アランと一緒に四国遍路。

内子町・八日市・護国の町並み
3月28日


           内子町・八日市・護国の町並み

NIKKEIプラス1(日経新聞)「散策したい蔵の街並み」(2006年9月23日)で西日本3位に選ばれた内子の町並み。

大村家住宅(重要文化財)、本芳我家住宅(重要文化財)、内部見学可能な上芳我邸(重要文化財)など、90軒にも及ぶ町家群の集まる通りは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

内子は古くから交通の要衝であり木蝋(蝋燭)や和紙の生産で栄えた。
旧街道沿いの八日町・護国地区には、江戸末期から明治・大正時代にかけて建てられた豪壮な商家・民家・土蔵などの建物が軒を連ね当時をしのぶ景観が約600mにわたり残されている。
 
 
【商いと暮らしの博物館】
視線を感じ振り向くとお店の中に人の姿。
近づいてみると。。。     
内子町並み

大正時代の薬屋。
番頭と丁稚はリアルなお人形でした。。。

明治の薬商「佐野薬局」の建物と敷地を内子町が買い取って、大正10年頃の商家の暮らしを再現、公開している。
帳場の主人の後ろのガラス戸棚には様々な薬ビン、養命酒や、赤玉ポートワインもある。
内子町並み

内子町並み

内子町並み

通りに沿って趣のある重厚な建物が並び当時木蝋(もくろう)の生産で財を成した豪邸が残っており、製蝋町の面影を残す町並みには浅黄色と白漆喰で塗り込まれた重厚な外壁が特徴の土蔵や、なまこ壁に出格子のある建物が続き漆喰彫刻や虫籠窓など一軒一軒が独自の工夫を凝らしている。
内子町並み

内子町並み

内子町並み

内子町並み

伊予銀行内子支店。
内子町並み

内子町並み





内子座
3月28日

             内子座


大正5年(1916年)大正天皇の即位を記念して、内子町の有志によって建てられた本格的な歌舞伎劇場。
瓦葺き入母屋造りの建物は、現存する木造芝居小屋としては県下最古のもの。
ホールとして活用後、老朽化のために取り壊されるところ町民の熱意で復元。
昭和60年(1985年)に改修され劇場(芝居小屋)として再出発。
現在では年間7万余人が見学し、1万6000余人が劇場活用。
約650人で劇場は一杯となる。


内子座・八日市・護国の町並み・道標。

内子は、古くから交通の要衝であり、木蝋(蝋燭)や和紙の生産で大いに栄えた。
内子道標

左の小路へ曲がったところに内子座。
内子座

内子座正面。
内子座

左・料金所。

開場時間:午前9時〜午後4時30分
休場日:  年末年始5日間(12.29〜1.2)
入場料:  大人 300円 小人 150円
(格安セット券有。20名以上団体割引)
内子座

木戸口。
内子座

回り舞台。
舞台中央を円形に刳り抜き回転させることのできる舞台。
場面の推移や変化する場面の対象を高める効果がある。

1階の枡席と舞台。
1階平席を方形に仕切った見物席。
かつては枡単位で売られていた。
内子座

花道。
舞台から吹き出て客席を貫通した通路。
客と役者が最も近づき交流できる場であり歌舞伎劇場の特色を最も表している機構。

記念撮影用のはっぴが用意されている。
内子座

すっぽん。
花道の七三の位置にある切穴のこと。
忍術使いや妖怪のたぐいがこの穴からせり上がる。
内子座

検察台。
内子座

シテ柱。
内子座

奈落入口。
急勾配の階段を降り石積みで築かれた地下通路に大掛かりな木造の装置。
内子座

奈落。
舞台や花道の床下の総称。

1階観客席と舞台の下に広がる地下。
内子座

回り舞台装置。
昔は人力で回り舞台を動かす仕掛けがあった。
内子座

二階には当時の文献や資料、道具が展示されている。

大向。
観客席の2階正面にある低料金の客席。
常連や劇通が多いので、「大向をうならせる」というと、芝居が上出来のことをいう。。
内子座





大洲城
3月27日


            大洲城



宇和島のおじさんたちの車で送ってもらい15分ちょっと大洲城に到着。
駐車場で降り、お礼を言って高台のお城への坂道を登って行く。
風が少し強く肌寒かった。

14:16
大洲城。
見事な層塔型四層天守閣。
唐破風,千鳥破風,下見黒板張りと白壁の対比が美しい2004年に地元の方たちの熱意で復元された。
14:16 大洲城

