アランと一緒に四国遍路。

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白鳥温泉
10月23日  


教えてもらった地下へ行くと洗濯機と乾燥機が並んでいた。
洗濯物を入れ1階の大浴場へ。
広い温泉風呂は貸し切り。

白鳥温泉に着いたとき、表の駐車場に車が数台しか止まってなく施設の中がとても静かでお客さんの姿を見かけないのがとても不思議だったのだが、それはこの日、施設の休みで泊り客のみ受けつけていたとフロントの人に教えてもらい疑問が解けた。
普段なら宿泊客の他に入浴・食事だけで帰るお客さんで賑わっていたのだろう。

お風呂から出て、地下の洗濯場への階段を下りて行くと、思いがけない人の姿があった・・
あ~!・・川○さん!!
「お疲れさまです。」ニコニコ笑いながら浴衣に着替えた川○さんが立っていた。
どうしたんですか!?ここに泊まられたんですね!何時頃お着きになったんですか?88番から1番へ向かったんだとばかり思っていました!

浴衣に着替えているのだから此処、白鳥温泉に泊まっているのはわかり切ったことなのにその時の私はわけがわからず、アホみたいな質問を繰り返していた(^_^;)

「此処に泊まるって言ってたので僕も予約を入れたんです。夕食を一緒にと思って待っていたんですよ。」
わぁ~!そうだったんですか。。嬉しい~!香川の知り合いが大窪寺で待っててくれて車で送ってもらったんです。部屋が取れたんで急遽その人も泊まることにして今夜は結願祝いをしょうってことになったの。川○さんも一緒にお祝いしましょう!
川○さんとはもう会えないと思っていたんです。此処で再会できたなんて夢みたい!
お風呂はもう済んだんですか?
「4時前に着いたんでお風呂へ入って一休みしてたんですよ。そろそろ着く頃かなって思ってました。」
大窪寺を5時過ぎに出て30分位で此処に着いたんですよ。車だとあっと言う間ですね。

川○さんはこれから洗濯と言ってたので、夕食を7時に約束して部屋へ戻った。

7時少し前、隣の部屋のOさんを呼びに行き一緒に1階の奥の食堂に行くと川○さんが待っていた。
浴衣の上に丹前を着た年配のご夫婦が1組、離れたテーブルで食事中。
川○さんの食事のお膳が別のテーブルに乗っていたので厨房にいた女の人に私たちと一緒のテーブルでとお願いして運んでもらった。

奥のテーブルで向かい合って座り、川○さんにOさんを紹介。
Oさんが、「昨日、志度寺でもう一人男のお遍路さんと一緒におられたでしょう?」と言った。
「はい、昨日志度寺で・・あ~今治さんと一緒のときですね、気が付きませんでした。」

「香川のOです。haruさん、川○さん、お疲れさまでした。結願おめでとう!」
ありがとうございます!

運ばれてきた生ビールで乾杯!

こんな偶然があるんですね・・・
川○さんとは昨日、屋島から下った休憩所でお会いしたんですよ。
この人、足が早いからどん々先に行ってしまったんです。それから今朝、長尾寺でバッタリ会ったんですよね。
「haruさん、長尾寺に随分早く着きましたよね。早く着いたって今治さんや吉○さんが驚いてたじゃないですか。」
だって、テクテクとかぶりそうだったから朝5時半に宿を出て急いだんですよ。
「かぶっちゃいましたね(笑)僕たちは撮影が始まる前に参拝を済ませたからよかったけど。」
何の為にあんなに急いだのかわかりませんよね・・
結局、長尾寺で1時間も足留めされたんだから(-_-;)

「それで川○さんたちに会えたんだからそういうことなのよ。みんなお大師様の計らいだったのよ。」
Oさんに言われ、なるほどと頷いていた。

川○さん、今治さん、吉○さんと再会。
昨日からのことが全部納得できる。
出会いの縁。

一人だったら、あの女体山を登ることができなかったかもしれない。
川○さんと出会えたこと。
吉○さんに会えたこと。
今治さんに会えたこと。
偶然なんかじゃなく今、此処に居るための必然の出会い。

ビールはお腹が一杯になると言ってOさんは日本酒、川○さんはチューハイになっていた。
今治さんの方が川○さんより年下かと思っていたが、川○さんの方が年下だった。
「僕も最初は彼の方が年下かなと思ってたんですが、お札とメルアドを交換したとき聞いたら年上だったんで態度を改めました(笑)今治さんの方が若く見えますよね。」

夜遅くまで3人でいろんな話をした。
お遍路に出たきっかけ、今までのこと、これからの生き方・・・
「今までのことを思い出せばこれからはどんなことでも出来るでしょう。haruさんも川○さんも何でも出来る!あなたたちは成し遂げたんだもの。帰って戻ったら顔が変わったと、みなさん驚かれますよ。haruさんも川○さんもとても良い顔をしている。」
そうですか?
川○さんと私、驚いて顔を見合わせた。
「自分じゃ全々変わったなんて思えないけど、そうなのかな。。」
「そうよ、川○さんを志度寺で見たときも良いお顔だったけど、今はまた一段と良い表情。それは自分では気が付かないのかもしれないけど、一日一日良い顔になっていくんだよね。いろんなことを抱え、悩みながら歩いてるうちに人としての生き方、悩みや迷いが薄れていき自信、生命力、希望なんかが内から溢れてくるのでしょうね。結願近くになるとそう言うお遍路さんが大勢おられるよ。」

