アランと一緒に四国遍路。

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伊予 46番から48番
西予宇和ICから松山ICまで高速道路。
PM2:50 48番 浄瑠璃寺(じょうるりじ)。

浄瑠璃寺の駐車場は入りにくい構造になっていて、進行方向と逆向きの急な坂道がある。
そこを登って浄瑠璃寺 の裏に回ると駐車場があった。
46番 浄瑠璃寺

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺(じょうるりじ)本堂。
現在の本堂は、天明5年(1785)に再建されたもの。
向って右手に、古色蒼然とした大師堂がたたずむ。
本堂の前には、宝珠を手に、カラフルなよだれかけを着けたさすり仏様もある。
一帯は遍路のルーツといわれる衛門三郎の故郷。
境内には「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」という正岡子規の句碑がある。
浄瑠璃寺 本堂

浄瑠璃寺(じょうるりじ)境内。
境内には、樹齢約1000年のイブキビャクシンの大木がそびえている。
これは弘法大師が加持したものといわれており、松山市の天然記念物にも指定されている。
納経所には、仏足・仏手・仏手指紋を型どったオリジナルのお守りが売っていた。
浄瑠璃寺 境内

説法石(せっぽういし)。
数々の御利益があると信仰を集める浄瑠璃寺は、親しみを込めて「御利益のよろず屋」と呼ばれる。
藤棚のそばにある一願弁天は、ただ1つの願いを叶えてくれる芸術の守護神。
知恵、財宝、音楽に関する願いは、特に霊験あらたかと伝わっている。かつて仏がいた霊鷲山の石を埋め込んだ説法石は、腰掛けることができる。
浄瑠璃寺 境内

浄瑠璃寺 境内

四国のみち

PM3:15 48番 八坂寺(やさかじ)山門。
小さな朱塗りの橋を渡ると山門。
47番 八坂寺(やさかじ)山門

八坂寺 山門

山門の天井絵。
八坂寺山門の天井絵

境内 へ入ると右手に庫裏があり、石段 を上った正面に真新しい本堂が建 ち、その左手に並んで大師堂が 建っている。  
堂内の片すみには石仏が行儀よ く並べられ、苔むした七重塔が 建っています。
八坂寺本堂への石段

八坂寺(やさかじ)本堂。
石段を上がると青い屋根のコンクリート造りの本堂。
お遍路さんだけではなく、一般参詣者も多いそうです。
本尊の阿弥陀如来は重要文化財で50年に一度のご開帳のため、めったに拝観できない。
本堂地下には黄金色に輝く千躰仏が安置されている。
八坂寺 本堂

PM3:45 48番 西林寺(さいりんじ)。
田圃の中に建つ西林寺は、お寺 の前を流れる川より低く、橋を 渡って石段を5,6段下がったところに、仁王門があります。
お遍路道より境内が低いのは八十八箇所中ここだけといわれ、この寺を無間地獄にたとえ、罪ある者は奈落の底へ落ちていくところから、伊予の関所寺といわれています。
48番 西林寺

西林寺(さいりんじ)仁王門。
堂々たる仁王門。
西林寺 仁王門

西林寺(さいりんじ)本堂と境内。
仁王門から白壁の塀が連なって境内を囲んでいる。
仁王門から本堂まで敷石が続く。
本堂に横に大師堂、その反対側に持仏堂、閻魔堂や茶堂が並ぶ。
西林寺 本堂

西林寺(さいりんじ)本堂。
本尊は秘仏で、後ろ向きに置かれている。
そのため、本堂の裏側に回ってお参りする。
西林寺 本堂


47番八坂寺(やさかじ)の近くに、文殊院徳盛寺がある。
ここは、四国遍路の元祖といわれる衛門三郎の菩提寺で三郎の屋敷跡があった場所といわれている。
その側の田圃の中に、無信心で貪欲から子供を失い、懺悔発心し、八人の子を埋葬した八塚がある。
八塚は、長男から順に小さく一列に並び、石地蔵がまつられているそうです。

PM4:00参拝を済ませ、今夜の宿、坊ちゃんの湯で有名な道後温泉へ向かいました。
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3月10日 より道 8
PM1:48 十夜ヶ橋(とよがばし) 永徳寺(えいとくじ)。

十夜ヶ橋(とよがばし)。
R56 十夜ヶ橋

四国別格霊場第八番 十夜ヶ橋(とよがばし)永徳寺(えいとくじ)本堂。
永徳年間(1381~1384)の開創と伝えられていますが、火災によって記録を失ったため詳しいことは分かっていません。
その後1727年に再建され、現在の本堂は1846年、寛如によって建立されたものです。
十夜ヶ橋永徳寺

今から約1200年前、弘法大師が四国各地を行脚する途中、大洲地方に立ち寄りました。
しかし、当時の大洲は人家も少なく農繁期であったため、宿をとろうにも泊めてもらえる家がありませんでした。
宿を探しているうちに日は暮れ、仕方なく大師は小川にかかる橋の下で野宿をされました。
その時の夜の長さを大師は
「ゆきなやむ浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」
と詠まれ、次の地に旅立ったといわれてます。
十夜ヶ橋永徳寺

十夜ヶ橋

永徳寺の脇を流れる小川の下、まさに大師が野宿をした場所にあるのがこの仏像。
仏像といえば立っているものを想像しがちなだけになんとなく不思議な感じがします。
横たわる仏像(御野宿大師像)

橋の袂。
仏像の上には寒さをしのぐための加持布団がたくさん掛けられています。
きれいに清掃され、目の前には川が流れています。
この川は雨が降るとすぐに水位が上がるため台風が多かったH16は、5,6回も浸かったそうです。
横たわる仏像(御野宿大師像)

加持布団の様に流れてしまうものは、すぐに川の水位が上がるため雨が本格的になる前にしまうのだそうです。
写真では見えないのですが、お札入れ等は流されないようにしっかり鎖が掛かっていました。
この場所は全国で唯一、野宿修行が許されている場所で、納経所ではゴザの貸し出しも行っているそうです。
管理をされている方々、本当に本当にご苦労様です。
十夜ヶ橋 橋の下


十夜ヶ橋の下の御野宿大師像へは、永徳寺本堂から直ぐ、R56に架かる鉄筋コンクリートの橋の下へ降りていきます。
少し急な石の階段で手すりがありません。
私たちが参拝を済ませると入れ違いに、10人位の団体さんが降りてこられました。
橋の下はそれほど広くない場所で、私たちは脇に寄り、降りる人を待っていました。
その時、中のお一人が足を踏み外し、あっと言う間に4,5段転がり落ちました。
転がり落ちた人は、直ぐに立ち上がり、足やお尻の埃を振り払いながら照れ笑いをなさっていました。
心配して駆け寄った人たちに、
「大丈夫、大丈夫。手を少し擦りむいただけ。」と言っておられました。
あの時、周りにいた私達や他の人達も手を出したり体を止めることが出来たはずなのに、誰一人、どうして体が動けなかったのか。
あの場所にいた全員、固まったまま動けなかったことが、後で考えても不思議でした。

永徳寺の駐車場へ戻りながら、Aさんの言葉に私たちは同じ事を思っていました。
「私が一番近くにいたのに、なんであの時、手を出して止められなかったんだろう。
体が動かなかったんだよね。落ちていくおじさんがコマ送りのように見えたよ。」

永徳寺の参拝を済ませ、橋の方へ向かう団体さんとすれ違った。
こんにちわ。
挨拶をすると、後方にいらした若いお坊さんが、Wちゃんに、
「落とされませんでしたか。」と持鈴を差し出していた。
Wちゃんが、「あ~!私の鈴~!!」と大きな声を出したので私達はビックリ。
若いお坊さんの手を取り、何度も何度もありがとう、とWちゃんは言っていた。

車に戻り、話を聞くと頭陀袋に着けていた鈴が、いつの間に見当たらない。
朝、宿を出る時は着いているのを確認していた。
いつ落としたのかわからないし、気が着くとなくなっていた。
鈴がなくなったと、騒いでもみんなに迷惑を掛けると思い、言い出せなかったそうです。

拾って下さった若いお坊さんとは、今まで何度か参拝のときにお会いしたりすれ違っていたけど、昨日、一昨日は会っていなかった。
今日は何番さんで会ったっけー?
時間もずれているし、永徳寺は番外寺。
十夜ヶ橋へ寄ったとしても、会える確率はほんのわずか。
Wちゃんの持鈴が、Wちゃんの元へ帰りたいと、戻ってきたんだね。

四国遍路で不思議体験をなさった人の話は聞いていた。
私が、不思議なことがあるんだね。と言ったら、
「体が動かなかったのは少し不思議だけど、考えてみれば不思議なことなど何もないのよ。全てはお大師様のお導き。
石段から転がった人には、これから足元に気をつけ階段に気をつける、と言うこと。
Wちゃんには、持ち物を大切にと言うことを教えて下さったのかな。
それとも、若いお坊さんとこれからも縁があるってことかな。」
Oさんが笑いながら言っていた。

