の3巻、不動明王の紙本着色像、弘法大師の画像、大般若など。
本堂前にはお百度石がある。
境内に菊にも似た鮮やかな大輪の花、伊予十大名椿、「唐椿」が植林されている。
国分寺 本堂と境内

59番 国分寺(こくぶんじ)本堂。
国分寺 本堂

薬師のつぼ。
自分の直してほしい部分を押さえながら真言唱える。
国分寺 薬師のつぼ

AM11:30 61番 香園寺(こうおんじ)大聖堂。
閑静な境内にそびえ立つ近代的なコンクリートの建物、大聖堂と呼ばれる建物を見た時は驚いた。
昭和51年(1976)に多額の費用をかけて建立。
堂内に柱が一本もないのが特徴。
香園寺 大聖堂 

香園寺(こうおんじ)大聖堂。
香園寺 大聖堂

大聖堂内。
1階の大講堂にはスクリーンが設置されている。
本堂と大師堂がある2階には700以上の席が設けられ、座ってお参りすることができる。
本堂では、毎日19時から護摩祈祷が行われている。
香園寺 大聖堂入り口

大聖堂内。
黄金色の輝きを放つ本尊の大日如来像。
中央に大日如来、脇仏として左に大師像、右に不動明王が安置されている。
香園寺 本尊大日如来像

大聖堂の横にある子安大師堂。
大正2年(1913)住職の瑞園師(ずいえんし)が子安講を創始し、難産で苦しむ女性たちの祈祷をした。
女人成仏などの四誓願を広めため、国内はもとより当時の朝鮮、台湾、満州、関東州、青島、アメリカまで行脚し、信者の帰依を集めた。
現在、信者は40万人を超え、「子安の大師さん」と親しまれている。
子安大師堂


PM12:00 道の駅、りんりんパークで昼食。
大きな食堂と、お土産売り場がありました。
団体のツアーのお遍路さんが食事や休憩、お土産を物色中でした。
私も、ここからお土産の伊予柑×5箱を買って発送してもらいました。

昼食は勿論、讃岐うどん。
寒い日だったので、暖かいおうどんがとても美味しかった。
コーヒーのお接待を頂きました。
お遍路さんを大事になさっているお店だそうです。

7日目 3月12日 55番から58番
3月12日 雨。
AM6:00 起床。AM7:00ホテル1F朝食。AM7:30 今治国際ホテル出発。

AM8:10 55番 南光坊(なんこうぼう)本堂。
瀬戸内海の大三島にある大山祗神社(おおやまずみじんじゃ)の別宮として建立。
八十八箇所で唯一「坊」の名が付く寺。
南光坊 本堂

南光坊(なんこうぼう)本堂。
町中にあり、周囲は賑やかで「しまなみ海道」の開通でお遍路さん以外の観光客の参拝も多く和やかな雰囲気のお寺。
南光坊 本堂

AM8:40 56番 泰山寺(たいさんじ)
泰山寺

山門はなく、白壁の石垣に囲まれている。
かつて、梅雨の時期になると毎年のように蒼社川(そうじゃがわ)が氾濫し、多くの人命を奪っていた。
村人は悪霊の仕業と恐れ、人取川と呼んでいた。
弘仁6年(815)この地を訪れた弘法大師は村人たちを指導し、堤防を築き、河原に壇を築き土砂加持の秘法を行った。
その満願の日に地蔵菩薩を刻み本尊をとし、泰山寺を建立した。
高台に建つ落ち着いた寺に、六道輪廻を表した地蔵車がある。
泰山寺

56番 泰山寺(たいさんじ)本堂。
境内の中に、本堂、納経所、宿坊が並んでいる。
昭和60年(1985)に建てられた大師堂の横に、金剛杖を持ち菅笠を被った大師像が立っている。
泰山寺 本堂