(f´▽`)エヘヘそうだったら良いのだけど・・・
私なんて車に乗せてもらったり、電車、バスにも乗ったんだし全々修行が足りませんよ。
「そんなことないよ。車や電車に乗ったってそれは悪いことではないんだよ。歩きだからと頑なにこだわるお遍路さんもおられるけど、お接待として素直に受けるものなの。お大師さまだって、牛に乗せてもらたって。」

とても楽しい夕食だった。
飲んで食べておしゃべりして時間の経つのを忘れていた。
休館のため食堂は9時までと放送があった。
もうそんな時間ー!?
まだ2時間しか過ぎてないじゃない・・
ブーブー文句を言ってみたが仕方のないこと。
いつだって楽しい時間は早く過ぎてしまうのだから。
嫌なことや悲しいときの時間もこれくらい早く過ぎてしまえばどんなにいいだろう・・・

川○さんは明朝早くに出発と言うので結願祝い宴会はお開き。
住所、TEL、メルアド、URLを記載した私の名刺を川○さんに渡した。

(後日、お遍路仲間さんから君のことが載ってるブログがあると連絡を貰った川○さんから、”お久しぶりです”とブログにコメントをいただきました。名刺、どこかへいっちゃいました~だってさ(笑) コンニャロメ~)



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巡り会い
卯之町で私は大事な用があった。
2006年の春、始めてのお遍路のとき卯之町にある 【めん処・いけだ】 さんに寄ったときのこと。

女将さんからコーヒーお菓子のお接待を受け、会長さんから別室に飾ってあるジャイアント馬場さんのチャンピオンベルトや着ていた洋服を見せて頂いた。
そのときの写真とお店に飾ってある雛人形、女将さんと一緒の写真を届けようと持ってきていた。

2年前の約束。
めん処・いけださんの女将さんと、
「いつか必ずいけださんに来ます。この次、私は一人で歩いて廻ります。」

出発前、いけださんの場所を地図で調べると国道29号線沿い、宇和署近くに載っている。
宿に着いたら写真を届けようと思っていたのだが腰を降ろしてしまったら…

中村さんにめん処いけださんまで歩いてどのくらいですか?と尋ねると「20分くらい」とのこと。
腰を降ろしてしまったらその「20分」が1時間の距離に感じてしまった…
これからお風呂に入り洗濯をし夕食が6時から。。
夕食を済ませてからではまた遅くなる。。。

困った顔をしている私に中村さんが訳を聞いてくれた。
実は。。。
私の話を聞き、
「私、帰り道にいけださんの前を通るのですよ。もし良かったらそのお写真、私がお届けしてきましょうか?」
と言ってくれた。
写真を送れば済むことなんですが私、女将さんにお会いして2年前のお礼が言いたかったんです。。
なのに此処まできて行けないなんて悔しいけど。。。
「そのお気持ちだけでいけださん、嬉しいと思いますよ。こうやってわざわざお写真を持ってきてくれて。そういうことが私たちには何よりの喜びで励みになるんですよ。」
中村さんにそう言って頂ければ私も気持ちが少し楽になります。
2年も過ぎてしまったけど、いけださんの近くまで来れて私も嬉しいです。
中村さんのお写真もまた2年後くらいにお届けに来ますね(笑)
「わぁ~嬉しいですね!何年でも待っています。きっとまたいらしてくださいね。」

此処まで来ていけださんにお会いしないのは本当に申し訳ないし悔しかったが20分を歩く気力がなくなってしまった今、中村さんに届けてもらうことにした。
納め札に住所、名前、携帯の番号を書き写真と一緒に封筒に入れ中村さんに渡した。
「確かにお預かりいたしました。」


寝る前に土佐清水のYさんに電話を入れた。
「haruさん~!何時こちらにいらしたの!?春のお遍路にそろそろいらっしゃる頃だと思っていたのよ。今はどちらなの?」
卯之町です。昨日、宇和島に入って今日から歩いています。
「え~昨日宇和島に入っていたの!それなら電話くだされば迎えに行ったのに。。」
宇和島に着いたのが遅かったんです。
「遅い時間だって構わないのに。それで今日からお遍路で廻っておられるのね。もうこっちには来れないの?」
明日は大洲へ向かいその次は内子へ入ります。
「だん々土佐清水から遠くになるのねぇ。。。内子はとてもいい町よ。町を散策など出来る時間はあるの?」
内子の町、私もゆっくり見てきたいと思ってます。急ぐ旅ではないからゆっくりのんびり歩いていきます。
「ゆっくりできるならこっちにも来てくれたら良いのに・・・でもharuさんには大事なお勤めがあるんですもの無理は言えないわよね。。。
それで何日くらいまでいられるの?帰る前にこっちには来れないのよね?」
新居浜辺りまでと予定してるんです。本当に土佐清水からどん々遠くなりますね (^_^;)
「ほんとに・・・どん々遠くなっていくわねぇ。。この前お遍路さんのテレビがあったのよ。もの凄い岩のあるお寺さんが出てたんだけど。。え~っと岩屋寺と言ったからし?」
そうです、岩屋寺です。内子の次の日に峠を越えて向かうんですよ。
「岩だらけのところにあるお寺でとても長い石段を登って行くんでしょう。危なくないの?気をつけてねharuさん。」
ありがとうございます。前にも行ってるし大丈夫ですよ。
「今回は新居浜まで行ってそれで帰ってしまうの?」
多分。。。来年の春、その後になるかもしれませんが必ずYさんに会いに行きます。お遍路抜きにして土佐清水に必ず行きます。
「本当に!?絶対よ。来年の春まで会えないなんて淋しいけど仕方がないわよね。必ずよ。約束よ。
何か困ったことがあったら何時でも連絡してね。何処へでも迎えに行くから。」
本当にありがとうございます。また連絡しますね。
「私もまた電話してもいい?声だけでも聞きたいの。」
Yさんのおられる四国にいると思うと元気百倍!Yさんと同じ四国にいると思っただけで勇気が沸いてくるんですよ。