3月10日 より道 7
PM1:00 西宇和町卯之町「めん処いけだ」さん。

駐車場の広い「めん処いけだ」さんへ到着。
Aさん、Oさんは、いけだのご主人と女将さんとは顔馴染み。
お店の切り盛りは女将さんがなさっています。
お父様は会長さんと呼ばれ、お客様や有名人のお相手を、奥の会長室でなさっているそうです。

美味しい讃岐うどんを食べ終わったら、コーヒーと自家製のお餅をお接待で頂きました。
うどん、蕎麦、ご飯、お餅、饅頭、アイス、お店に出している食べ物は全部、自家製だそうです。

その後、会長さんから奥の会長室へ案内してもらい、有名人の色紙や写真、テレビの「なんでも鑑定団」に出演したときの写真も見せて頂きました。
会長さんはプロレスラーと親交が深く、お店には有名人が多く来店なさっているそうです。

めん処いけださんの女将さんと一緒に記念撮影。
「皆さまが、私の代わりにお参りなさって下さってありがたいです。」
素敵な笑顔でおっしゃってました。
いけだ女将さんと一緒に

店内。
お相撲さんやプロレラー、芸能人のサインや写真が沢山飾ってあります。
いけださん店内

可愛いお雛さまも飾っていました。
女将さんのお雛さまだそうです。
店内のお雛さま飾り

ジャイアント馬場さんから頂いた靴だそうです。
ジャイアント馬場さんの靴

奥の会長室。
ジャイアント馬場さんの上着。
ジャイアント馬場さんの上着

ところ狭しと有名人の写真やお宝が並べられていました。
有名人が沢山

新潟から来ましたと言ったら、田中角栄さんの自筆のお手紙を見せて頂きました。
田中角栄さんと一緒に写った写真もありました。
田中角栄さん

お聞きしたのですが、どなたの書だったか忘れました(^_^;)
有名人の書

なんでも鑑定団に出演したそうです。
なんでも鑑定団に出演

お店に飾っていたジャイアント馬場さんの靴をなんでも鑑定団に出した時の写真。
タダで頂いたのに。。と会長さん笑いながら言っておられました。
どの位のお値段が着いたのか、お聞きするのを忘れていました(笑)
島田紳助さんと会長さん

タイガーマスクの預り証。
多くのプロレラーたちと親交があり、若手のレスラーたちの応援をなさっているそうです。
プロレスの預り証

チャンピオンベルトを着けさせてもらいました。
肩に掛けたのですが、ずしりと重かったです。
プロレスのチャンピオンベルト


いけだのご主人、会長さんから奥のお部屋で楽しいお話をお聞きしました。
必ずまた来ます。この次は歩いて回ります。と女将さんと約束してきました。

伊予 40番から43番 
足摺岬をAM7:45出発。
県道321号線、四万十川方向へ向かってR56へ。
2時間近く走り、宿毛市まで来ると土佐と伊予の県境は、もうすぐ。
宿毛市街を通り抜けると、伊予の国。

阿波から土佐を通り、これからが伊予の札所巡り。
伊予の札所を「菩提の道場」と言うそうです。
ちなみに
阿波は「発心の道場」
土佐は「修業の道場」
伊予は「菩提の道場」
讃岐は「涅槃の道場」
と呼ぶとOさんから教えてもらい、成程と大きく頷きました。
土佐の道のりを歩くには、相当きつく難儀なことだと、あらためて実感しました。
車の中で距離計算してみました。
23番から24番まで76.7Km。(約、22時間 3日がかり)
24番から25番まで 6.8Km。(々、1時間50分)
25番から26番まで 4Km。  (々、1時間20分)
26番から27番まで30.5Km。(々、9時間 1日がかり)
27番から28番まで38.3Km。(々、11時間 1日々)
28番から29番まで 9Km。  (々、2時間40分)
29番から30番まで 7Km。  (々、2時間)
30番から31番まで 6.7Km。(々、2時間10分)
31番から32番まで 6Km。  (々、1時間40分)
32番から33番まで 7.5Km。(々、2時間20分)
33番から34番まで 6.5Km。(々、1時間40分)
34番から35番まで 9.5Km。(々、2時間50分)
35番から36番まで14.8Km。(々、4時間30分)
36番から37番まで55.5Km。(々、16時間 2日がかり)
37番から38番まで90Km。  (々、26時間 3日 々)
38番から39番まで55.8Km。(々、16時間 2日 々)
39番から40番まで29.8Km。(々9時間 1日がかり)
ざっと距離計算しても驚きの数字になります。。
土佐一国だけで最低で18日間は、掛かりそうな数字になりました。
(あくまでも、健康なベスト状態として)

R56を右に折れ、民家の間を通りAM9:50。
40番 観自在寺(かんじんざいじ)仁王門。
石段を上がると仁王門。
中には相当に古い感じの仁王像がありました。
観自在寺 仁王門

40番 観自在寺(かんじざいじ)本堂と境内。
四国霊場の裏関所と呼ばれている。
石段を上り山門をくぐると境内、 左手に美しい石の多宝塔。  
正面にはコンクリート造りの新しい本堂、その右手に大師堂。
境内には十二支を刻んだ、石仏も並んでいます。
40番 観自在寺 本堂と境内

観自在寺(かんじざいじ)本堂。
四国で最も古い寺として、数多くの歴史をもち、旧暦10月21日の縁日には3万余人の参拝客で賑わい、四国霊場厄除祈願の根本道場として、全国各地からの参拝者が多いそうです。
境内でみかんを売っていたお店のおばさんから、お接待で甘いみかんを頂きました。
ありがとうございました。
観自在寺 本堂

観自在寺(かんじざいじ)から車で1時間。
AM11:10 41番 龍光寺(りゅうこうじ)本堂と境内。
山門はなく、石段を上がると左に大師堂、奥の石段へ続き赤い鳥居がある。
地元の人からは「三間の稲荷さん」と親しまれ、商売繁昌や開運出世を願う人が多いという。
龍光寺 本堂と境内

龍光寺(りゅうこうじ)本堂。
境内は狭く、変った建物の配置になっている。
龍光寺 本堂

龍光寺(りゅうこうじ)から車で30分。
42番 仏木寺(ぶつもくじ)仁王門。
42番 仏木寺 仁王門

茅葺き屋根の鐘桜。
仏木寺でひときわ風情を醸し出すのは、霊場の中でも珍しい茅葺き屋根の鐘桜堂。
元禄年間(1688~1704)に再建されたといわれており、実に300年以上もの歴史を誇っています。
仏木寺 鐘楼

仏木寺(ぶつもくじ)本堂。
本尊が大日如来であることから、地元の人からは「大日さま(さん)」と呼ばれ、信仰を集めています。
仏木寺 本堂

仏木寺(ぶつもくじ)本堂と境内。
寺のおこりに由来してか、牛馬家畜の守り仏としても信仰を集めているほか、疱瘡(ほうそう)除けの御利益もあると伝わっています。
近年は牛馬家畜の守り神から転じて、ペットの霊の供養に訪れる人も多いそうです。
アランと一緒に巡っているワンコたちと心こめて般若心経と唱えました。
仏木寺 本堂と境内

43番 明石寺(めいせきじ)。
寺の名は「めいせきじ」と呼びますが、本来は「あげいしじ」であったため、土地の人は今なお「あげいしさん」または「あげしさん」と呼ぶことも多いようです。
また、寺を代々管理する住職の姓は「明石」で、こちらは「あかし」と読むそうです。
43番 明石寺

明石寺(めいせきじ)仁王門。
仁王門を入ってすぐ右手には、弘法大師の修行の跡といわれる「弘法井戸」などの見どころもあります。
明石寺 仁王門

明石寺 境内

明石寺(めいせきじ)本堂。
本堂は、明治時代に全国の信者の浄財によって建立されたものだそうです。
左右が反り、中央が膨らんだ唐破風造りの屋根は、宮殿を思わせる造りです。
本尊は千手観音だが、これは唐渡来の仏像といわれています。
本堂裏手の山上には、西国巡拝の婦人が寄進した「しあわせ観音像」が鎮座しています。
左手に水瓶を持った観音像は、実に慈悲深いお顔をしています。
周辺には西国三十三ヵ所の石像を配置しており、巡拝することができます。
明石寺 本堂

遍路みちの立て札。
遍路みち


PM12:30お昼休憩で「いけだ」さんへ。

3月10日 より道 6
AM7:30 四国最南端、足摺岬。

足摺岬は、標高433mの白皇山を中心とする花崗岩大地が沈隆と隆起をくりかえし、 長い歳月をかけてできたもの。
岸壁には、荒波さかまく黒潮が絶えまなくうちよせています。
その岸壁にたてば、ゆるやかに弧を描く太平洋はかぎりなく美しく、高さ80mにもおよぶ断崖絶壁は思わずのみこまれそうに なるほどの迫力。
豪快にしてダイナミック。
熱い国・土佐ならではの自然の雄大さを、心底実感してしまいます。
周囲はツバキ・ウバメガシ・ビロウ等の亜熱帯植物が密生。
沖合いはカツオの好漁場。
足摺岬