AM9:00 57番 栄福寺(えいふくじ)本堂。
小高い八幡山(府頭山)の麓に建つ。
参道の石段を上りつめると石清水八幡神社、途中から右へ折れて栄福寺の境内へ入る。
栄福寺 本堂

本堂は八幡宮への参道を背にし、他の堂より一段高い所にある。
本堂向かって右手に回廊があり、大師堂、薬師堂など諸堂がコの字型に結んでいる。
本堂に置かれた木製の車や松葉杖は、昭和8年(1933)、難病の少年がここで歩けるようになり奉納していったもの。
病気平癒祈願が多い。
栄福寺 本堂

AM9:30 58番 仙遊寺(せんゆうじ)
天智天皇の勅を奉じて国守越智守興公が堂宇を建立したのがはじまり。
ご本尊の千手観世音は龍女が刻んだともいわれ、天智天皇の守護仏であった。
その後、阿坊仙人と称する憎が40年間参籠し、養老2年(718)4月8日、天雲のごとく忽然と姿を消した。
寺名はこの阿坊仙人の名にちなんで仙遊寺と呼ばれるようになった。
空と海がやわらかく溶け合った風景を眺め、雲と遊びながら姿を消した仙人は、極楽浄土へいかれたのでしょうか。
仙遊寺

現在の建物は、昭和になって建てられたもの。
標高300mの山頂から、瀬戸内海の小島が眺望できる。
仙遊寺 本堂

AM1030
58番仙遊寺より6kmのタオル美術館へ見学。
タオル美術館へ


タオル産地が愛媛県今治市だと始めて知りました。
同市には、タオル製造業者175社が加盟する「四国タオル工業組合」があり、同組合に加盟する事業者の工業出荷額は約630億円だそうです。
しかし、現在のタオル生産は安価な中国産などが主流になっており、今治市を含めた国内のタオル産地は苦境に立たされている。
そのため、国内業界団体は、国に対して中国などへの繊維セーフガード発動を要請したり、今治市では、高価で高品質な製品の生産に方向転換するなどの対策もなされている。

タオル美術館ASAKURA 。
【世界で初めてタオル文化との出会い】

2000年、愛媛県越智郡朝倉村(現今治市朝倉)にオープンした美術館ASAKURAにはタオルを用いた数々の芸術作品などを展示していました。

岩手ナンバーのおじさん車とすれ違いました。
おじさんたちは、より道をせず真っ直ぐ59番国分寺へ向かっていきました。

52番から54番
PM1:40
駐車場へ戻り、荷物を車に乗せ、石手寺門前の食堂で昼食。
ここのお店の中にも、湯気の上がっている、大きなおでん鍋が置いてあった。
さぬきうどんと、お稲荷さんやおでんを一緒に注文するのが四国流。

石手寺名物、美味しいと評判の焼き餅は帰りに買った。
薄型の餅の中に、こし餡が入った白とヨモギの2種類の焼き餅。
近くに来たときは必ず買うし、焼き餅だけを買いにくることもある、とOさんが言っていた。

PM2:20
52番 太山寺(たいさんじ)。
駐車場から参道を300mほど歩くと「三の門」への急な石段。
桜門への急な石段

「三の門」。
四天王を祀る2層の楼門で、正面に大きな本殿が見えてくる。
門の中にみつばちが巣を作り、辺りに蜂がブンブン飛んでいて、刺されないよう静かに脇から入りました。
「三の門」 四天王を祀る桜門

国宝の太山寺(たいさんじ)本堂。
天平年間(729~748)、聖武天皇の勅願で僧行基が十一面観世音菩薩を刻んで寺を興す。
12世紀には七堂伽藍がそろい、寺領は東西3.6km、南北4.8kmに及んだ。
52番 太山寺 本堂

国宝の太山寺(たいさんじ)本堂。
嘉元3年(1305)建造の本堂は、鎌倉時代の豪放な構造。
僧行基が刻んだとされる、十一面観世音菩薩をはじめ、歴代天皇の勅願で彫られた同立像経7体は、いずれも国重要文化財で秘仏。
特に行基の彫った立像は、50年に一度しか開帳されない。
52番 太山寺 本堂