いつか必ず土佐清水に行くと約束して電話を切った。
Yさんは、いつかじゃなくて来年の春よ。と笑ってくれた。

電話を切ると待っていたように携帯が鳴った。

「○○さんですか?私、いけだですけど。。先ほど松屋旅館さんの人からお写真届けていただきました。」
あ~!いけださん!!
新潟の○○です。2年前、いけださんにとても親切にして頂いてありがとうございました。
会長さんにも大切な品々を見せて頂きました。あのときのお写真、届けるつもりで持ってきたんですが松屋さんに着いたら動けなくなっちゃって。。。
松屋さんの方が帰りに届けてくださると言ってくれたのでお願いしたんです。
お会いしてお礼を言いたかったのですが行けなくて本当にすみません。
「いえいえ、とんでもない。お礼だなんて何もしていません。こちらこそご丁寧にお写真をありがとうございました。
お礼を言うのはこちらの方です。お写真とっても嬉しかったです。ありがとうございました。」
本当にお届けできなくてすみません。
いけださんとのお約束、2年掛かりました。
「約束?」
はい。2年前、いけださんにこの次は歩き遍路でって約束しました。
2006年の秋に徳島の1番から毎年春と秋に四国に入り2年掛かって此処まで来ました。
会長さんはお変わりありませんか?お元気ですか?

「おかげさまで元気にしています。相変わらずお遍路さんにガラクタを見せては喜んでますよ(笑)
お店にね、2年前と同じ雛人形を飾ってるんですよ。
父にお写真を見せたらとっても喜んでいました。そうですか。。○○さん、あれからお一人で廻っておられるんですねぇ。
お体は辛くありませんか?足は大丈夫ですか?
私たちの代わりにお参りしてくださってるお遍路さんにいつも感謝しているんです。
ほんの少し、お遍路さんのお手伝いやお世話をさせて頂くことが私たちの感謝の気持ちなんです。
○○さんが2年も前のお写真を持ってきてくださったこと、本当に嬉かったです。
もうお休みだったんでしょう?お疲れなのに起してしまってごめんなさいね。
どうぞ、お身体に気をつけ善いお遍路をなさってください。
またこちらにいらっしゃるとき、お時間があったら寄ってくださいね。またお会いできることを楽しみにしています。」



本当に嬉しかった。
いけださんに会いに行きお話しをしていたらきっと私は泣いていただろう。

出会いの縁。
いけださんに会った2006年春、あの時にお遍路に出るきっかけの一つを頂いた。
一つ一つの出会い、それには大きな意味があり理があるということ。
出会いの縁に巡り会うために決められたいた四国遍路。
目には見えない大きな力、天の采配によってこの地に導かれ、大切な人と巡り会うために。


2年前、Oさんが語ってくれた言葉を思い出していた。。

いつもね、私たちは誰かに守られているんよ。
ここではね、会いたい人を想っていると、それがちゃんと通じるき。
心が会いたい人の元へ行くきに。


出会いの縁
秋遍路から帰ったばかりの頃、目覚ましの鳴る前に目が覚めたりしていた。
時計を見るとまだ5時半。
もう、朝早く起きて歩かなくてもいいのに。。。

掃除をしながら、洗濯物を干しながら、今頃KさんMさん、どこら辺を歩いているだろう。
休憩している頃だろうか、宿に着いた頃だろうか、時計を見ては二人を思い出していた。
週に1、2度、昼休憩、夕食が済んだ頃を見計らいメールを送っていた。

秋遍路のとき、奥州のおじさんから毎日応援メールを頂いた。
休憩のときに読むメールに励まされ、毎日の楽しみになっていた。
私も二人へ応援を送り続けた。

6日、伊丹空港搭乗待合ロビーにいたとき、暗くなった海を見ながらまだ歩いていると返信があった。
その後も元気に歩いてますか、とメールのやり取り。
別れてから10日目の10月16日、37番に向かう半分手前、これから宿に入るとKさんからメール。
その3日前、Mさんが熱を出し宿で休むことになり、Kさんは一人旅になっていたと前の日に貰ったメールで知らされていた。
「一人旅でも大丈夫ですよマイペースで歩いてます
心配になり、Mさんに送ったメールの返信。
ありがとう。今はあと37番岩本寺まで20キロのところにいます。
熱は1日でなんとか下がり、そこから飛ばさないようしていきます。土佐の海はきれいですよ