足摺岬先端部の遊歩道沿いは、両側を高さ4~5mほどの椿が覆い、白亜の灯台までの3㎞ものあいだ続いている。
足摺岬

昭和43年地元有志の手によって、万次郎の業績を記念し足摺岬に銅像が建てられた。
桂浜の坂本竜馬像、室戸岬の中岡慎太郎像とならぶ、維新の群像。
万次郎は、1841(天保12)年に宇佐の漁民と出漁中に漂流、無人島での孤島生活中にアメリカの捕鯨船に救出され、その後世界の海を航海をしてたくましい海の男になった。
1851(嘉永4)年、26歳の時に帰国。
ペリー来航の折に旗本として召しかかえられ、1860(万延元)年に咸臨丸に乗りアメリカへ行った。
維新後は開成学校(のちの東京大学)の教授として多くの人々に英語を教えた。
ジョン万次郎像

足摺岬展望台。
足摺岬展望台

西国最南端。
西国最南端

足摺半島の突端にある四国最南端の岬。
足摺岬

足摺岬

黒潮の荒波が打ち寄せる断崖絶壁に白亜の灯台がそびえ立つ。
足摺岬灯台

足摺岬灯台

足摺七不思議。
動揺の石(ゆるぎの石)。
ゆるぎ石

地獄の穴。
地獄の穴

名号の岩。爪とぎの石。
爪とぎの石

亀呼場。
亀呼場

一夜建立の鳥居。
一夜建立の鳥居


駐車場へ戻ると、見覚えのある岩手ナンバーの車発見。
岩手のおじさんたちも、より道のようでした。

5日目 38番 金剛福寺(こんごうふくじ)
AM5:00起床。
部屋の窓から足摺岬が一望。
昨夜の雨が少し残っており、早朝のせいか太平洋の海とは思えない、冷たい風景が目の前に広がっていました。
AM5:00足摺岬

AM5:00足摺岬

朝食を済ませAM6:30ホテル出発。

AM7:00 38番 金剛福寺(こんごうふくじ)山門。
金剛福寺(こんごうふくじ)は四国の最南端、足摺岬にあり険しい場所になっています。
西国浄土、極楽に一番近い最果ての地。
厳しい自然の中で人々の信仰を集め、古くから栄えた大きなお寺です。
38番 金剛福寺(こんごうふくじ)山門

金剛福寺(こんごうふくじ)本堂。
山門を入り石段を上がると正面に本堂、左手に真新しい大師堂があります。
この地を観世音の理想の聖地とした弘法大師が、自ら千手観音を刻んで安置しました。
右手には多宝塔があります。
金剛福寺 本堂

境内の広さは3万6千坪。
広大な境内に本堂、大師堂をはじめ愛染堂、地蔵堂、弁天堂、多宝塔、等が建ち、鎮守として熊野三社権現が祀られている。
多宝塔の後方に和泉式部がその髪を埋めて供養したという逆修塔がある。
境内の大師亀。
金剛福寺 境内

参拝を済ませ山門を出ると朝散歩のハスキー犬を連れたおじいさんに会いました。
年を聞くと13歳。触らせてもらい撫でているとアランのぬくもりを思い出しました。
ハスキー犬


土佐 35番、37番、39番
34番種間寺(たねまじ)から36番青龍寺(しょうりゅうじ)へ回った方が道順てきに効率がいいということで順路が変った。
地図を見ても聞いてもわからないのだから予定は全てお任せ。
青龍寺(しょうりゅうじ)の参拝を済ませ12時前で少し早いけどお昼休憩になった。
お昼は勿論、讃岐うどん。
美味しいおうどんだった。お店のおばさんから「お接待」とお饅頭を頂いた。
どこからお参りにきんさったと聞かれWちゃんが説明してくれた。
Wちゃんの福島訛りの言葉を面白そうにおばさんは聞いていた。
甘いお饅頭はとっても美味しかったです。
おばさん、ありがとうございました。

PM1:00
35番清滝寺(きよたきじ)
海抜400mの医王山の中腹にある。
龍の絵が描かれた山門を入ると石段が続く。
唐破風を備えた堂々とした本堂と大師堂が並び手前に大きな厄除けの薬師如来像がある。
台座を含めると15m近くもあり、内部は厄除けの戒壇巡りができます。
35番清滝寺

大師が修行をし満願の日に金剛杖で壇前を突いたところ、清水が滝のように湧き出、鏡のような池が出来たことから鏡池院清滝寺と名付けられた。
寺の左手に「入らずの山」と呼ばれる小丘りがあり、ここに大師の十大弟子の一人、真如の逆修塔がある。
逆修塔とは生きているうちに自ら作った墓のこと。
境内から雄大な太平洋が望める。
清滝寺本堂

清滝寺から土佐IC、高速道路を走り須崎東IC。
高速道路を降り37番、岩本寺へ向かいました。

PM2:20
37番岩本寺(いわもとじ)山門。
頭だけの変った仁王が守る山門を入ると、境内の左手に方丈、右手奥に向かって大師堂、本堂が並んで建っている。
37番岩本寺仁王門

桜の木の下で難産に苦しむ女に、お大師さまが手水場にあったひしゃくの底を抜いてそれをもって加持祈祷をしたという「子安桜」
一年に三度も栗がとれる「三度栗」
人の足に決して吸いつかない「蛭」
春、桜の散ってしまった頃に、桜の木を見にこられたお大師さまの為に竜宮様が地面一面にまいたという「桜貝」
お大師様が筆を埋めた場所に生える、根が筆の形をした「筆草」
戸を閉めなくても決して盗人の入らない「戸たてずの庄屋」
現実と法益を交ぜた七不思議の伝説があります。
岩本寺

「不動明王」「観世音菩薩」「阿弥陀如来」「薬師如来」「地蔵菩薩」の五体のご本尊が祀られています。
五体も本尊があるのは、四国八十八ヶ所はもちろん、日本中でもここだけといわれています。
岩本寺本堂

本堂の天井画は見事です。
はめこまれた575枚の絵の中には、マリリン・モンローの姿もあるそうですが見つけられませんでした。
本堂内陣の天井のはめ絵

本堂内陣の格天井のはめ絵は、寺院の装飾としては稀有なもの。
高知県を中心に全国から公募した絵画。
この世のもの全てに仏性が宿るという仏教の教えの曼荼羅とも見える。
本堂内陣の天井のはめ絵

岩本寺からR56を走り、足摺岬先端にある38番、金剛副寺(こんごうふくじ)は明日にして延光寺(えんこうじ)へ向かいました。

PM4:00
39番延光寺(えんこうじ)山門
39番延光寺

池に住んでいた赤亀が、竜宮から銅鐘を背負って帰ってきたことから、赤亀山延光寺といわれています。
鐘には延喜11年(911)の年号が刻まれ、国の重要文化財になっている。
納経朱印も亀。
伝説の赤い亀

広い境内には本堂と大師堂だけが建っている。
境内の片隅に「目洗いの井戸」がある。
大師が訪れたとき、付近の民が水に困っているのを知り、錫杖で地面を付くと霊水が湧き出たという。
眼病にご利益があるとそうです。
延光寺大師堂

PM5:00
この頃から少し雨風が強くなり、店じまいを始めていた「道の駅」に寄り頼まれていたお土産用の「四万十川の川のり」を買いました。
雨の中、車を止めて買ってくれたお礼に「お接待」と言って商品の「川のり」を頂きました。
「これは土産用に買ったのよりも良い品だよ」と、おじさんは別の袋に入れてくれました。
おじさんありがとうございました。
雨で四万十川まで降りてみることは出来なかったけど、良い想い出になりました。
四万十川の写真はこの一枚だけです。
四万十川


宿の”みさきホテル”に着いたのは6時半過ぎていました。
足摺岬が目の前に見えました。
ホテルへ行く道には椿の木が沢山あり、椿の花が咲く頃は見事な景色だそうです。
椿の時期は終わっていたようだし夕暮れと雨で花は見当たりませんでした。

9日の走行距離290kmで旅の一番長い距離でした。
Oさん、お疲れ様でした。

3月9日 土佐 33番から34番、36番
桂浜から33番 雪蹊寺(せっけいじ)AM10:50

延暦年間(782-806)に弘法大師が開山。
一時、荒廃したが天正年間(1573-92)に月峰和尚が入山し、時の大名・長宗我部元親と親しかったことから再興。
元親の宗派に倣って真言宗から臨済宗に改宗した。
八十八箇所のうち臨済宗の寺は他には第十一番札所・藤井寺(徳島県鴨島町)だけ。
石柱の門を入って観音堂、鐘楼、大師堂、本堂がある。
33番 雪蹊寺