石段を登り大師堂。
石段の上に大師堂

境内脇に犬小屋。
休憩のお遍路さんが、親子ワンと遊んだりビスケットをあげたりしていました。
太山寺 親子ワンコ

太山寺 ちびワン

PM2:50
53番 円明寺(えんみょうじ)仁王門。
門の前には、バスも止まれるほどの駐車場がある。
53番 円明寺 仁王門

境内の中の美しい桜門。
二層の桜門から正面の本堂へ。
円明寺 境内と中門

円明寺(えんみょうじ)本堂。
本尊を収めた厨子に、縦24cm、横10cmの銅板が打ち付けられていた。
「慶安3年(1650)京樋口 奉納四国仲遍路同行二人 今月今日平人家次」と記され、発見したのは大正4年(1924)、この地を訪れた米国のスタール博士で、銅板では日本最古の納札とされている。

本堂の中には、名工・左甚五郎の作といわれる、長さ4mの巨大な龍の彫り物が施されています。
53番 円明寺 本堂

キリシタン灯篭。
大師堂左横に、江戸初期のキリシタン灯篭がある。
形は十字架のようになっており、聖母マリアらしき女性の姿も刻まれていた。
大師堂横にキリシタン灯篭

R196 左手に海を見ながら北へ、53番から54番まで約35Km。

PM4:10
54番 延命寺(えんめいじ)山門。
明治時代に、今治城より城門を譲り受けたという山門。
今治城の城門だった延命寺 山門

寺宝に宝永元年(1704)、時の住職が私財を投じた鋳造の鐘がある。
今治市指定の文化財。
この梵鐘は、長田我部の兵士達が軍用金にしょうと椋奪し海上へ運んだとき、梵鐘自ら海中へ沈み椋奪を拒んだという伝えがある。
鐘の周囲に寺の歴史、由来が細かく刻み込まれている。
54番 延命寺 本堂

当初、今治の西北にある近見山(ちかみざん)の頂きあり、「近見山円明寺(ちかみざんえんみょうじ)」と名付けられていたが、53番札所と同じ名前だったので、明治初期に延命寺(えんめいじ)に改名された。
本尊は不動明王だが、大日如来の宝冠をいただき、大日如来と合体している珍しい本尊像。

鎌倉時代には凝念国師(ぎょうねんこくし)が、学僧の教科書とも言える「八宗綱要(はっしゅうこうよう)」をここで書いたといわれ、当時は学問の府でもあった。
54番 延命寺 本堂

本堂から大師堂へ、石段を上っていく。
大師堂には、張紙などがたくさん貼られ、賑やかな風情。
大師堂への石段

大師堂への石段


PM6:00 今治国際ホテル到着。
今治市内で道に迷い、ホテルの前を通り越していたそうです。
GSで道を聞き、引き返して今夜の宿にたどり着きました。
23階建ての、洒落た綺麗なホテルでした。

7時に夕食の予約をして、Wちゃんが先にお風呂へ入り、その間に今日回ったお寺の確認とメモを整理し、本家へ連絡。

今日も1日、無事参拝に回ることができたことに感謝。
南無大師遍照金剛。

知ったかぶり その5
3月11日 PM1:30 51番 石手寺(いしでじ)宝物館。
四国遍路ルーツと言われる衛門三郎。

衛門三郎ゆかりの「玉の石」をはじめ、1100余点の寺宝から常時約100点を展示。
いずれも開基以来の歴史を物語る貴重な品々ばかり。

石手寺は、四国お遍路の祖と言われる衛門三郎ゆかりの寺。
伊予の豪族越智玉純によって開かれて以来「安養寺」とされた寺号が、寛平4年(891)に「石手寺」に変わった。