6日から19日目、Mさん伊予の国突入。
1日、25キロから30キロ強のペースに驚いて、打ったメールの返信。
「Kさんはもっと早いよ今日40番打った。国道経由で。
距離的には600キロ越えたらから、折り返し地点なんだ。」

同じ日、Kさんから。
「後半分ですここまでこれるとは思ってもいなかったけど何とか歩いています。
毎日最低がほぼ30キロでヘトヘトになるまでは45キロまでです
なにか知らないうちに距離が伸びています
昨日レオンさんに出会いました歩いていましたよ

レオンさん、頑張って歩いていた。
嬉しかった。
直ぐに返信を打つ。
折り返しKさんから。
「アタシもびっくりしましたよ
Mさん、足が今悪いけどなんとか歩いてみたいです。アタシも頑張ります
この前、母が会いに来てくれて3日ほど休みました。久しぶりにのんびりしました

それから5日後の10月29日、Kさんから。
「遍路に出てから1ヶ月です。早いですよね。
今は少しペースを落として休んでいます。足はなんとか大丈夫ですよ!
今日は54番へ行く20キロ手前の宿にいます。
明日は58番まで打って泊まります。温泉なんですって
四国も朝晩寒いですが昼間は暑いですよ!
いよいよ横峰寺に近づいているから頑張ります。
そうそう!道後温泉!距離が近すぎて入らなかったんです!歩いてるだけで楽しかったけど
道後温泉を薦めていたけど入れなかったようだ。
写メールで道後温泉が添付されていた。

11月6日、応援メールでブログ、読んでるよ。のMさんから返信。
「はるさんこんにちは。
本日無事に香川県に入り、残り約150キロになりました。順調にいけば12日結願です。
やっとゴールが見え、重たい荷物から解放されるうれしさの反面、今日は今日の風が吹く生活に別れを告げることに寂しさを感じています。
30キロ強歩く日が多く、肉体メンテに時間をかけるため、結願するまでブログの更新を停止します。
あと少しですががんばりたいと思います。」

同じ日の夜、Kさんから。
「今日80番まで行って結願は9日になりそうです
長かったような短いようなはるさんと一緒に歩いた日もすごく前に感じます!
そういえば浜松のおじさん27番まで宿が一緒やったんですが途中会わなくなって44番途中の来楽苦さんに泊まって宿帳をみたら1日前に泊まってた!
もしかしたら今日ぐらい88番かもしれないね
本当に淋しいような早く帰りたいような複雑な感じです。また結願時にメールしますね
懐かしい浜松のおじさん。
忍者のように足の早いおじさん、Kさんより一足先に結願になりそうだ。

Kさんからのメールで9日に結願予定と知り、その日は朝からそわそわだった。
感動の結願。こっちからメールをするのは控えていた。
時計を何度も確認したり、出かけるときも携帯を手元に置いていた。

11月9日PM6:51、Kさんから。
「結願しました!
もう女体山下って88番に向かって歩いてるときから泣きながら歩いてました
今、10番近くの八幡さんに泊まっています。
明日はのんびり10~1番へお礼参りしつつ戻ります。
88番に行くまでにこれまでの歩いた日々がぶわぁーんとまわりました。はるさんとMさんと歩いた日々が
本当に普通では味わえない思い出がたくさん出来ました。
定期的にはるさんからのメールでの応援元気が出てとてもうれしかったです!
今まで出会った人達!はるさんMさんには感謝感謝です
人生は遍路なりってポスターに書いているのをよく見ましたがそうやなとつくづく思いました。
とにかく辛いこともありましたが良い歩き旅でした明日の夜には大阪に帰ります
新潟にも遊びに行きます!それではおやすみなさい!」

11月11日PM1:20、Mさんから。
「本日、11時30分、無事に88番札所に辿り着き、結願しました\(^o^)/
明日、10番にお礼参りし、寄り道をしながら東京へ戻ります。
見守っててくれてありがとう!M」

同じ夜、8時2分、Kさんから。
「無事大阪へ着きました少し不思議な感じです。
帰って来て改めてお遍路の旅がいかに良い体験だったか実感しました。
はるさん、お世話になりましたありがとう

11月16日、Mさんから無事東京に戻ったとメール。

八十八ヶ所巡り、延べ約1220kmの道のり。
歩きに慣れた足の早い人で、50日から60日と言われている。
それをKさんは、出発から42日で結願。
Mさんも44日間で結願。
その間、熱を出したり足を痛めたりお母さんが来られ休んだ日もある。
険しい山道、アスファルトの道、晴れた日、雨の日。
苦労しながら歩き、結願達成感の感動もひとしおだったことだろう。