雪蹊寺

雪蹊寺(せっけいじ)本堂。
広々とした境内正面に本堂があります。
この本堂には一つの額が奉納されています。
中には眼鏡が入っているが、太玄と玄峰のエピソードから眼病祈願を行い、平癒した人が奉納したと思われます。
運慶晩年の作といわれる薬師如来は、鎌倉時代の作風を今に伝える名品で国の重要文化財に指定されています。
脇侍の日光・月光菩薩とともに檜の寄木造。
この本尊をはじめ雪蹊寺は「鎌倉仏像の宝庫」といわれるほど名品が安置されており、宝物館に納められています。
雪蹊寺本堂

34番 種間寺(たねまじ)
観光だけで訪れる人は少なく、地元の信者とお遍路さんが無心に参拝しいく静かなお寺。
山門はなく、細長く延びた境内には、本堂、大師堂、本坊がたたずむ。伽藍は、すげて昭和45年の台風の後に再建されたものです。
34番 種間寺

百済の仏師が彫ったとされる薬師如来像は、国宝にも指定された貴重な仏像です。
旧暦1月21日は一般にも御開帳されます。
弘法大師が訪れ、お堂を整え、唐から持ち帰った五穀(米、麦、粟、きび、豆)の種を蒔いたことから種間寺という名がついたといわれています。
種間寺には底が抜けた柄杓がたくさん奉納されている「子育て観音」があり、底なしの柄杓ほどに通りのよい安産のご利益があると言われています。
種間寺本堂

36番 青龍寺(しょうりゅうじ)仁王門。
大相撲第68代横綱朝青龍明徳(あさしょうりゅうあきのり)の四股名は、青龍寺から「明徳」は母校の名から。
36番 青龍寺

山の斜面を上まで一気に続く苔むした120余段の階段。
弘法大師が唐の地から、寺院建立の地に留まることを託して投げた金色の独鈷が、この地の松の枝にかかっていたことから、独鈷山青龍寺が建立されました。
横綱、朝青龍はモンゴルからの相撲留学していた頃、明徳義塾高等学校(高校野球で有名)の近くにあるこの石段でトレーニングしていたそうです。
青龍寺

青龍寺(しょうりゅうじ)本堂。
境内には本堂、大師堂、薬師堂が
一直線に並んでいるが、これは伽藍配置といい、唐の青龍寺を模している。
本堂には本尊の波切不動明王とともに、寄木造りの愛染明王像も安置。愛染明王は家庭円満、縁結びの信仰を集めている。
鎌倉時代の作とされ、国の重要文化財に指定されている。
海に近いこの寺のご本尊は波切不動明王で、海上の嵐と世間の荒波を切り静める不動明王として崇められています。
青龍寺本堂


参拝後、お昼休憩。

3月9日 より道 5
AM10:00 桂浜。

桂浜パークは休憩所と広いお土産売り場があります。
闘犬センターでは、土佐闘犬の歴史を語る写真や様々な資料を陳列していました。
土佐闘犬センター脇の石段を登ると、はるか太平洋を見すえている坂本龍馬像が建つ。
闘犬センター

桂浜の龍頭岬の坂本竜馬像。
土佐海援隊を率いはるか外国の事情に思いをはせていた龍馬。
薩長連合に尽力し、新政府の基本政策ともなる船中八策を草した龍馬を慕う青年たちは多い。
1928年(昭和3)に完成したもので、和服姿に懐手をしてブーツといういでたちで堂々と立つ。像の高さは台座を含め約13.4m。
坂本竜馬像

月の名所として名高く、白砂青松が美しい桂浜。
一帯は遊歩道が整備されており、文人・大町桂月を偲ぶ記念碑や水族館など見どころが点在している。
桂浜

「おらんくの池にゃ、潮噴くさかなが泳ぎ寄る~」
桂浜

桂浜

桂浜

桂浜

桂浜

桂浜。


桂浜を歩きトイレ休憩。
駐車場へ戻ったら岩手のおじさんたちに会いました。
おじさんたちはこれから休憩。
お先に~と手を振って33番、雪蹊寺へ向かいました。

知ったかぶり その4
お遍路さんとしてのマナー

「十善戒」の心

お遍路さんとしての心得としては十善戒が有名です。
簡単にまとめると
〔一〕不殺生(ふせっしょう)
〔二〕不偸盗(ふちゅうとう)盗まない
〔三〕不邪淫(ふじゃいん)邪淫しない
〔四〕不妄語(ふもうご)嘘をつかない
〔五〕不綺語(ふきご)お世辞を言わない
〔六〕不悪口(ふあっこう)悪口を言わない
〔七〕不両舌(ふりょうぜつ)二枚舌を使わない
〔八〕不慳貪(ふけんどん)欲張らない
〔九〕不瞋恚(ふしんい)怒らない
〔十〕不邪見(ふじゃけん)不正な考えを起さない
となります。
いずれにしろ修行のためにお遍路をしているということを忘れてはいけないことです。
自分は観光旅行だとしても、周囲には仏道修行として巡拝している人がいること、そして自分もその一人ということ忘れてはいけない。

道中でのマナー

①杖は橋の上ではつかない。
(橋の下で休まれておられるお大師様の妨げをしないという遍路独特の戒め)
②杖より先に自分を足を休ませない。
(宿に着いたらまず杖の先を洗い、部屋の上座に立て掛ける)
③行き交う人や土地の人とは明るく挨拶を。
お接待は気持ちよく受け、お返しに納札を渡す。

お遍路さん同士のマナー

宿や道中で一緒になったお遍路さんに、お遍路に出た動機や、相手の家族、プライベートなことをあれこれ質問するのは慎みます。
悩みや苦しみを抱えて遍路旅へ出ている人は少なくありません。


四国の名園。

四国の名園といえば第一に栗林公園。
広大な園内には大小六つの池と十三の丘が造形され、繊細さと雄大さが見事に調和している。
四国は庭石の名産地。
阿波の青石は特に名高く、徳島市の千秋閣や半田町の多聞寺の庭には多くの青石が生かされている。
鎌倉時代の作で、青石による石組に見ごたえがある。
半田町の隣、美馬町の願勝寺は、規模こそ小さいがやはり鎌倉時代の様式をいまに伝える名庭で、京都の天竜寺と同じ手法の枯山水である。
境内には最近、美馬郷士博物館が完成した。
高知市内の五台山竹林寺の庭は、池泉鑑賞式の優しい雰囲気の名庭。
客殿の西部と北部に広がり、江戸時代初期の様式を伝える。
池泉奥の山畔部には枯滝や三尊石組が当時の姿のままに保存されている。


牧野植物園記念館。

五台山竹林寺(ちくりんじ)山門前に、高知出身の植物学者・牧野富太郎を記念した県立の牧野植物記念館がある。
博士の蔵書が納められ、化石や温室花、四季折々の植物が楽しめる。
牧野富太郎は文久二年(1862)の生れ。
小学校を中退し、独力で植物学を修め、膨大な植物を採取し、わが国の近代植物学の基礎を築いた。


「坊さんかんざし」の話の結末。

五台山竹林寺の僧、純信と五台山下の「いかけ屋」の娘お馬とのロマンスは結末は次のように伝えられている。
安政二年(1855)二人は駆け落ちして、讃岐で捕まり、純信は追放されて伊予川之江で寺子屋の師匠となり、お馬は須崎の庄屋お預けの身から、大工寺崎米之助の妻となった。

4日目 3月9日 29番から32番
朝食を済ませ7時、ホテルを出発。

29番 国分寺(こくぶんじ)
杮葦き(こけらぶき)と寄棟造りの本堂。
明治37年に国の重要文化財に指定されています。
内部の海老紅梁(えびこうりょう)は土佐で最も古いとされており、吹寄垂木からは室町時代の特色が見て取れます。
聖武天皇の時代に各地に建てられた国分寺の一つです。
こんもりとした森の中に威風堂々の仁王門があって、一歩くぐると閑静ながらどこかほっとできる境内が広 がります。
土左日記を書いた紀貫之が国司として滞在した国府の地です。
29番 国分寺(こくぶんじ)

本尊の千手観音をまつった金堂は、永禄元年(1558)に長宗我部国親・元親親子が再建したものです。
国分寺 金堂

30番 善楽寺(ぜんらくじ)本堂。
土佐神社の東隣にあり、本堂は昭和58年に改築された近代的な佇まい。
古くは桓武天皇の頃に弘法大師が土佐一の宮の別当寺として善楽寺を建立しました。
明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、ご本尊は29番札所の国分寺(こくぶんじ)に、仁王像は24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)に預けられました。
その後、高知市安楽寺(あんらくじ)にご本尊が移されて30番札所となり、昭和5年の善楽寺(ぜんらくじ)復興後は2ヶ寺が30番札所となっていましたが、平成6年に善楽寺(ぜんらくじ)が30番札所、安楽寺(あんらくじ)が奥の院として正式に定められました。
30番 善楽寺(ぜんらくじ)