12番焼山寺、衛門三郎伝説。
(知ったかぶり その2 丈杉庵(じょうしんあん)参照)
伊予・荏原の豪族衛門三郎は、托鉢の僧にむごい仕打ちをしたため、8人の子供を失う。
この僧が弘法大師だと知り、大師の後を追いかけたが巡りあうことが出来ず、21回目に逆回りをし、焼山寺で行き倒れになる。
その臨終の場に、大師が現れ衛門三郎の「伊予の領主に生まれ変わり、善政をしたい」という最後の望み聞き、「衛門三郎再来」と記した石を握らせてやる。

やがて伊予の領主、河野息利に男子が誕生したが、この子は左手を握ったままで開かない。
そこで、安養寺に連れていき祈祷をしてもらうと、手が開き石を握っていた。
その石には「衛門三郎再来」の文字が記されていた。

衛門三郎と刻んだ石は「玉の石」と呼ばれ、寺の名前を「石手寺」に代わり寺の宝として飾られている。

輪廻転生。前世。うまれかわり。リインカーネーション。
ずっと昔に観た映画を時々思い出す。
「死んでも必ず生まれ変わる。」
「前世の記憶を持っている。」
シネマのストーリーは殆ど忘れているのに、前世の記憶を持って生まれ変わるところだけが忘れられない映画。
もう一度見直したくて蔦谷へ探しに行くが見当たらない…
タイトルが違うのか、記憶違いか。。。

石手寺に行き、衛門三郎の話を聞いたとき”輪廻転生”を信じました。
必ず、来世もアランと巡りあえる。幾たび生まれ変わっても。

石手寺 宝物館。
石手寺 宝物館

宝物館 入り口

衛門三郎の生まれ変わりが握っていたという「玉の石」
赤子が握っていたには大きくないー?大人のグーの大きさの石ですよ~
こんなに大きな石を握った赤子を産み落とすのは大変だったろうなーって思ったりして。。。罰当たりですね…(^_^;)
衛門三郎 玉の石

衛門三郎 玉の石

八十八箇所のお砂。
一つ一つのお砂に触り、ここで霊所巡りができます。
四国霊場八十八箇所お砂場

宝物館にて


49番から51番
3月11日 AM11:55 49番 浄土寺(じょうどじ)

伊予鉄道、横河原線久米駅の北、地元の人たちが「空也谷」と呼んでいる小高い丘の中腹に建つ。
念仏踊りの祖、空也上人(くうやしょうにん)は天徳年間(957~960)、この寺に3年間滞在、道を開き、橋を架け、念仏と踊りで仏教を庶民の中に広めていた。
そのころ、京に疫病が流行り、空也は救済に出かけることになった。
別れを惜しむ村びとの願いを入れ、自分の像を彫っている。
右手に撞木、左手に鹿角の杖を持ち、口から6体の小さな仏像が出ている有名な空也像は、寄木造り、高さ122cmの空也上人立像である。
6体の仏像は、「南無阿弥陀仏」の6文字を意味し、まさに説法そのものが「仏」。
京都の六波羅密寺の康勝作の空也像とそっくりで、国の重要文化財になっている。

浄土寺(じょうどじ)仁王門。
近くには空也上人の修行の場「空也谷」があるどっしりした仁王門は大正11年(1922)に建立された。
仁王像、阿像の仁王様の目が空洞になっていて少し不気味だった。
浄土寺 仁王門

仁王門に遍路ポスター貼ってあった。
素敵なポスターでしばし立ち止まり眺めていた。
仁王門に遍路ポスター

仁王門をくぐると石段、その向こうの正面に本堂が見える。
浄土寺

本堂正面には奉納の水色の幕が張られ、高台にある本堂の背後は竹林になっている。
本瓦葺きの屋根を持つ唐様式の簡素な建物だが、壮重なたたずまい。
向かって右の少し奥に大師堂が建っていて、本堂と大師堂の間に大師像があるほかには阿弥陀堂、愛染堂などの堂宇、境内の隅に空也松がある。
本堂は文明16(1484)年の建築で、重要文化財に指定されている。
浄土寺 本堂