19番で休んでいたとき、隣に座って語ってくれたおじさんを思い出していた。

「歩いてる時、気持ちは先を急いでいるのに、何故かゆっくりしてしまうそんなことがあるだろう。
その反対にゆっくりしていようと思っても、何故か先を急いでしまうようなときがある。
その時は何故かわからないが、それは出会うべき時に、出会うべき場所で、出会うべき人に出会うように天が時間調整し配置したものなんだよ。
あぁ…この人と出会うために急ぎ、あるいはゆっくりしていたのかと後でわかる時が来る。
今、苦しい事や困難な事があっても、それは天が配した、来るべき素晴らしい出会いのための大いなる布石の一つなんだ。
きっと、そう思うときがあるよ。
これは、お遍路で歩いている時だけじゃない。毎日がそうなんだ。
自分の周りを見てごらん。家族がいるだろう。友人がいるだろう。好きな人がいるだろう。
その人達に出会うために、天が配したことなんだよ。
これが、出会いの縁ということなんだ。」

出会いの縁。
そういうことだったのだ。
アランの供養の遍路旅は、沢山の人の出会に始まった。

Oさんとの出会いでお遍路が始まり、はなママさんが背中を押してくれ、イブままさんが大阪の地図を送ってくれ、奥州のおじさんの励まし応援メール。

Kさん、Mさん、レオンさん、愛知のNさん、浜松のおじさん、三重のおじさん、大阪のSさん。
見守られ、励まし助けられ、応援してもらい、後押しをしてもらいながらの遍路旅。
そして、四国に来なければ、絶対に会うことがなかった人達。

これが天の采配。
出会うため、出会いの縁に巡り会うために決められたいた四国遍路。
あの時、語ってくれたおじさんの言葉の意味が、いま心に沁み渡り、理解できる。

春の遍路に思いをはせる、自分の気持ち。
会いたいひとが待っている。
彼岸のかの地から、会いに来てくれる愛するひとたちとアランが。

いつか会うために。
出会いの縁に、巡り会える刻のために。

結願
アランの供養に遍路に出た旅。
いつか必ずアランに会えますように。
お友達のワンコたち、病気や苦しみも怪我もなく、いつまでも元気でしあわせに暮らせますように。
病気のお友達が1日も早く治りますように。
願い続けた旅だった。

長いようであっと言う間の10日間。
車の中から、歩き遍路さんの姿を見かけると、いつの日かこの道を歩いている自分の姿と重なった。

四国へ来なければ絶対に会うことのなかった人たち。
目には見えない大きな力で生かされ、導かれていることを実感した。

どの寺だったかの境内で、大きな荷物を傍らに置き、休んでおられた若い女性のお遍路さんとお話しをしたことがあった。
未だ20代の娘さん。
野宿や宿坊に泊まりながらの旅。
人間関係に悩み、親とも上手くいかず、ありったけの貯金をおろし遍路旅に出たけど、何日かするとお金も心細くなり、もう帰ろうと何度も思ったそうだ。
疲れた足を引きずりながら、なんで自分はこんなことをしているんだろう。何故今、ここにいるのだろう。
何のために歩いているのだろう。
疲れと、足の痛さと空腹と心細さでもうダメだと思ったとき、お遍路さん、と声を掛けられ、暖かいおにぎりとペットボトルのお茶を貰ったときは涙が止まらなかったと言っていた。

もう少し休んでから又歩きます。
どこまで行けるかわからないけど、ここで引き返したら何も変わらないから。
今は、四国へ来てよかったと心から思えるようになりました。
と明るい笑顔を見せてくれた。
車で回っているのが恥ずかしくなったときだった。

私ね、今度は歩いて回るよ。
何年掛かっても、歩いて回る。
絶対にもう一度、四国へ来るから!

私の決意をAさん、Oさんが黙って頷いてくれた。

沢山の優しさを頂いた四国旅。
人はこれほど優しくできるのだろうか、初めのころは驚きの連続だった。
四国では、自分たちの代わりにお参りしてもらうのだからとその賽銭の代わりがお接待と言う形になったのだとOさんがわかり易く説明してくれた。

「お接待」とは、遍路に対して地元の人々が食べ物などをプレゼントすること。
昔は自動販売機もコンビニもなかったので、こうした施しによって、遍路はかろうじて生き抜くことができた。
米やちり紙も、重要な「お接待」。
一方、地元の人々にとってみると、遍路は弘法大師の身代わりでもあり、また自分たちに代わって遠方の札所でお参りをしてくれる、宗教的な価値をもった存在であった。
したがって、彼らが差し出すものは、難渋している者に対する援助であるだけではなく、仏に対する喜捨でもあった。

一般社会で企業が顧客に対して行う、いわゆる「接待」には何らかの見返りの期待がこめられているが、四国遍路における「お接待」は無償の行為なのだと。
現代的な感覚でとらえると、何のつきあいもない、何の利害関係もない他人から、何かをもらったり、泊めてもらったりというのは、日常考えられないこと。
それも、ちょっとしたお菓子とか、余った果物などというならまだ理解の範囲内だが、時には「現金」を差し出される。

行き暮れた旅人や、きつい修行に取り組む人に対して「援助」をする、「支援」をするというのは、人間同士が助け合うという基本的な姿。
しかし、「遍路」というものの歴史的な経緯を調べてみると、「お接待」には二重の意味があるようだ。