善楽寺(ぜんらくじ)本堂。
善楽寺

31番 竹林寺(ちくりんじ)二層の仁王門。
聖武天皇が行基に唐の五台山によく似た山を探して寺を建てるよう命じ、この地に竹林寺(ちくりんじ)が建立されました。
苔むしたお地蔵様や石段がお寺の歴史を偲ばせます。
杮(こけら)葺き屋根の本堂と宝物殿に並ぶ17体の仏像は国の重要文化財。
四国霊場では唯一文殊菩薩をご本尊とし受験生でも賑わいます。
31番 竹林寺(ちくりんじ)仁王門

高知市の東、浦戸湾を見下ろす標高138.8mの五台山の山頂付近にある。
五台山は桜、つつじの名所として名高く、寺の参道には桜の並木が続く。
竹林寺

総檜造りの五重塔。
緑の中に、総高32mの朱塗もひときわ鮮やかな五重塔。
塔は昭和55年の建立。夢窓国師の庭園や宝物舘もある。
竹林寺 五重の塔

32番 禅師峰寺(ぜんじぶじ)
神亀年間(724~728)、聖武天皇の勅願により行基が開基。
その後弘法大師が来錫、求聞持法(ぐもんじほう)を修し、土佐の海の航海安全を祈願しながら十一面観世音菩薩を刻んで本尊とした。
32番 禅師峰寺(ぜんじぶじ)

小高い山の上にあり、参道は険しい道が続く。
参道への急坂

禅師峰寺(ぜんじぶじ)山門。
山門の一対の金剛力士像は、平安時代中期の仏師・定朝(じょうちょう)作といわれ、国の重要文化財。
禅師峰寺(ぜんじぶじ)山門

山門を入ると奇岩、巨岩が並び立つ。
参道の石段は急で上るのも決して安易ではない。
急坂

急坂

参道への坂道

32番 禅師峰寺(ぜんじぶじ)本堂。
土佐湾に面して立つ本堂の扉は、開かれており、中のきらびやかな装具が目の当たりに。
寺は峰山の山頂にあることから(みねじ、みねでら、みねんじ)の愛称で親しまれている。
海上交通の安全を祈願して建立されたという由縁から「船魂(ふなだま)観音」と呼ぶ人も多い。
土佐藩主・山内一豊も、参勤交代で江戸に向かう際には必ずここをお参りしたといいます。
鎌倉時代の銘が残る梵鐘、永禄13年(1570)の銘がある鰐口など貴重な品も収蔵しています。
昭和19年には、俳人・荻原井泉水が訪れ、「梵音海潮音海はこんじょう鐘の鳴る」の句を残しています。
本堂前には、「木枯らしに岩吹き尖る杉間かな」の松尾芭蕉の句碑も建立されています。
32番 禅師峰寺(ぜんじぶじ)本堂


AM10:00休憩。
この後、桂浜へより道です。

3月8日 食事会とお友達 
6時半から始まった夕食はとても楽しかった。

人は一生のうちで、どの位の人と出会うのだろう。
Aさんがこんなことを言いだした。
「人は生涯の中で、出会う人間がきまっている」
学校の友達、職場の友達、親の知り合い、電車の中での顔見知り。
飲み会で出会った友達、本屋で会った人、ネットの友達。。。

初めて会ったのに、何故か懐かしい感じがする人がいる。
何度も会っているのに、印象が薄い人もいる。
何度も何度も話し合っているのに、すれ違ってしまう人がいる。
何も話をしていないのに、分かり合える人がいる。
すれ違いそのまま別れ、二度と会わない人がいる。
たまたま席が隣りあってお話をして、さよならの人がいる。
今日、出会えた笑顔とはまた出会うことが出来るのだろうか。
二度と会えないかもしれないから今、このときがとても大切な時間。

不思議な縁(えにし)で出会った4人。
この場所にいること自体がとても不思議なことなんだ。
もし、アランが元気でいたなら、一生会うことはなかった人たち。
四国を思い出さなければ、会うことはなかった人たち。
ほんのこの前まで、顔も知らなかった人たちと、いまここで食事をしている。
出会いは、前世から決められていた縁(えにし)。
出会うようになっていた運命(さだめ)。
遠い昔、きっと私たちは親子か姉妹か仲の良い友達だったのだろう。
幾たび生まれ変わっても私たちはまた姿を変え、出会うのかもしれない。

参拝の途中、車の中でAさん、Oさんたちの話を聞いていたから、3人がどういうお友達かもわかってきた。
その日の参拝が終わり寝るまで、Wちゃんから四国遍路の旅に出たきっかけやお互いの家庭環境やAさんとの関係も大体聞いていた。

AさんとWちゃんの息子さん同士が関西方面の大学の同級生。
息子たちの入学式で何となくおしゃべりして気が合ってそれからのお友達。
一緒に京都や奈良、倉敷へ旅行へ行ったこともあるそうだ。
息子たちより母親が仲良くなったって珍しいかも。
そういう出会いもあるんだよね。
OさんはAさんとお勤めしていた頃のお友だち。
仕事を辞めた後も、お遍路に一緒に回ったりしている。
Oさんは先達さんの資格を持っておられる。
資格と言うのか認定と言うのかわからないけど、立派な先達さん。
今は専門に先達さんのお仕事をしている訳ではなく、お寺さんに頼まれたり、知り合いに頼まれたときに一緒に回っているのだそうだ。
自分としては専門にこれからやりたい気持ちも有るので今回、Aさんと回ってみようとうことになったと話した。

Aさんが語ってくれた。

「11年前のあの未曾有の大震災、阪神淡路大地震のときにお母さんが死んだんよ。
私の実家は西ノ宮で、それは酷いことになってまるで地獄のようだったき。
あの地震のとき、家が壊れその下敷きになったんよ。
お父さんと弟夫婦は、なんとか自力で脱出したけど、お母さんは逃げ遅れてね。
仮設住宅の暮らしも酷く、私が何度も高松で一緒に暮らそう言っても、ここからは離れないと言い続けていたんよ。
今は元の場所に家を建てて何とか頑張っているけど、あの時の地震で足が少し不自由になってね。
その前から四国遍路に行きたいと言っていたき、お父さんを車で回らせようと考えて、今回はその下準備を兼ね、どの位の距離や時間、費用が掛かるかOちゃんに協力をたのんだんよ。
私に出来ることは、こんなこと位しかないきに。
今ならお父さんも少しは歩けるし階段が無理ならおぶってもいいかなと思っているんよ。」
(高松弁が違うようですが、こういう内容でした。)

OさんもWちゃんもその事情は知っていたようで黙って聞いていた。
私は泣きそうになりながら聞いていました。

「Wちゃんはどうしてお遍路に出ようと思ったん~?」
Oさんが聞いた。
「前に、テレビで見たのよ。
左幸子さんがお遍路さんで回っていたでしょう。
あれから四国に来たくってね。息子がバイトのお金で私に小遣いをくれたのよ。行ってきたら良いって。」
「そうそう。○○君は(Wちゃんの息子さんの名前)うちの子と違って親孝行の良い子なんだよねー。」
「四国は一度来たかったし金比羅さんへ行きたかったのが本音かな~」
(Wちゃんの福島弁は真似できません~。。。)
Wちゃんの話で場が明るくなった。

「haruちゃんはワンコの供養だったっけ?」
Oさんが私に話を振る。
Aさんの話の後でアランの供養とは言いがたく笑ってごまかした。

縁(えにし)
出会ったことが縁なのです。
私たちは遠い昔から今、ここで出会うようになっていたんです。
縁や親孝行やいろんなことを考えさせられました。

部屋へ戻って携帯を見るとわすれさんからの着信が何度も入っていた!
食事だからと携帯を置いていったのだ。
9時過ぎていたけど電話をした。

わすれさんがこれから来てくれるって言ってくれた。
WちゃんとAさん、Oさんに土佐のお友達が会いに来てくれるから行って来るね。と言い残し待ち合わせのロビーへ。

わすれさんとはアランのHPを立ち上げた頃からのネット友。
土佐言葉でコメントを書いてくれたり、とても素敵な詩を綴りお花が大好きな私の憧れの人。

Aさんの話を聞きながら少し涙が流れ化粧がボロボロ。。
どうしょう…アランのお面を被って来ればよかったよ…
憧れ続けたわすれさんにようやく会える。
嬉しいけど嫌われたどうしょう。。。

長い髪のとても華奢な体の素敵な人が待っていてくれた。
1階のコーヒーショップがもう少し開けているというので、そこで冷たいコーヒーを飲みながらおしゃべりを。
会いたかったわすれさんなのにお顔を見たら大感激で話があっちへ行ったりこっちへ行ったり、何を話したのかよく覚えていない。

手術の終わったメーイちゃんは元気、と言うことだけは覚えている。
あと、どんなお話しをしたんだっけ。。
私は持ってきたアランやワンコたちの写真を、わすれさんに見せたんだ。
HPで見ているのだから今更アランの写真を見たってしょうがなかったね。。
少し風気味だって言っておられた。
お仕事を終わらせ、何度も電話を下さったのに。
時間がなくってほんの少しだったけど、わすれさんに会えてとても嬉しかった。
この次は歩き遍路で回るからそのときは1日中おしゃべりしましょう!
土佐へ来れるのは来年かな、その次の年になるかな。
でも、必ずまた来ますから!