PM12:20 繁多寺(はんたじ)山門。
淡路山(あわじやま)という丘の中ほどに位置し、山門から松山城を中心とした松山市内一帯から遠くに瀬戸内海を望むことが出来る。
繁多寺 山門

境内は広く、背後の鬱蒼とした森を背景に堂字が建ち並ぶ。
この広さに、往時の繁栄ぶりが示されている。
繁多寺 本堂と境内

本堂右手に鐘楼、その奥に大師堂、鐘楼と向き合って鳥居が立ち、本堂石段の下に弁才天を祀った小さな池、広大な境内の中にちんまりとまとまっている。
鳥居の奥に、歓喜堂があり、四代将軍徳川家綱公の念持仏といわれる歓喜天が祀られている。
繁多寺 本堂

PM12:44 石手寺(いしでじ)
近くの道後温泉からの観光客、湯治客の参拝で賑わっていた。
門前では、寺の投げ米を粉にして焼いたのが始まりといわれる石手寺、名物焼餅が売られている。
石手寺入り口。
石手寺入り口

石手寺

道後温泉からの観光客で賑わっている仁王門までの回路。
仁王門までの回郎は絵馬堂にもなって句や連歌、能役者などの名前を書いた額が納められている。
仁王門までの回路

河野通継が文保2(1318)年に建立したといわれる仁王門。
三間一戸楼門、屋根は入母屋造、二軒(ふたのき)、本瓦葺で、二階の床は張らない。
建築様式は和様で、円柱上の三手先の腰組で回縁を支え、中備(なかぞなえ)として正・背面には蟇股(かえるまた)を、側面には間斗束(けんとづか)を置く。
軒も同様に三手先で受けられるが、この中備はすべて間斗束となる。
軒の反りや張りをはじめ、建物全体の均整はよく、全国の楼門の中でも屈指の優れた作品と評価されている。
その蟇股は、鎌倉期の特徴を備えた傑作との名声を博している。
門の左右室には、運慶一門の作と伝えられる金剛力士の逞しい立像が安置される。
石手寺 仁王門

境内の真ん中あたりにある湯音石は、耳を当てると道後温泉の湧く音が聞こえるといわれている。
渡らずの橋や水天堂の水瓶など、「石手の七不思議」と言われるものがある。
本堂の右側には見事な三重塔が建っている。
鐘楼堂など、いずれも国の重要文化財で、広い境内の奥にある訂梨帝母天堂(かりていもてんどう)は、子供を守る鬼子母神を祀っている。
安産祈願の妊婦たちはここの石を持ち帰り、無事に出産すると石を二つにして返すので、お堂の前には小石の山ができていた。
石手寺 本堂


この後、宝物館を見学。
本堂奥の宝物館に、衛門三郎の握り石が展示されていた。

朝8時に道後温泉から出発し、参拝に回ったけど、気が着いたらまた道後温泉のほんの近くに戻っていた。
Oさんが、
「歩いても来れた?」って笑っていた。
来れない、来れない、全々来れません。
この次の為にもう少し詳しく道順教えて下さい、って真剣に思った。

45番 岩屋寺(いわやじ)
AM9:40
駐車場に車を止め、いよいよ八十八箇所中、一番の難所と言われる岩屋寺(いわやじ)。
売店が並び、お茶やお菓子、タオルを盆に乗せたお店の人が「よいお参りを。」と声を掛けて下さった。
ハンドタオルをお接待で頂いた。ありがとうございました。