一つは、「弱者」に対する支援であって、言ってみれば助け合いの延長にある「施し」。
もう一つは、「自分自身の代わりにお大師様にお参りしてほしい」という意味での賽銭の寄託。
また、苦難の道を歩んで来訪する遍路は弘法大師の化身とも解釈されるため、上の二つの気持ちの混じり合った形として、弘法大師へのお布施として差し出すという意味づけもあるのだと。

人に対する感謝の気持ちと、おかげさまでの気持ちから成り立っているのだと思った。
「ありがとう」感謝の気持ちを忘れない。
「おかげさまで」感謝の気持ちを忘れなければ、心が優しくなれる。
いろんなことを学んだ四国旅だった。
アランも時々側に来てくれたようだったし。

いま想うこと
いよいよ八十八ヶ所巡りも終わりに近づいた。
今まで回ってきた寺を思い出す。
「1番札所・霊山寺」から、もう一度回りたい。
いつの頃からか、1日が終わるとその思いが頭の中を占めていた。
まだ帰りたくない。もっとこの旅が続けていたい。
別れたくない。。心優しい人たちと、いつまでも旅を続けていたい…

発心堂さんで、遍路衣装に着替えたあの時から。
いや、もっと前、できることなら四国でAさん、Oさん、Wちゃんに会ったあの瞬間からもう一度。。。
残すのは、あと2ヵ寺…
Wちゃんもだん々口数が少なくなっていた。
朝、Aさん、Oさんを待っていたホテルのロビーで、Wちゃんがポツリとつぶやいた。
「良い旅だったね。。。
haruちゃんが一緒で楽しかったよ。haruちゃんに出会えて本当によかった。
いつか又、一緒に回りたいね。。。」
うん…私もWちゃんと同じことを考えていたよ。
また、一緒に来れたらいいね。。。

始まったばかりの旅は期待と不安に満ちているけれど、その比重は不安よりも期待感の方が2対8の割合になっている。
初体験の遍路旅は、どれを見ても何を聞いても珍しく、感動の連続だった。
慣れない作法、咬んでばかりのお経や般若心経。
呪文のようだと思っていたお経も、いつしかスラスラ唱えられるようになっていた。

ふーっと、何かの気配に肌がざわつき、目には見えない「何か」を感じた瞬間。
確かに感じた「何か」、それは決して恐いものではないと、体がわかっていた。
「今、何かが通ったよね?」AさんもWちゃんも感じていたんだね。

Aさんは、お母さんに会ったと言った。
「お母ちゃんが、私の側に来てくれたんよ。お母ちゃんの匂いがしたよ。。」涙ぐんでいたことがあった。
Wちゃんはイタイイタイと言っていた足がいつの間にか痛みが消え、軽くなったと不思議な顔をしていた。

いつも、私たちは誰かに守られているんよ。
ここではね、会いたい人を想っていると、それがちゃんと通じるき。
心が会いたい人の元へ行くきに。

始めがあれば、必ず終わりがある。
どれほど楽しい旅であっても、最後の日はやってくる。
永遠に終わりのない旅などないように、出口のない悲しみ辛さもいつか必ず終わりがある。
明けない夜がないように、明日は必ずやってくる。

Oさんが、志度寺で話してくれた言葉が、いま思い出される。

3月13日 ことひら温泉・再会
AさんとOさんは、地元ということで自宅へ帰った。
明朝8時にホテルへ迎えに来てくれることになっている。
二人は自宅へ戻るので13日、14日は参拝が済んでから別行動と言われていた。

金刀比羅宮から琴参閣へ戻ったのは6時少し過ぎ。
大きなホテルの玄関入り口の作りは、”千と千尋のー”湯屋に似ていた。
フロント前を通りエレベーターに乗り別館へ行き、それからしばらく歩き又、エレベーターで7階の部屋へ。
Tシャッツを重ね着していったが、金刀比羅宮まで行って来たら体は冷えていた。
まずはお風呂だね、とWちゃんと浴衣に着替えタオルや小物を持って部屋を出た。
温泉の大浴場が1階で食事は3階の何とか間(部屋の名前は忘れてしまった(^_^;))と係りのおねえさんに言われていた。
部屋が7階でお風呂が1階、食事は3階。やっやっこしいねぇ。とエレベーターに乗り1階のお風呂へ向った。

エレベーターのドアを開いたら、なんと浴衣を着た奥州のおじさん二人連れにばったり!
お互いに、「わぁー!!」とか「ひゃー!!」とか大騒ぎ。
ずっと岩手ナンバーに会わなかったから、80番くらいまで行っているねと話をしていたのに。
おじさんたちは1階の何とかの間で食事で、部屋は同じ7階だって言った。
後でお邪魔しますー!とひとしきり近況報告をし別れた。

こんな偶然があるんだね。
1日に何度も会ったり、2,3日会わないでいたり又どこかですれ違ったり。

夕食を一緒にとりたかったけど、部屋が決められていたのでしょうがない。
お風呂から上がり、部屋へ戻りタオルを置いて又3階へ行き食事。
係りのおねえさんがこんぴらさんはどうでしたか、とか今日はどこまで参拝でしたかと聞かれたり、お給仕をしながらいろんな話しをしてくれた。
この琴参閣で2時間ドラマ、火サスの撮影があったそうだ。
木の実奈々さん主演の温泉女将の名推理(?)とか言う2時間ドラマ。
撮影風景や、従業員さんたちと一緒に並んでいる写真とポスターがエレベーターやフロントやあちこちに張られていた。