わすれさんから、お接待よと大きな文旦を頂いた。
お友達の分もと、紙袋に詰めて持って来てくれた。
風が吹くと飛ばされそうな細い体。
抱きしめたら骨が刺さりそうでした。
わすれさん
ありがとうー!!
わすれさん

わすれさんと一緒に

3月8日 より道 4
PM5:15 高知城。

高知市の中央にそびえる高知城は山内一豊が築いた城で、全国でも数少ない古城の一つ。
国の重要文化財にも指定されていて史跡内には、山内一豊の妻・千代や板垣退助の銅像もある。
関ヶ原の合戦後、山内一豊が土佐の領主として慶長6年(1601)に入国し、大高坂山にその居城として築城。
その後、享保12年(1727)大火でほとんど焼失したが、25年後に再建され現在に至る。
高知城

城郭は典型的な平山城で、天守と大手門が揃っている城は全国で3ヵ所だけといわれており、その中で無理なく1枚の写真に収まる全国唯一のお城です。
昭和9年に国宝に指定され、昭和25年の文化財保護法制定により、現在国の重要文化財に指定されています。
大手門と天守閣

高知城の曲輪の内、大手筋にあたる杉の段から鉄門跡の小さな桝形を経て、二の丸詰門に至るこの道筋が複雑、且つ何重にも設けられた防衛施設がここにあったそうです。 
この辺りから見上げたお城がとても綺麗でした。
高知城

山内一豊の像。
天文14年(1545年)、尾張(おわり)生まれ。豊臣秀吉に仕え、のち、関ヶ原の合戦で功績をあげ、土佐の初代藩主となって高知城を築きました。
山内一豊像


3月8日 より道 3
PM5:00 土佐 はりまや橋。

「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」とよさこい節に唄われたはりまや橋は、高知市東部にある五台山竹林寺の僧「純信」と、いかけ屋の娘「お馬」の恋物語の舞台となったところです。
現在は親水公園として生まれ変わり、観光のシンボルになっています。
はりまや橋

純信とお馬の恋物語。
時代は幕末、竹林寺の僧「純信」が規律を破り、はりまや橋の小間物屋で、思いをよせていた「お馬」にかんざしを買ったことがうわさとなり、他国へ駆け落ちしましたが、すぐ土佐へ連れ戻されました。
その後二人は引き裂かれ、悲しい運命をたどります。
現在土佐で唄われている「よさこい節」は、昔から歌い継がれてきた土佐の民謡よさこい節にこの恋物語を組み込んだもの。
はりまや橋

名物「土佐日記」お饅頭はとっても美味しいと、帰って来た後で知りました。
この次はお土産で買ってきます~(^^♪
はりまや橋

からくり時計。
からくり時計

からくり時計

からくり時計を沢山の人が撮影していました。
はりまや橋

はりまや橋

お遍路さん姿でも誰も振り向きもしません。
四国では街中でもお遍路さんは珍しくないのですね。
はりまや橋にて


3月8日 土佐 27番28番
PM1:40昼食兼休憩。
室戸の海を見ながらR55線沿いの大きなドライブインで昼食。
駐車場へ車を入れると大型のバスや車が沢山止まっていた。
お土産屋さんも兼ねていて観光客や参拝の団体さんも大勢。
見覚えのある団体さんやグループの人達で賑わっていた。
その日によって、何度も同じ団体さんに会うときも有るし全々会わないときもある。

「岩手のおじさん、どこまで行ったかなー。
より道をしていたとき、追い抜いて行ったから大分先まで行っているね。」とOさんが言った。
昨日から岩手ナンバーのおじさん二人連れに何度も会っていた。
Wちゃんが、お寺で会ったときに身元を聞きだしたらしい(笑)
私たちの間では「岩手のおじさん」と呼んでいた。
お一人は4年前に歩いて回り、もう一人のおじさんは初めてのお遍路。
歩き遍路をなさったおじさんは作法も読経も慣れていた。
おじさんたちも私達を気づいていたらしく、会うと手を振ったり笑いかけたりしてくれた。
先に行ったはずなのに、後から岩手ナンバーの車が現れた時は、どこかで道を間違えたねとAさん、Oさんが笑っていた。

PM2:45 27番 神峯寺(こうのみねじ)
土佐第一の難所といわれる神峰寺。
奥深い山の霊気がただよう境内には、鐘楼と庫裡があり、長い石段を登ると本堂と大師堂がある。
27番 神峯寺(こうのみねじ)

神峯寺(こうのみねじ)仁王門。
19番立江寺に続く土佐の関所寺。
630mの神峯山頂付近のある寺まで、「真っ縦」と呼ばれる急な参道がせり上がっている。
寺内の景観の美しさでは、四国霊場でも有数といわれる。
神峰寺(こうのみねじ)仁王門

仁王門から本堂までは、約150段の石段を上りつめる。
石段の両脇には美しい日本庭園が整備されている。
仁王門から本堂への階段

石段の両脇には、樹齢百年の古木と、綺麗に手入れされた低木が植えられ、そのコントラストがとても美しい。
梅の木に止まっていたのかウグイスの鳴き声を聞きながら上りました。花の名所としても有名だそうです。
本堂までの階段

石清水。
持参したペットボトルにも頂きました。
この水は病気平癒に霊験あらたかであるという言い伝えがあります。
北海道在住の女性が病の床につき、危篤状態の時に夢に弘法大師が現れた。
鐘楼の後ろから湧く水を飲ませてくれ、目覚めた後に女性は一命をとりとめた。
その後、女性が夢に出た場所をこの神峯寺で見つけたという。
石清水

未だ々続く長い階段。。。
本堂までの階段

本堂。
三菱財閥創始者である岩崎弥太郎の母親が、息子の開運を祈願して熱心にお参りしたことでも知られています。
母親は安芸市にある自宅から寺までの20kmを歩き、さらには「真っ縦」を登る・・・という苦労を約21日間も続けました。
母の愛のなせるわざか、明治維新までは土佐藩の下級武士だった岩崎家の出身ながら、弥太郎は日本を代表する大財閥の総師となることができたといいます。
鬱蒼とした樹木を背にした堂字は簡素ながら堂々としたたたずまい。
境内からは、土佐湾が一望できる。
本堂

28番 大日寺(だいにちじ)
山門をくぐり急な坂を上って本堂へ。
28番 大日寺(だいにちじ)山門

本堂。
本堂の屋根は端が反っているが、これは平安時代の特徴をこ示したものである
本堂から少し離れた場所にある奥の院には、弘法大師が爪で彫ったとされる薬師如来・爪彫薬師(つめぼりやくし)の霊木がある。
目、耳、口、鼻など首から上の病気にご利益があると伝えられている。このご利益を受けて病気が平癒した人は、穴の開いた石を奉納する。
大日寺本堂

本堂


PM4:30
高知市内へ。
はりまや橋を見て高知城を通って高知新阪急ホテルへPM5:30チェックイン。
高知に入る日は、わすれさんに連絡をしていたけど、私が四国へ来る前にメーイちゃんが手術入院になるので時間が取れないかもしれないとメールを貰っていた。
またいつか会えるからメーイちゃんの側にいてあげてくださいとお返事は出しておいた。
声だけでも聞けたらいいな~とは思っていたが無理に時間を作ってとは言えない。
携帯の着信は入っていないので今回は会えないなと諦めていた。

夕食は少しゆっくりしましょうと6時半に予約。
Wちゃんが先にお風呂へ入っている間に本家へ今日の参拝の報告。

夕食はホテルのレストラン。
和食のコースで早く着いたし、阿波も無事お参りが済んだからとワインで乾杯。
いいの?ワインを飲んでも?と聞くと、これはワインじゃないの。般若湯だよとAさんが笑った。
そっか、般若湯ならいいんだよね。

3月8日 土佐 24番から26番
23番薬王寺(やくおうじ)から24番最御崎寺(ほつみさきじ)までは83km。
より道をしながらAM11:20最御崎寺に到着。

24番 最御崎寺(ほつみさきじ) 
風格を漂わせる山門をくぐると南国情緒溢れる広い境内。
ウバメガシやアコウの密生林を通り、亜熱帯の植物に囲まれた本堂へ向かう。
24番 最御崎時(ほつみさきじ)境内