復元された天守内部に天守の木組みが展示されている。
大洲城

復元天守の内部。
大洲城 

大洲城 

天守の建築ジオラマ。
重機もない時代、大変な工事だったでしょうね。
大洲城 

大洲城 

使用した木材は全て国産材。
城郭建築特有の迫力ある木組みが見もの。
大洲城 

肱川を見下ろす天守閣からの眺め。

屋根瓦には寒さに強い岐阜県産の瓦を使用。
大洲城天守は破風が多く屋根を葺くのが難しく天守4層にある丸みを帯びた唐破風は職人の腕の見せ所。
大洲城 

大洲城天守内の吹き抜け。

階段はかなりの急勾配。登るときより降りるときの方が恐い。
大洲城 

富山県井波町の宮大工と地元の大工さんたちの見事な共同作業。
職人さんたちが息を合わせ木組みを完成させた。
大洲城 

天守閣に取り付けられる鯱瓦(しゃちがわら)。

天守閣に鯱を載せるのは城主の威厳を示すため、美観を発揮するため、という他にも火災除けの意味もある。
大洲城 

復元前のところも残っていた。
大洲城 

大洲城 

14:45
大洲城から下ったところに公園。
大洲城 

大洲城観覧時間
午前9:00〜午後5:00
休日
12月29日〜31日
観覧料
大人 500円 子人 200円




卯之町
3月26日

          卯之町
           西予市卯之町の町並み保存地区

  1549(天文18)年、領主西園寺実充が移転した城下町が起源。
  画一的な地割りと白壁などが残っている。

宇和島と大洲を結ぶ宇和島街道の宿場町として栄えた当時の町並みが残り白壁の商家などが200mほど続く。
間口4間半(約8m)に整然と仕切られた町屋は奥に細長く、奥行きは約50m。
白壁や卯建(うだつ)、出格子、半蔀(はじとみ)のある家などが幕末から明治の面影を伝える。
一階から二階までがつながったような縦長の卯建が独特。
中町の宇和島街道沿いに町並みが残る妻入の民家が連なる風景が特に見事。
 


16:00 卯之町

宇和先哲記念館。
卯之町

卯之町

卯之町

卯之町

卯之町

卯之町

二宮敬作の住居跡と女医イネ発祥の地。

説明書
文政10年(1827)父ドイツ人シーボルト、母其扇(本名滝)の間に長崎で出生、天保11年(1840)14歳から5年間卯之町で二宮敬作の指導により日本初の女医が誕生した。
安政元年(1854)同3年再度来卯。
敬作から一般医学、宇和島藩出仕の村田蔵六から蘭学を学び、産科医に成長した。
後、上京し宮内省御用掛など大きな足跡を残し、明治36年(1903)76歳で世を去った。
卯之町

卯之町

高野長英の隠れ家。
開国主義を唱えて投獄された後、逃亡した高野長英が1849(嘉永2)年に身を潜めていた建物で、県指定の史跡。
長英が潜伏していた2階部分のみが残っている。
卯之町

卯之町

卯之町




和霊神社
10月24日


        和霊神社

漁業を中心に広く産業の神として、中四国で「金比羅宮」と共に人々の崇敬を得、崇められている和霊信仰の総本山。
藩祖・伊達秀宗の家老で宇和島藩財政の再建、民力休養に努めながら反対派により暗殺され非業の死を遂げた山家清兵衛(やんべせえべえ)が祭神。
伊達秀宗の元で産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した清兵衛ですが、元和6年(1620)凶刃に倒れた。
その後この事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、人々は清兵衛の怨霊だと恐れその霊を城北の地に祀ったのが和霊神社の始まりと言われている。



日本一の大きさ(高さ13m)の石造りの大鳥居。
神社の正面には、太鼓橋のかかった川を挟んで和霊公園があり、石造りでは日本一の大きさといわれる大鳥居が空に向かってそびえ立っている。
和霊神社