食事を済ませ、1階へ行くとおじさんたちが待っていてくれた。
イスに座り、持ってきたお札を交換。
話があっちへ飛んだりこっちへ飛んだり。
何番まで回ってきたとか道に迷ったとか、いつまでも話が尽きない。
おじさんたちは金刀比羅宮へは明日早朝に行くと言ったら、Wちゃんがあんな階段大したことはないよ。と笑いながら言っていた。

岩手から車で四国。
おじさんたちは同級生でお互いに章ちゃん、龍ちゃんと呼び合っている。
章ちゃんが自分の車で運転し四国は始めて、龍ちゃんは6年前に歩き遍路をなさったそうだ。
「龍ちゃんは自分が知っている道だから、この道でいいと言って走らせて、たどり着くと目の前に階段なんだよね。オレの車は階段を登れないよ。」
「歩く道と車の道が違っていたんだよ。オレが歩いた時はあの道でよかったんだ」
還暦を迎えた記念に、二人で回っているのだそうだ。

章ちゃんは奥州の㈱S観光バスの会長さん。
「会社を息子に譲ったら、会長職に追いやられてしまった。まだ々現役バリバリなのにオレを邪魔者にしている。暇だから四国遍路へ行こうと龍ちゃんを誘って来たんだよ。
龍ちゃんは歩き遍路で回ったから心強いと思ったけど、龍ちゃんの道案内があやふやで困る。
二言目にはオレが来た時は、と言うけどそれから何年経っているか、自覚がないんだよ」がはははー。

龍ちゃんは、般若、鬼剣舞、天狗、おかめ、ひょっとこ、能面など幅広く打ち続けておられるのだそうだ。
個展を開いたり、2004年にはオランダ国立民族博物館に「高野長英」の面を寄贈なさったと。

面打ちは、退職と同時に手がけるつもりだったが、その前にあらためて「精神修行を」の念に駆られ四国八十八ヶ所お遍路一人旅を決断。
奥さんの理解と協力を得て、退職の年、平成12年4月1日に旅立った。
同じ年の10月に2度目の旅を重ね、徳島、高知、愛媛、香川の順に八十八ヵ寺、約1200kmの道程を通算56日間かけて踏破した。
と語ってくれた。

どこでどんな縁と出会うのか。
出会ったことが縁なのだ。
一期一会。
四国へ来なければ絶対に会わなかった人たち。
これもお大師様の巡り合せ。前世からの縁なのだろう。
出会うように理ができていた。

豪放磊落を絵に描いたような章おじさんと真面目一徹に見える龍おじさん。
幼馴染で同級生。
いいなぁ。こんな風に年を重ね、誰にも迷惑を掛けず、好きなことがやれる。
私は何年先、何十年か先、こんな風な生き方をできるだろうか。
好きなことを言える友達がいるだろうか。
一緒に旅をする仲間がいるだろうか。

とても素敵な、ちょいワルおじさんと再会した、ことひら温泉・琴参閣の出来事でした。

ことひら温泉・琴参閣。
すこし、千と千尋の湯屋に似ているでしょう。
ことひら温泉 琴参閣

ことひら温泉 琴参閣

ことひら温泉 琴参閣

ことひら温泉 琴参閣


3月8日 食事会とお友達 
6時半から始まった夕食はとても楽しかった。

人は一生のうちで、どの位の人と出会うのだろう。
Aさんがこんなことを言いだした。
「人は生涯の中で、出会う人間がきまっている」
学校の友達、職場の友達、親の知り合い、電車の中での顔見知り。
飲み会で出会った友達、本屋で会った人、ネットの友達。。。

初めて会ったのに、何故か懐かしい感じがする人がいる。
何度も会っているのに、印象が薄い人もいる。
何度も何度も話し合っているのに、すれ違ってしまう人がいる。
何も話をしていないのに、分かり合える人がいる。
すれ違いそのまま別れ、二度と会わない人がいる。
たまたま席が隣りあってお話をして、さよならの人がいる。
今日、出会えた笑顔とはまた出会うことが出来るのだろうか。
二度と会えないかもしれないから今、このときがとても大切な時間。

不思議な縁(えにし)で出会った4人。
この場所にいること自体がとても不思議なことなんだ。
もし、アランが元気でいたなら、一生会うことはなかった人たち。
四国を思い出さなければ、会うことはなかった人たち。
ほんのこの前まで、顔も知らなかった人たちと、いまここで食事をしている。
出会いは、前世から決められていた縁(えにし)。
出会うようになっていた運命(さだめ)。
遠い昔、きっと私たちは親子か姉妹か仲の良い友達だったのだろう。
幾たび生まれ変わっても私たちはまた姿を変え、出会うのかもしれない。

参拝の途中、車の中でAさん、Oさんたちの話を聞いていたから、3人がどういうお友達かもわかってきた。
その日の参拝が終わり寝るまで、Wちゃんから四国遍路の旅に出たきっかけやお互いの家庭環境やAさんとの関係も大体聞いていた。