石をたたくと音が冥土まで届くと言われる鍾石。
鍾石

24番 最御崎寺(ほつみさき)本堂と境内。
室戸市の西にある第26番金剛頂寺が「西寺」と呼ばれるのに対して、最御最寺は「東寺」と呼ばれる。
24番 最御崎寺(ほつみさき)本堂と境内

宝物館。
本堂の奥に宝物館の他に聖天堂、護摩塔、遍路センターなどがある。
宝物館には数々の寺宝を保管している。
特に、大師が唐から持ち帰ったといわれる、大理石丸彫りの石像如意輪観音半伽像、藤原時代作の薬師如来座像、月光菩薩立像の三体と、足利時代の銘入りがある三足の丸盆一対は、国指定の重要文化財となっている。
宝物館

本堂。
本堂

25番 津照寺(しんしょうじ)
大同2年(807)弘法大師がこの地を訪れたとき、海で働く人々の無事と豊漁を祈って延命地蔵尊を刻み、堂字を建立し安置したことに始まる。
延命地蔵尊は秘仏で拝観できない。
「今昔物語」(第17巻)にみえる室戸・津寺の地蔵霊験譚はこの寺のことと言われ、老若男女を問わず篤く信仰されている。
藩主山内一豊が室津の沖で嵐にあって遭難しかけたとき、一人の僧が現れて船を操り、無事に帰還できた。
翌日、津寺を訪れてみると、本尊はびしょ濡れであったという。
25番 津照寺(しんしょうじ)

津照寺の朱塗りの仁王門。
仁王門をくぐると右手に大師堂と方丈があり、正面には長い石段が鐘楼門を貫いて続いている。
本堂はその奥の、更に石段を登り切ったところ。
津照寺 仁王門

本堂に向かう石段。
朱塗りの鐘楼門。別名「仏の灯台」と呼ばれている。
本堂までの階段

本堂までの階段

登ってきた階段。。。目が回る…
登ってきた階段

26番 金剛頂寺(こんごうちょうじ)
24番 最御崎(ほつみさきじ)を「東寺」と呼ぶのに対し、金剛頂寺(こんごうちょうじ)は「西寺」という。
26番 金剛頂寺(こんごうちょうじ)

金剛頂寺 山門。
金剛頂寺 山門

金剛頂寺

本堂。
境内に大師が唐から持ち帰って植えたと伝えられる白檀の木があり、門前に「弘法大師天狗問答」と刻んだ石が建っている。
昔この寺に多くの天狗が住み着き、人々に害をなしていたのを大師が追い払ったという。
寺内の椎林は、珍しい寄生植物ヤッコウソウの自生地として県の天然記念物となっている。
26番 金剛頂寺こんごうちょうじ)本堂

本堂

金剛頂寺より室戸岬を遠望する。
金剛頂寺からの室戸岬


3月8日 より道 2
AM11:07 室戸岬。

海岸沿いには遊歩道が整備されており、太平洋の雄大な景色や波の浸食によってできた独特の地形を見ることができます。
岬全体が室戸阿南海岸国定公園に属し、展望台、白亜の室戸灯台、測候所などがあって、そこから眺める海と空、海岸線の繰り返す景色は豪快そのもの。
近くに坂本竜馬の盟友、中岡慎太郎の銅像がある。
 
R55 室戸岬

室戸岬

室戸岬

室戸岬

室戸岬

室戸岬

室戸岬

室戸岬

室戸岬

目洗いの池


知ったかぶり その3 
弘法大師修行の地。室戸御蔵洞(みくろどう)
徳島方面からR55線、室戸岬入り口右側。

大師19歳のとき、室戸岬を訪れ、ここで修行し虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を成就した。
洞窟から見えるのは空と海だけであり、大師はこの地での悟りの中から空海の名に改められています。
この『虚空蔵求聞持法』は一定の作法に則り、虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという修行です。
1日2回行うと8時間、100万遍唱えるには100日かかると言われます。
これを行うことによって、あらゆる経典が覚えられるという「超記憶術」。
ある日の明け方、明星(金星)が口の中に飛び込んだと言う神秘体験をしたそうです。
明星は虚空蔵菩薩の化身であると考えられていたことか仏と一体になったと言われてます。

御蔵洞(みくらどう)

自縛霊ではありません(爆)
御蔵洞(みくらどう)

御蔵洞(みくらどう)

映画「死国」にこの場所が出ていました。
御蔵洞(みくらどう)

御蔵洞(みくらどう)

御蔵洞(みくらどう)

御蔵洞(みくらどう)

御蔵洞(みくらどう)


3月8日 より道 
AM9:17 ウミガメの海岸。

R55線、室戸阿南海岸(むろとあなんかいがん)国定公園大浜海岸へより道。

全長約500mの砂浜が続く徳島県の日和佐町の大浜海岸は、6月下旬から8月上旬にかけて毎年アカウミガメが産卵のためにやってくる地として有名。
昭和42年(1967)海岸にやってくるアカウミガメとその産卵地としてこの砂浜が国の文化財・天然記念物に指定されました。
アカウミガメの産卵地は他の地域にもありますが、産卵地として国の指定を受けているのは、静岡県の御前崎と大浜海岸の2ケ所のみ。
大浜海岸

室戸阿南海岸国定公園

公衆電話BOXがアカウミガメ。
ウミガメの公衆電話BOX

大浜海岸

牟岐から海南、海部そして高知との県境の宍喰までは、おだやかな砂浜と美しい磯辺が繰りかえされる海岸線で、熱帯魚などが陸から肉眼で見える程透明度の高い水質。
同じ四国の四万十川が「最後の清流」であるならば、現在でもリゾート開発がない、手つかずの室戸阿南海岸国定公園は「最後の海岸線」と言われています。
大浜海岸

大浜海岸

大浜海岸


三日目 3月8日 阿波の国 最後の22番 23番
晴れた良いお天気。
朝食を6時にお願いして7時に出発。
ビジネスホテルらしく、スーツ姿の男の人が3,4人一緒の食事だった。

22番 平等寺(びょうどうじ)
一切衆生を平等に救済する。と言う意味から名付けられた。
22番 平等寺(びょうどうじ)

どっしりとした平等寺の仁王門。
平等寺の仁王門

石段の左にあるこの井戸の白水は万病に利く「弘法の水」として知られまた、開運の霊泉として信仰がある。
「鏡の井戸」とも呼ばれ、どんな日照りでも水が涸れることはないという。
平等寺と万病に利く白水泉

上ってきた階段です。目が回りそう。。。
上ってきた階段

本堂。
医者にも手離され、ひたすら大師にすがり、奇跡を信じて巡拝する人達。
これを四国病院へ入院すると言う。
ここには、不要になったギブスや松葉杖が沢山、奉納されていました。
平等寺本堂

大師堂。
大師堂

23番 薬王寺(やくおうじ)
厄除けの根本祈願寺として開山されたお寺。
本堂には前向きと後ろ向きの二体の薬師如来が安置されている。
文治4年(1188)の火災のとき、本尊は自ら西の玉厨子山へ飛んでいってしまい、本堂を作り新しい薬師如来を安置すると再び戻ってこられ、後ろ向きにはいられたという。
23番 薬王寺(やくおうじ)

写真上の方に見える赤っぽい建物が瑜祇塔(ゆぎとう)
瑜祇塔は両部不二を表す密教寺院独特な建物。
薬王寺の瑜祇塔(ゆぎとう)

薬王寺山門

本堂までの参道。
厄除けの階段までの道

吉川英治の「鳴門秘帖」と司馬遼太郎の「空海の風景」の石碑がある。
「鳴門秘帖」と「空海の風景」の石碑

「空海の風景」よりの一節が刻まれている石碑。
司馬遼太郎「空海の風景」の石碑

本堂に詣でるにはまず三十三段の女厄坂と、四十二段の男厄坂を登っていく。
厄年の男女は各階段ごとにお賽銭を置いて厄払いする。
私も33才の厄払いしなくっちゃ。。(笑)
33段の女厄坂

本堂から瑜祇塔までの石段は六十一段で還暦の厄坂になっている。
石段には一円玉が沢山置いてありました。
瑜祇塔までの石段

薬王寺から見た日和佐の町の風景。
薬王寺から日和佐の町の風景


\(~o~)/阿波の国、制覇しました!