神社前の和霊公園では植木市や菊まつりなど、いろいろな催し物も開催され、懐かしい蒸気機関車や牛鬼をかたどった噴水などがある。
和霊神社

和霊神社入口。
和霊神社

和霊神社

和霊神社

水屋。
和霊神社

和霊神社

和霊神社

和霊神社本殿。
和霊神社

干支の大絵馬。
和霊神社

本殿。
和霊神社

和霊神社

石段を降りたところにある大銀杏。
和霊神社

和霊神社の参拝を済ませ時計を見ると4時。
商店街に戻りアーケードの中にある喫茶店で休憩。

アーケードの中を歩いて行くとジャコ天を作ってる小さなお店があった。
出来立てのジャコ天を買ってホテルに戻った。
夕食はジャコ天とビールかな(笑)

フロントに寄って鍵を受け取り部屋に戻る。
お風呂に湯を張り、荷物の整理。

お風呂に入りシャンプー。
浴衣に着替え土佐清水のYさんに明日帰りますと電話。
いつかきっと会いに行きます。

早々とベッドに入りテレビを着けたまま朝までぐっすり眠った。


宇和島市営闘牛場
10月24日


     市営闘牛場



坂道を登り切ると闘牛場があった。
登ってくる途中、10月28日(日)に闘牛大会開催のポスターがあちこちに貼られていた。

入り口脇の事務所におじさんがいたので、入ってもいいですか?と尋ねると
「日曜日に大会があるけど今日は何もないよ。」と言った。
自販機で茶を買って空っぽの闘牛場を見せてもらう。

闘牛場入り口。
市営闘牛場

闘牛場入り口

お弁当売り場。
闘牛場お弁当売り場

真ん中に直径20mの土俵。
この土俵で2頭の牛がにらみ合い闘う。
闘牛場

闘牛場

闘牛場

闘牛場

化粧まわし

イスに腰降ろし休んでいるとおじさんおばさんのツアー団体さんがドヤドヤト入ってきた。
事務所のおじさんがこれから闘牛ビデオやるから一緒に見ていったらいいよ、と言ってくれ団体さんと一緒に闘牛のビデオを見せてくれた。
(ビデオ鑑賞は15人以上で有料だったと思います)

おじさんおばさんの団体さんのおしゃべり話を聞いてると自分たちも闘牛を飼っている様子でした。
闘う様子を見ながら歓声を上げあの牛は根性があるとか追い込まれ戦意を失くした牛を笑ったり。
ビデオ鑑賞は30分位で終わった。
おじさんおばさんの団体さん、入ってきた時と同じように大きな声で話しながら引き上げていった。
闘牛場

ビデオの中で激しくぶつかり合っていた闘牛の姿が目に焼きついていた。
ビデオを片付けている事務所のおじさんに聞いてみる。

あんなに激しい闘いで牛は怪我をしないんですか?
怪我をした牛はどうなるんですか?
「そりゃ、あれだけの闘いだ怪我もするさ。怪我をした牛は体が治るまで大切に養生させるよ。闘牛は大切だからね。育てている人は自分の家族と同じくらい大事にしてるよ。」
それを聞いてホッとした。

おじさんが隣のイスに腰を降ろし話をしてくれた。

闘牛も人間の相撲と同様に前頭から横綱まで番付がある。
相撲の場合、横綱と前頭が対戦して前頭が勝つ、ということもあるが闘牛ではありえない。
横綱は横綱、大関は大関、同じ格付けで闘う。
もし仮に横綱と前頭を対戦させたとしても勝負にならない。
闘牛は八百長なしの真剣勝負の世界。
勝ち方、負け方にもよるが一度出場すると次回出場までは一定の休養期間が置かれ、手ひどい負け方をすると長期間にわたり出場が見合わされる。
闘牛は残酷と言う声もあるが闘うのは本能の命ずるところであり年に何回か出場するだけで普段はのんびりと暮らしている。

相撲には賞金が出るが闘牛では「給金」と呼ばれるファイトマネーが支給される。
全国的に金額はまちまちであるが宇和島は比較的安く、しかも敗れた方の牛に多く支払われる。
勝牛4割、負牛6割と決まっているがこれは敗れた方の牛主に対する慰めの意味があり宇和島ならではの伝統。