AさんとWちゃんの息子さん同士が関西方面の大学の同級生。
息子たちの入学式で何となくおしゃべりして気が合ってそれからのお友達。
一緒に京都や奈良、倉敷へ旅行へ行ったこともあるそうだ。
息子たちより母親が仲良くなったって珍しいかも。
そういう出会いもあるんだよね。
OさんはAさんとお勤めしていた頃のお友だち。
仕事を辞めた後も、お遍路に一緒に回ったりしている。
Oさんは先達さんの資格を持っておられる。
資格と言うのか認定と言うのかわからないけど、立派な先達さん。
今は専門に先達さんのお仕事をしている訳ではなく、お寺さんに頼まれたり、知り合いに頼まれたときに一緒に回っているのだそうだ。
自分としては専門にこれからやりたい気持ちも有るので今回、Aさんと回ってみようとうことになったと話した。

Aさんが語ってくれた。

「11年前のあの未曾有の大震災、阪神淡路大地震のときにお母さんが死んだんよ。
私の実家は西ノ宮で、それは酷いことになってまるで地獄のようだったき。
あの地震のとき、家が壊れその下敷きになったんよ。
お父さんと弟夫婦は、なんとか自力で脱出したけど、お母さんは逃げ遅れてね。
仮設住宅の暮らしも酷く、私が何度も高松で一緒に暮らそう言っても、ここからは離れないと言い続けていたんよ。
今は元の場所に家を建てて何とか頑張っているけど、あの時の地震で足が少し不自由になってね。
その前から四国遍路に行きたいと言っていたき、お父さんを車で回らせようと考えて、今回はその下準備を兼ね、どの位の距離や時間、費用が掛かるかOちゃんに協力をたのんだんよ。
私に出来ることは、こんなこと位しかないきに。
今ならお父さんも少しは歩けるし階段が無理ならおぶってもいいかなと思っているんよ。」
(高松弁が違うようですが、こういう内容でした。)

OさんもWちゃんもその事情は知っていたようで黙って聞いていた。
私は泣きそうになりながら聞いていました。

「Wちゃんはどうしてお遍路に出ようと思ったん~?」
Oさんが聞いた。
「前に、テレビで見たのよ。
左幸子さんがお遍路さんで回っていたでしょう。
あれから四国に来たくってね。息子がバイトのお金で私に小遣いをくれたのよ。行ってきたら良いって。」
「そうそう。○○君は(Wちゃんの息子さんの名前)うちの子と違って親孝行の良い子なんだよねー。」
「四国は一度来たかったし金比羅さんへ行きたかったのが本音かな~」
(Wちゃんの福島弁は真似できません~。。。)
Wちゃんの話で場が明るくなった。

「haruちゃんはワンコの供養だったっけ?」
Oさんが私に話を振る。
Aさんの話の後でアランの供養とは言いがたく笑ってごまかした。

縁(えにし)
出会ったことが縁なのです。
私たちは遠い昔から今、ここで出会うようになっていたんです。
縁や親孝行やいろんなことを考えさせられました。

部屋へ戻って携帯を見るとわすれさんからの着信が何度も入っていた!
食事だからと携帯を置いていったのだ。
9時過ぎていたけど電話をした。

わすれさんがこれから来てくれるって言ってくれた。
WちゃんとAさん、Oさんに土佐のお友達が会いに来てくれるから行って来るね。と言い残し待ち合わせのロビーへ。

わすれさんとはアランのHPを立ち上げた頃からのネット友。
土佐言葉でコメントを書いてくれたり、とても素敵な詩を綴りお花が大好きな私の憧れの人。

Aさんの話を聞きながら少し涙が流れ化粧がボロボロ。。
どうしょう…アランのお面を被って来ればよかったよ…
憧れ続けたわすれさんにようやく会える。
嬉しいけど嫌われたどうしょう。。。

長い髪のとても華奢な体の素敵な人が待っていてくれた。
1階のコーヒーショップがもう少し開けているというので、そこで冷たいコーヒーを飲みながらおしゃべりを。
会いたかったわすれさんなのにお顔を見たら大感激で話があっちへ行ったりこっちへ行ったり、何を話したのかよく覚えていない。

手術の終わったメーイちゃんは元気、と言うことだけは覚えている。
あと、どんなお話しをしたんだっけ。。
私は持ってきたアランやワンコたちの写真を、わすれさんに見せたんだ。
HPで見ているのだから今更アランの写真を見たってしょうがなかったね。。
少し風気味だって言っておられた。
お仕事を終わらせ、何度も電話を下さったのに。
時間がなくってほんの少しだったけど、わすれさんに会えてとても嬉しかった。
この次は歩き遍路で回るからそのときは1日中おしゃべりしましょう!
土佐へ来れるのは来年かな、その次の年になるかな。
でも、必ずまた来ますから!

わすれさんから、お接待よと大きな文旦を頂いた。
お友達の分もと、紙袋に詰めて持って来てくれた。
風が吹くと飛ばされそうな細い体。
抱きしめたら骨が刺さりそうでした。
わすれさん
ありがとうー!!
わすれさん

わすれさんと一緒に
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