Wちゃんは、どこまでも続いている山道を見て”ひぇ~”と声を上げていた。
AM9:48 頑張ろうね。と声を掛け歩き出す。

45番 岩屋寺(いわやじ)
大師は弘仁6年(815)、修行のためこの地を訪れた。
そのとき、山にはすでに、「法華仙人」と呼ばれる仙人が住んでいた。
大師を立派な修行僧とみた仙人は、この山を大師の修行の場として譲る。
そのとき仙人は、大師の投げたお経を空中を飛んで掴み、巨岩を真っ二つに割って地上に降り立った。
この割れた岩が、岩屋寺の奥の院の「迫割行場(せわりぎょうば)」と呼ばれる場所で、お遍路さんの行場になっている。

面白い看板が立っていました。
45番 岩屋寺へ

岩屋寺へ

岩屋寺へ

坂道を上って山門へ向かう。
そこかしこには地蔵や苔むした墓標が並んでいた。
参道

細く急な参道は杉木に覆われている。
山麓から六百メートル山急勾配の参道を登る。
参道

道中行倒れの遍路の墓もある。
参道

岩屋寺(いわやじ)山門。
本堂まではさらに266段の石段。
岩屋寺 山門

本堂までの石段

参道

参道

垂直の礫岩峰に抱かれるようにたたずんでいる本堂。
地蔵や墓標が並び、むき出しの岩に抱かれるような本堂にたどり着く。
左右にある礫岩峰は、左の鐘楼門に面したところが胎蔵界峯(たいぞうかいほう)、右が金剛界峯(こんごうかいほう)と呼ばれている。
金剛界峯には、法華仙人の行動の跡と舎利塔が残っている。
岩山と本堂

奇岩、大岩壁に囲まれた本堂。
この山には、三宝鳥.慈悲鳥.鉦鼓鳥.鼓鳥.慈悲心鳥.鈴鳥.笛鳥の七種類の霊鳥が棲んでいたとされるところから地名を七鳥と名付けられた。
岩屋寺(いわやじ) 本堂

背後に迫る巨岩、奇峰の中の本堂。
岩屋寺 本堂

岩屋寺(いわやじ)本堂。
本堂は、大師堂から石段を三、四投下った所にあり、大師堂より小さい。
本尊の不動明王が二体あって、木像の方は安置してあるが、石像の方は山に封じこんであるので、山全体がご本尊。
岩屋寺 本堂

岩屋寺 本堂

AM10:46 約1時間後、参拝を済ませ山門に戻りました。
山門から駐車場まで約20分。
岩屋寺 山門


49番 浄土寺へ向かいました。

6日目 3月11日 44番 大宝寺(たいほうじ)
AM7:00 朝食。
AM8:00 ホテル椿 出発。

ホテルの坂を下り、道後温泉から、からくり時計の前を通り国道33号線へ。

10日に参拝順路を変えたので6日目、11日は44番、45番、49番へと回る。

AM8:57 44番 大宝寺(たいほうじ)。
文武天皇の勅願により701年(大宝元年)に建立され、年号にちなんで名付けられた。
用明天皇の在位当時(585-587)、安芸国(広島県)から来た狩人が十一面観音像を見つけ、手持ちの蓑(みの)や笠(かさ)で草庵(そうあん)を作り祀った。
菅生寺(すごうじ)と呼ばれて民間信仰の対象となっていたが、大宝寺が建てられると本尊とされた。
44番 大宝寺

44番 大宝寺

参道の石段。
石段を上って右側に古い鐘と左側に「平和の鐘」と呼ばれる二つの鐘がある。
境内には杉や檜の大木がそびえ立っている。
高地であるため空気が澄み、木々の間から射し込む日の光が、幽玄は雰囲気を醸し出していた。
44番 大宝寺