格闘時間は無制限とし、全力で闘わせ逃げた方の牛が敗けとなる。
逃げると敗け、という単純なルールではるが余力を残しながらも戦意を失ってあっけなく逃げる場合もあれば相手の鋭い攻めをかわしきれず竹矢来(柵)に激しく追い込まれ、電撃的に勝負が決着することもある。
一方、気力、体力の限りを尽くす持久戦もあり2時間40分という最長記録も伝えられている。

「闘牛を見たかったらねぇさんも日曜日に来たらいい。」
あ〜。。。日曜日はもう宇和島にはいません…
勝っても負けても牛さんが怪我をしないといいですね。

お友達に空っぽの闘牛場の写メールを送った。




大観音
10月24日



      伊達藩鬼門鎮座 大観音



天赦園さがので1時間休憩。
宇和島城上り立ち門前を通り国道56号へ出る。
宇和島市内

歩道のうしおに。
毎年7月22日から24日に開催。
牛鬼は5〜6メートル長い首に鬼面を着け、尻尾は剣、鬼頭・牛体のグロテスクな怪物で全身をシュロや赤い布で覆い悪霊を払う祭り。

牛鬼の起源は、喜多郡の大洲太郎が赤布を用い牛鬼の形をつくって猛獣の来襲を防いだのがはじまりとする説と、加藤清正が朝鮮出兵の時に敵を威圧するために作ったという説がある。
数十名の子供たちのブーブーという竹ぼらを吹き鳴らす音を従えて、長い首を打ち振りながら堂々と練り歩き、家ごとに首を突っ込んでは悪魔払いをする。
「うわじま牛鬼まつり」の牛鬼パレードは祭りの花形になっている。
うしおに

国道56号沿いの宇和島バスセンター。
バスセンター先から右へ2km、闘牛場へ向かう。
宇和島バスセンター

歩道のやつしか。
哀愁を帯びた旋律で優雅に舞う八っ鹿踊りは仙台をルーツとして南予一帯に広まった。

宇和島地方に古くから伝えられている八ツ鹿踊りは、既に350年余の伝統で仙台藩領にあり、太鼓を前に抱えて打ちながら踊るしし踊りは、宮城県各地に普及しており、その中で雄鹿たちが雌鹿をたずね探して遂に発見して喜ぶ「めじしかくし」という踊りが、宇和島に定着し現在に至った。
祭礼時には、12〜13歳の少年8人が鹿の頭をつけ、その面から垂れた紅染の布で上半身を覆い手甲、脚半(きゃはん)草履ばきで胸の太鼓をトントコトントコと打ちながら舞う。
美しく哀愁を帯びた旋律でゆったりととても優雅に踊る。
やつしか

商店街のアーケードを抜け市営公園方向へ。
住宅地を通り坂道を登って行く。
暑さにヘロヘロになりながら登って行くと天満山遊歩道の標識。
近道かもしれないと降りて行く。
天満山遊歩道

降りた先の平場に大観音が建っていた。
伊達藩鬼門鎮座
除災・招福 大観音。
大観音

大観音に手を合わせぐるりと一回り。
山の中へ獣道のような細い道が続いている。
おじさんがいたので、闘牛場は此処から行けますか?と尋ねると
「この先は行けないよ。闘牛場へ行くなら上の道を上って。」と言われた。。。(-_-;)
降りて来た道をまた上り坂道を登る。
坂道



天赦園
10月24日


       国指定文化財・天赦園(てんしゃえん)春雨亭(書室)

宇和島伊達家八代当主、愛書家としても有名な春山が余生を楽しみながら、この書屋で書道を研鑽し、数多くの貴重な書を残し穏やかな時を過ごし書道を愛し、明治22年、百歳の天寿をまっとうした。
  
       鉄釘を一切使用していない構造の貴重な建物。




池越しの春雨亭 。
春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

春雨亭(書室)

永久保存用ポスト。
日本国民から長い間心のかけ橋として親しまれたなつかしい赤い郵便ポスト永久保存のため宇和島郵便局より贈られた。
永久保存用ポスト

天赦園に隣接した食事処さがので昼食。
部屋はすべて個室となっていて窓越しから美しい庭園を眺めながら食事ができる。
レジへ行くと11時から14時に食事をすると天赦園の無料入場券がサービスされるとのことでしたが既に私は見学済み。。。
食事処さがの