平等寺の境内に果物屋さんが2,3軒並んでいて「お接待です。」と甘いみかんを頂きました。
どこからお参りにきんさった?と聞かれWちゃんが代わりに応えてくれた。
「福島からだよ。このコは新潟から。」
「遠いところから、よーきんさんったね。新潟は雪が沢山有ってさむいだろうね。」と言ってくれた。
雪はもうないのに、新潟って聞くと、どれほど雪深いところと思うらしい。

お店の人や、すれ違ったお遍路さんたちが
「よいお参りを。」と声を掛けてくれる。
お接待と言ってジュースやお茶やお菓子、お饅頭を渡してくれる。
ありがたい。
四国の人は誰もが、とても優しい。

四国の人、全てがお遍路に回るのかと思っていたけど、みんなが巡る訳ではない。
自分たちの代わりにお参りしてくれてありがとう。
おかげさまでという気持ちでお接待をしてくれるのだそうだ。

お接待は
「弱者」に対する支援であって、言ってみれば助け合いの延長にある「施し」の気持ちと、「自分自身の代わりにお大師様にお参りしてほしい」という意味での賽銭の寄託としての気持ちなのよ。
そんなふうにAさんから教えてもらいました。

四国へ来てから、いつかしら忘れていた他人への思いやりや感謝の気持ち、ささくれだっていた自分の心が暖かくなっていくのが感じられた。

癒しの旅、四国。
本当に来て良かった。

3月7日 (後半)
20番 林寺(かくりんじ)へ着いたのはPM3:00頃。

境内は杉、檜の大木が取り巻く密教の山岳霊場らしい峻厳静謐の地。
林寺(かくりんじ)の山門。
20番 林寺(かくりんじ)山門

運慶作と伝えられる山門に鶴が入っていた。
山門の鶴

山門の鶴

息切れのしてくる階段。。。
林寺本堂へ

鶴に守られた本堂。
修行中に霊雲たなびく中を、雌雄二羽の鶴が黄金の地蔵菩薩を羽に包んで守っているのを見た大師は、自らも地蔵菩薩を刻み、その黄金仏を胎内に納めて本堂と堂塔を建立。
寺号を鶴にちなんで林寺(かくりんじ)と名付けた。
林寺(かくりんじ)本堂

本堂と鶴

本堂と鶴

21番 大龍寺(たいりゅうじ)
大龍寺(たいりゅうじ)を曼荼羅の金剛界に、那賀川を挟んで向かい合う20番札所、林寺(かくりんじ)を胎蔵界に見立てた聖地。
21番 大龍寺(たいりゅうじ)

大龍寺

大龍寺

大龍寺

大龍寺(たいりゅうじ)は俗称「西の高野」と呼ばれているとおり、広大な寺領全域を千余年の樹齢を算する巨杉が覆っているスケールの壮大なお寺。
大龍寺本堂

山頂までのロープウェイ。
大龍寺は標高618mの大龍寺山のほぼ山頂付近にある。
平成4年(1992)に山頂までのロープウェイが完成した。
山頂までのロープウェイ

1905年、奈良で捕獲された一匹を最後に絶滅したニホンオオカミがかつては、群れをつくりこの山にもいたそうです。
「見えますでしょうか。山犬、ニホンオオカミたちが皆さまの良い参拝を、良い旅をと見送っております。」
ロープウェイのガイドさんが説明してくれましたが高所恐怖症、山の中腹にいる数頭のニホンオオカミたちの像は見れませんでした(-_-;)
Aさん、Oさん、Wちゃんが代わりに見てくれました。
沢山いたよ~!haruちゃん見てごらん!って言うけど足がすくんで立ち上がることも出来ませんでした(涙)
ロープウェイのガイドさん

下山したのは5時頃。
ロープウェイ


この日は林寺で終わるつもりでしたがお天気も良く、21番まで行こうということになりました。
山頂までロープウェイで登り、休憩所兼売店でお茶とお饅頭をお接待で頂きました。

6時頃、宿のローヤルガーデンホテルに到着。
Wちゃんは先にお風呂へ。
私は本家へ定時連絡。今日はどこまで行った?と電話の前に待ちかねていた義母に1日の参拝の様子を報告。

夕食は7時から。
夕食を済ませAさんたちの部屋へ行き、11番から21番の資料に書き込んだメモを確認してもらい、お風呂へ入ってすぐ寝ました。

二日目 3月7日 17番から19番
Aさん、Oさんと一緒に声を出して読経できるようになった。
呪文のようだと思っていたお経も、だん々噛まずに唱えられるようになっていた。

今朝、1番で回った藤井寺で読経していた時、突然涙が流れ自分でも驚いた。
悲しいとか、そういう気持ちではなくなんだろうー。。胸に暖かいものがこみ上げてきたっていう感じかな。

焼山寺の霧の中ふと、側に何かの気配を感じた。
私には霊感がないはずなのに、誰か来てくれたのだろうか。
アランだったのだろうか。
あの霧で、きっと木の影か何かが触れたのかもしれない。


お昼は今日も勿論、讃岐うどん。
新潟は蕎麦文化で、うどん専門店は少ない。
駅前に讃岐うどん屋さんが有ったようだけど、私は行ったことがない。
うどんと言えば、冬の寒いときに食べる鍋焼きうどんくらい。
四国で食べるうどんは、毎日食べても全々飽きない。

お店に入って驚くことがある。
どのお店でも(多分)、お稲荷さんが2個か3個、小皿に盛って有る。
それと、赤飯や栗おこわも小皿に。
うどんとお稲荷さんや赤飯を一緒に頼んでお客さんは食べている。
そして、どーんとおでん鍋が湯気を立てて置いてある。
一年中だそうです。夏もです。
おでんも好きなものを注文する。
うどんとお稲荷さんやおでんを一緒に食べるのだ。
これにはビックリだった。
うどんだけでお腹一杯なのだけど、そのうちどうしてもお稲荷さんが食べたくなって一緒に注文した。
やっぱり食べれなくって、うどんを残してしまった(^_^;)

うどんは釜揚げとかいろいろ。
野菜やイカや海老など天ぷらも、揚げたてをどーんと置いてある。
好きな天ぷらを自分で取ってトッピングする。
自動計算機のようにお店の人は間違えもせず、パーッとお勘定が出来るからこれまた不思議。
大抵、お昼に入ったお店はこんなシステムでした(笑)

昼食が済んでPM2:00に午後から出発。


17番 井戸寺(いどじ)の仁王門
井戸寺の仁王門は蜂須賀藩主が大谷別邸の門を寄進したもの。
近年改築されてはいるが長屋門の形式を留めている。
17番 井戸寺(いどじ)仁王門

17番 井戸寺(いどじ)

井戸寺本堂と境内。
井戸寺本堂と境内

六角堂。
井戸寺六角堂

大師が錫杖で一夜のうちに井戸を掘り、湧き出た清水にご自身の姿を写して刻まれた石像が祀られている。
この井戸を覗いて姿が映れば無病息災、映らなければ三年以内に不幸が有ると言い伝えがある。
勿論、私は映りました!
日限大師堂(水大師)

18番 恩山寺(おんざんじ)
18番 恩山寺(おんざんじ)

18番 恩山寺

もともとは女人禁制の聖地だった。
母公玉寄御前が大師を訪ねてきたが登山は許されなかった。
大師は母の為に17日間にわたり秘法を修し、女人開禁を成就し母を入山させ孝養を尽くされた。
山号を母養山(ぼようざん)
恩山寺本堂の景

19番 立江寺(たつえじ)
19番 立江寺(たつえじ)

立江寺は八十八ヶ所に四ヶ所ある「関所寺」の一つ。
邪心のあるものは必ずここで見破られ罰を受けるという。
享和三年(1803)石州(島根県)浜田のお京という女が立江寺に詣でた時、その黒髪が突然逆立ち、鉦の緒に絡みつき離れなくなった。
立江寺の本堂

お京は、郷里で夫の要助を殺し密通相手の長蔵と共に、この寺まで逃げてきた。
突然の出来事に驚いたお京は、仏罰の恐ろしさを知って懴悔した。
その時の髪の毛付きの鉦の緒が、いまも本堂に置かれている。
とっても恐いお寺です(^_^;)
立江寺黒髪堂


知ったかぶり その2 
遍路道。
11番、藤井寺(ふじいでら)から12番、焼山寺(しょうざんじ)へ至る山道は「遍路ころがし」と呼ばれる険しい道が続いている。

12番焼山寺への遍路道

約16Km。ゆる足で8時間。
遍路道

遍路道

途中に大師お休みの長門庵、お加持水のある柳の水奥の院、大師堂のある流水庵、大師お手植えの杉の大樹がある。
遍路道

12番 焼山寺へ

「衛門三郎」(えもんさぶろう)
この人が四国遍路のルーツだと言われています。
天長年間(824~834年)伊予の国に衛門三郎という強欲非道な長者がいた。
門に立った僧に喜捨をせず、その托鉢の鉢を投げ捨てて割った。
鉢は八つに割れ、その翌日から衛門三郎の八人の子供が次々と死んでいった。
その僧が弘法大師だったと気が着き、懴悔発心、大師を追って遍路に出るが、20回巡っても大師に逢えなかった。
21回目に逆で巡り、阿波の国の第12番札所焼山寺で病気になり、亡くなる間際に大師に逢えたと言われています。
衛門三郎伝説

衛門三郎は葬られ、彼の杖が墓標として立てられた。
杖から芽が出て杉の木となった。
いま丈杉庵(じょうしんあん)には衛門三郎の墓があり、杖杉と呼ばれる大杉がある。
衛門三郎伝説

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