44番 大宝寺(たいほうじ)本堂。
44番 大宝寺 本堂

岡山から参拝に来られたワンコと飼い主さん。
目も見えなくなり、足が弱り、歩けないワンコを愛しそうに見つめておられました。
参拝のワンコと飼い主さん


AM9:20 大宝寺(たいほうじ)の参拝、納経を済ませ八十八箇所中、一番の難所と言われる岩屋寺へ向かう。

より道 9 道後温泉 坊ちゃんの湯
PM4:30 道後温泉 ホテル椿到着。

写真だけは、あーちゃんpapaが何度も道後温泉にきているので見ていた。
あの写真で見た道後温泉、坊ちゃんの湯まで来たのだと思うと不思議な感覚。
荷物を部屋へ入れ、あーちゃんpapaに電話。
「ね、道後温泉に着いたよ。
あの写真の坊ちゃんの湯だよ。」
あーちゃんpapaは「そうか。無事着いたか?」と言ってくれた。
その後、本家へ今日参拝したお寺さんと、道後温泉に着いたことを報告。

AさんとOさんとホテルから直ぐの、道後温泉駅とからくり時計を見に行ってきた。
Wちゃんは荷物の入れ替えをしたいと言うので部屋に残り、5時半に坊ちゃんの湯へみんなで一緒に行くことにした。

ホテルから坂を下り、坊ちゃんの湯を通り、商店街のアーケードを進んで行くと、からくり時計、坊ちゃん列車、伊予鉄道道後温泉駅を3人でブラブラ見学してきた。
からくり時計は5時を過ぎていたので、クルクル回る坊ちゃんやマドンナの人形は見ることが出来なかった。
観光会館の職員さんが、坊ちゃんとマドンナの衣装を着て、一緒に記念撮影をしてくれた。

来た道を引き返し、Wちゃんが待っているホテルへ。
ホテルの浴衣を着て、渡してもらった入浴券とタオル石鹸を可愛い竹の籠に入れ、下駄をカタカタ鳴らし、坊ちゃんの湯へ行ってきた。

本館三層楼の塔屋にあたる「振鷺閣(しんろかく)」は、中に太鼓が釣り下げられ、 風呂が始まる朝6時、正午、午後6時に打ち鳴らされます。
また皇族専用の浴室「又新殿(ゆうしんでん)」の観覧だけでも一見の価値あります。
そのほか入館すると夏目漱石ゆかりの「坊っちゃんの間」の見学ができます。
三層楼のどっしりとした「道後温泉本館」、国の重要文化財に指定されながら一般の人も入浴できる、いわば公衆浴場です。
1階には広々とした「神の湯」とこぢんまりとした「霊の湯」の2種類の浴室があり、2階・3階の休憩室との組み合わせで4つの入浴コースがあります。
漱石も通った道後温泉本館は、100年の歳月を経た現代にもその面影を残しています
「千と千尋の神隠し」の中でも参考にされたという建物は、独特の雰囲気を持っていました。
道後温泉 坊ちゃんの湯

観光客が宿泊のホテルの浴衣を着て坊ちゃんの湯に入りに来ます。
道後温泉 坊ちゃんの湯

道後温泉正面の券売所は、浴衣姿の観光客でにぎわっています。
道後温泉 坊ちゃんの湯

道後温泉 坊ちゃんの湯

道後プリンスホテルのお客さん専用のレトロバス。
道後温泉本館とプリンスホテルを運行しているそうです。
道後温泉 レトロバス

一時間に一本くらい市内を運行している坊ちゃん列車。
道後温泉 坊ちゃん列車

道後温泉 坊ちゃん列車

道後温泉 坊ちゃん列車

伊予鉄道道後温泉駅。
道後温泉駅

道後温泉駅前

観光会館前にある道後名物の観光時計。
8時から21時までの毎時00分、その煌煌とライトアップされた時計は時を知らせる音楽とともに下方より持ち上がり、堅く閉ざされた扉がゆっくり開く。
内部から登場するのはマドンナや赤シャツなど夏目漱石著「坊っちゃん」の登場人物の人形が、くるくると回りながら踊る可愛らしいパフォーマンスを披露してくれる。
道後温泉 からくり時計

観光会館職員の方が坊ちゃん、マドンナの衣装を着、観光客と記念撮影をしてくれます。
からくり時計前

からくり時計

からくり時計と坊ちゃんマドンナと一緒に

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