天赦園
10月24日


       天赦園(てんしゃえん)



枯川(説明版)
前方に見える枯川は遥に徒耳えております。
鬼ヶ城山(当園の借景)より流れる川が宇和島湾にそそぐ壮大な姿を枯流の中に二個の水分石、石橋を配する等の技法に工夫を凝らしています。
枯川

枯川・鬼ヶ城山を借景。
枯川

菩提樹。
菩提樹

昭和天皇御手植 高野槙。
昭和天皇御手植 高野槙

仰竜梅 (説明板)
政宗公が岩出山城に居城した時代(1591年〜1601年)秀吉の命により文禄の役に出陣した際、朝鮮の風土でたくましく延びた枝が地面に接して根を張り、その姿が竜に似ているので、その稚苗を持ち帰り植栽され「臥竜梅」と名付けられました。
その後、仙台城に移され今日まで幾星霜の樹齢を重ね大樹となり、昭和12年国の天然記念物の指定を受けました。
この臥竜梅は仙台市養種園技術者の一員として、保護対策に活躍された岩出山町出身の宇和野三男氏(仙台市泉区)の実家宇和野興一氏(岩出山町字大学町27で二十数年育てたもの)で、現在瑞鳳殿に植栽されている臥竜梅と兄弟木です。
    宇和島市  岩出山町
両市の歴史姉妹都市締結に伴い平成11年11月吉日交流事業として記念のため植樹。
仰竜梅

天赦園の中でも印象的な池。
園内のいろいろな所に春山の意趣が凝らされている。
池には鯉や鴨の姿も見られ、春夏秋冬に違った景色が楽しめる。
池

孝行竹とも呼ばれるボニスホウ竹。
ボニスホウ竹

天赦園

天赦園の中心に位置している書院式の茶室・潜渕館(せんえんかん)。
事前に申し出れば中で茶会を催すことも出来るそうです。
潜渕館(茶室)

大正11年昭和天皇が皇太子の時、天赦園御成の際御座所に当てられた由緒ある建物。
潜渕館(茶室)




天赦園(てんしゃえん)
10月24日


       天赦園(てんしゃえん)

七代藩主、伊達宗紀(むねただ)(春山)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園。
名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ漢詩から採ったもの。

     馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
     残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん

天赦炎の面積は11240平方メートルを有する池泉廻遊式庭園。
昭和43年に「名勝」の国指定。

池庭護岸や東南部の石組みには陰陽石の扱いが見受けられ、三尊石組、立石と天平石の組合せ等心を楽しませるものがある。
芝生の南部には枯滝石組と枯流石組があり、枯流の中に二個の水分石が用いられ両岸に臥牛石、虎吠石等が対立し壮言な竹林を背景として静かな佇まいを見せている。

園西側を西国浄土に見立て、そこから園を見守る三尊石。
白藤太鼓橋はその浄土の世界へ渡る「虹の掛橋」。
枯川上流に故郷仙台を想い、鬼ヶ城に降る雨は枯川を流れ時の流れと共に池へと注がれる・・・
子孫繁栄を願って配されている陰陽石。
天赦園を構成する石や木々たちは様々な形で訪れる人たちに色々なメッセージを伝えようとしている。



天赦園入り口。
天赦園

天赦園

天赦園 園内案内図。
天赦園

天赦園

紫陽花
  「あちさいの花のふ可きに寿む月乃
    可けも程うきみちか夜のそら    秀宗」

この句は宇和島伊達家初代藩主秀宗が紫陽花に実が出来ないことを我が子の短命なことと重ね合わせ詠んだ歌として伝わっている。
天赦園

七代春山が伊達家の紋章「竹に雀」にちなみ竹を愛し園内には22種の竹や笹が植栽された。
金明竹、孟宗竹、黒竹、四方竹、亀甲竹、泰山竹、蓬莱竹、熊笹、オカメ笹等竹類が園内各所に配されている。

「養老の滝」「四方竹」
天赦園

「養老の滝」
天赦園

守護石(三尊石)
天赦園

天赦園

天赦園

太鼓橋式の藤棚に架かる白玉藤。
天赦園

天赦園

天赦園

東屋。
天赦園



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